親になってはダメな毒親20…人間関係がうまくいかない訳!高級住宅団地でもお隣さんといざこざを起こす母
団地に引っ越した時は空き地だったお隣に
いつの間にか綺麗な家が建ち、
中学一年の時、お引越しの挨拶にお隣のIさん夫婦が我が家に来た。
応接間に通され、私たち姉妹も挨拶をしなさい!と
呼ばれた。
優しそうなおじさんとおばさん!
特におばさんは綺麗にお化粧をして髪も綺麗にセットして
母とは大違いだったのが印象的だった
こんにちは!と挨拶したら
おばさんは大きな口を開けて蔓延の笑顔で
まぁ~かわいらしい娘さんです事~
こんにちはぁ~!!と会釈して
おばさんのところにいつでも遊びにいらっしゃいね!と言われた。
この時からいろいろ関り合いの深い間柄になった。
三歳下の妹はその時小学校四年生!
頻繁に遊びに行っていたようだ!
団地に引っ越した時は妹は小学校三年生だった。
小学三年生から六年生まで転校をせずバスで通学していたので
近所に遊ぶ友達がいなかったのもあった。
しかし、
Iさん夫人と母と良い関係を築くことはできなかった。
Iさん夫妻には子供がいなかった。
なので、お昼は近所の奥様が集まってお茶やお花などの教室をしたりして普段はとても静かなお宅だった。
しかし、我が家は相変わらず父の怒鳴り声や夫婦喧嘩、私を怒鳴る声すべてがIさんの家に筒抜けだった。
近所の方数名を呼んでお茶やお花などのお稽古事ををしている時などは
我が家の事は酒の肴になっているとは母は思っていた。
私にとってI さん夫人は
とても常識人でとても理解のある人だったが、
母親からこれでもか?というくらいI さん夫人の悪口を聞かされ、Iさん夫人
を歪んだ目で見ていた!
それでもIさん夫人は私をとても気にかけてくれた。
学年が上がる毎に父は仕事に忙殺され、長期出張や海外出張が多くなった。
研究の論文が表彰され本を出版したり、外国出張や日本各地に講演に担ぎ出されたり、
テレビ出演などで過密スケジュールだったようだ。
その合間に家では父親として私の事が気になる様で、
母からの情報しか私の様子を知る由もなく、母の都合の良く作られた話を父は鵜呑みにしていた。
I 夫人の事も父に報告したようで、父の口から伊藤Iさん夫妻は
つまらん人間や!あまり関わるな!という事になった。
両親は今そこにいない人の非難する話題が多い。
父の非難する意見に対して違う意見を言うと
攻撃的になり、「何故、あんたはまた家の中をかき乱すの?」と母からまた八つ当たりされる。
しかし、物事を否定する意見を言うと父は非常に喜ぶ。
親が嬉しそうな顔を向けられるとうれしいので
親に喜ばれるようにもっともっと人の悪口を言うようになった。
しかし、I さん夫妻は
「人の悪口を言うと自分に返ってくるから悪口は言ってはダメよ」と諭された。
そんな私の様子を見たせいだろうか?
伊藤夫人は母に子育てに対して母に意見を言う様で
母はI夫人に対して怒りをあらわにますます悪口を言うのだった。
私は人の悪口や批判めいたことを言う事が
いけない事という認識がなかった。
私の周りには人の悪口を言う人が集まり悪口三昧で、
それが十年以上続いた。
だから人の悪口を言う事が他人を傷つけ、自分も傷つける行為だという事が理解できなかった。
来れこそ、類は友を呼ぶという事なんだろうが、
悪口三昧の中にいると心地よかった!
その中に所属している内は自分は安全だと大きな勘違いをしていた。
だから、イザという時、私は信用されないという事も知らなかった。
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