親になってはダメな毒親6・言葉が通じない母子
言葉の通じない母子・・・・一体どうやって躾をしていたの?
日本に帰国したのは七月だった。
初めて見る日本はバラエティーに富んだアメリカと違い、明るさがなく、頭が黒くて同じ顔見えて異様な感じだったのが印象的だった
今まで普通に話していた言葉が全く通じなく、自分を理解してもらう、相手の話が理解するなど、コミュニケーションが全く取れない生活が始まった。
日本のじめじめとした気候が私には合わなかった。
食事も合わなかった。
挨拶をする時、抱き着いてキスをしたら嫌な顔をされた。
土足で人の家に入った時はびっくりされた!!
今までと全く違う生活スタイル!!
しかし、母はそんな私の戸惑いなど全く関心がなく、
暇さえあれば昼寝ばかりしていた。
夏真っ盛りの7月に帰国して・・・
秋が深まり寒い季節の11月に地元の幼稚園に入園。
その3~4か月の間、どうやって暮らしてきたんだろう?疑問だ!
幼稚園の入園は父親からの命令で仕方なくだろう。
母は自分から率先して…という事が出来な人だから
帰国して4か月も経っているのに箸が持てず、ご飯をぼろぼろ落としていじめられた。
来春小学校に入学する児童の為の未就学児健診というがあった。
視力検査をした時の出来事
丸く縁取りした円の切れている所を指で指す・・・あれ!!
私の前の子がやっている様子を見ていたが何をやっているのか全く解らないまま、私の番が来た!
適当に指を指していたら、係りの人が私は遊んでいると思ったようで、
説明をしてくれたみたいだが、日本語が理解できない私はちんぷんかんぷん
係りの人は母に説明をするように指示されたようだが、母は英語は解らない。
つまり私たちは母子でありながら言葉が通じない珍しい親子!!
日本語で必死になって説明する母!!理解できない私!
視力検査は私のところで止まったまま進まず、周りは早くしろと言いたげにざわざわしている中、どうしたら良いか解らず、耳たぶまで真っ赤になっている母!
多分、視力検査は後ほど改めてやりましょう!って事になったのではないか?と思う。
帰宅した後、母は私にひどく怒った!
「あんたの為にお母さんはどんなに恥ずかしい思いをしたと思うの?いい加減にしなさいよ!」と叩かれ
押し入れに閉じ込められ、
やがて父が仕事から帰宅!
私はどうした?と母に聞いていたようで、私が閉じ込められている押し入れのふすまを開けた後、私を怒鳴った!
今もって、私は両親になぜ怒られたのか?
理解できない!
こうして日本語が解らないハンディキャップを背負ったまま、暗黒な小学校生活が始まろうとしていた!!
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