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親になってはダメな毒親22…母の毒の原因は祖母のわがまま
母方の祖母は歴史の教科書に出てくる誰でも知っている有名な戦国武将の子孫だそうで、子供時代は裕福だった。
世界大恐慌の際、銀行に預けていたお金が紙くず同然になった事で、
一気にお金に困窮
一家は仙台に移り住み下宿屋をしていた。
その下宿をしていたのが東北大学の学生だった祖父だったそうだ。
祖父は元々は東大の理学部数学科に入学したが、人間関係で苦労したとかで一日で退学して東北大学理学部数学科に入学し直
親になってはダメな毒親21…父は母みたいな人を妻にして実際のところどうだったんだろう?
父はそれなりに家庭を大切にしてたんだと思う。
父と同世代の男性の平均結婚年齢から考えると晩婚中の晩婚だった。
軍国時代の中!青春時代を過ごし、周りの友人は赤紙が届き戦死した人がたくさんいた時代。
将来は弁護士を目指して京都大学を目指したが、文系に進むと優先的に戦地に駆り出され,
戦後の日本復興の為を考え、理系の若者は戦地に赴く事を免除されたため
理系を目指し金沢大学から帝国大学東北大学に進ん
親になってはダメな毒親20…人間関係がうまくいかない訳!高級住宅団地でもお隣さんといざこざを起こす母
団地に引っ越した時は空き地だったお隣に
いつの間にか綺麗な家が建ち、
中学一年の時、お引越しの挨拶にお隣のIさん夫婦が我が家に来た。
応接間に通され、私たち姉妹も挨拶をしなさい!と
呼ばれた。
優しそうなおじさんとおばさん!
特におばさんは綺麗にお化粧をして髪も綺麗にセットして
母とは大違いだったのが印象的だった
こんにちは!と挨拶したら
おばさんは大きな口を開けて蔓延の笑顔で
まぁ~か
親になってはダメな毒親19…人間関係が長続きしない原因 毒親育ちの刃
私が音楽の時間にバイオリンをみんなの前で演奏したのがきっかけで
音楽の先生であり、ブラスバンドの顧問の先生は私の事を目をかけてくれた
先生は私の事を笑顔でじっとみる事がある。
今でいうとセクハラなんでしょうけれど、
注目された=認められたのがうれしかった!
家で母親と妹がいる時、その事を話したら
妹は「可愛い」って思ったんじゃない?と言ったら
母は
「バカみたいな顔だ」
と思ったんだろうね!
親になってはダメな毒親18…中学生になっても邪魔してくる親
念願の制服を着て中学校の入学式に行った。
同じ小学校出身の子がいない為、だれも知り合いのいない中、
母も来てもらえずたった一人で入学式に参加した。
澄み切った春の青空だった。
東北の桜の開花はまだ先の話で、すこし肌寒さは残っていた。
ここは私のカーディガンを投げて遊ぶ男子もいない。
私の周り一メートル四方離れて歩く人もいない。
私の身体を触れても汚い、臭いと言う人もいない・・・
何年振りか
親になってはダメな毒親16…母の不始末を娘が代わりに謝りに行く
卒業式から帰ったら
母は相変わらず敷布団二枚と掛け布団二枚かけて
まるで病人みたいにお昼寝中だった。
その夜
母から用事を言い渡された
前住んでいた家の近所の●●さん、✖✖さん、▼▼さん・・・他数件のお宅へ菓子折りをもって
「ご迷惑をおかけしました」と謝ってきなさい!
ここに地図があるから・・・と言われた。
イヤだと拒んだら
あんたがあの近所の人に迷惑かけてんでしょ!あやまりに行くのが筋
親になってはダメな毒親15…小学校生活の締めくくりは「親に問題あり」
六年生になった!
四年生から三年間クラス替えがなかった
児童の人数が多いので
沢山の友達と関わり合いをもって人間関係を学ぶ上でも
クラス替えって重要と考えるのに、
三年間、クラス替えがないというのは珍しいケースだったのではと思う
この当時はまだモンスターペアレンツという言葉もなかった時代。
わが子を大変お世話になっていると
先生という名の付く方に対して尊敬と敬意を表していた。
それが当たり
親になってはダメな毒親14…父の怒りの矛先を私に向ける為に平気で嘘をつく母
四年生の秋ごろ、父方の祖父母が一時的に一緒に住むことになった。
年老いた両親、父の故郷である神戸の家を売って最後は孫のそばで…と父の計らいだった。
祖父母がいれば、今迄のように私の事を殴ったりすることが少なくなるだろうと嬉しかった。
が、母と祖母の関係が悪くなりひと月ほどで近くのアパートで祖父母は住むことになり、いつの間にか施設に入ってしまった。
母は父が仕事で不在の時、父との諍いの八つ当たり
親になってはダメな毒親13…私のあだ名は不潔女またはふけ女
私を励ましてくれた高橋先生は翌年には
別の学校へ転任になりそれ以来会う事はなかった!
四年生のクラスは六年生までクラス替えなしで持ち上がった。
母は学校、地域、バイオリン教室でもヒソヒソと話題の人になったようで、
買い物も誰もいない時を見計らってコソコソ行く姿を見ていた。
相変わらず父には怒鳴られる毎日で、私に対しての八つ当たりは更にエスカレートしていった。
それに伴い私もクラスでは完全に浮
親になってはダメな毒親12…初めて私を褒めてくれた先生を非難した母
四年生…この先生の出会いに救われた
「T先生」。
私は勉強が解らないまま学年は四年生に進級した。
かろうじて四則演算は時間がかかるが出来ているが、算数の文章問題はまったくわからなかった。
ある日の土曜日、掃除が終わって帰りの会が終わって帰ろうとしたところ
先生に呼び止められた
帰る前に先生のところに来なさい!
三年生からのトラウマで、先生に呼ばれると、怒鳴られ叩かれるのでは?と震えなが
親になってはダメな毒親10…施設に入る話があった
両親は毎日日課のように喧嘩をしてた!!
「●●子」という私の名前のワードが入った喧嘩。
お前は●●子の事が心配でないのか?
なぜあの子に対して他人事なんだ?お前は母親だろ!
父は私の現状を見て将来どうなってしまうのか?悲観にくれていたようだ。
そういう問題に対しては夫婦が知恵を出して一緒に考えるべきものが
母親である妻は無関心そのもの!その態度が怒りが爆発していたようだ!
そんな思いを忘れ
親になってはダメな毒親9…ある大嵐の夜の出来事
私が日本に帰国した時、とても親切に私の事を可愛がってくれたおばさんがいた。「池田さん」だ。
私よりも一周りくらい年齢が上の娘さんが二人いた。
七五三の着物を着た私と高校の制服を着たお姉さんと三人で笑った写真があった。
小学一年の八月最後の日の事である
台風が上陸して大嵐の夜だった。
大粒の雨が窓ガラスを叩きつけ、大風の唸り声を上げる音が不気味だった。
その日は、父から算数を教えてもらっていた!
親になってはダメな毒親8…親の監視と軟禁生活が始まった!
オール1の通信簿を手に家に帰って母に渡した!
オール1とはどういうものなんだ?と父が聞いてきた。
大変よくできました・5
ややできました・4
普通・3
もう少し頑張ろう・2
頑張ろう・1
私の場合はすべての教科が『頑張ろう』という意味だと母が説明した。
小学校に入学したての子供にオール1とつける先生もどうか?と思うが
担任の先生も言い分があったんだろう
大学の先生の子供が
オール1?