成功のコツは動機
短期間の勉強でも、うまく合格する人もいれば、何年もかかる人もいます。もちろん、細かく言えば、合格できなかった人は、十分な得点が出来なかったという、客観的な理由がもちろん、あるわけですが、何度か過去記事に書いているように、本試験には運があります。同じような実力であっても、当日の運気で、合否が分かれる場合があります。この差は何だろう?と、考えているんですが、もちろん、人間の運気なんか、超複雑で、一言で片づけることなんか出来るわけがありません。ただ、運気の要素の一つとして、これはあるんじゃないかなぁと思う事があります。それは、
本人が実は望んでいないことは現実化しにくい
ということです。よく、無意識と言う言葉を日常に使うと思います。朝、起床後のルーティーンを細かく意識してやる人は少ないと思います。ハミガキ、顔を洗うなどの作業は、気がついたら終わっていたことも多いでしょう。しかし、これらを完全に無意識ですることはもちろん、出来ません。
医学的には死んでいるか、気絶しているなり、昏睡状態なり、通常では経験しない状態のことを言うからです。
つまり、実際は半覚醒状態の、半分無意識くらいの状態なんです。強く意識はしていないけど、どこかでわかっている状態ですね。ところがこの、
半覚醒意識が一番、人間の行動に影響を及ぼす
と言ったら、ビックリするかもしれません。というのも、どうやら、
半覚醒意識の内容こそが実は本人が一番、望んでいるから
みたいです。どうしてこれに気づいたかというと、きっかけは、
不健康自慢をする、ご年配の方々
と接する機会が何度かあったからです。皆さん、あそこが痛い、あれが出来ない、辛いと色々、ご自身の愁訴を訴えるんですけど、それじゃぁ、こうすればいいのでは?という提案には
絶対に耳を貸さない
んです。
「そんなの無理よ」
「でもね…」
「そう言うけど」
周囲の人にお話を聞いてみると、やっぱり、改善するつもりはサラサラないと言います。つまり、こういう人達は
自身の症状や環境を周囲に訴えることそのものを目的にしている
ということです。なら、改善の対策に耳を傾けるなんてするわけがないのです。怖いのは、これは普段は無意識に感じてしまうことなんです。前述したように、無意識というのは医学的にはありえないんです。でも、普段、強い自覚がないのは事実で、どちらかといえば、脊髄反射的にしている言動なんです。だから、とてもタチが悪いのです。なぜなら、
願望実現の最大の障害になる
からです。元々は、こういう人達は健康だったんですね。でも、ある時からそれを愚痴にしだし、最終的には、愚痴を言うことそのものが、自身の生活の一部になってしまっている。大抵の話相手は、立場上、適当に頷いているだけで、本気で相手にはしていません(なぜなら、本気で改善したくないことも直ぐにわかるから)。そのため、それを指摘されることもないまま、当初の願望であった、治りたいという欲求はかなわないまま、
半覚醒意識の願望である、周囲に訴えることだけが叶い続けている
わけです。これはとても怖いことなんです。私達は繰り返し、繰り返し、何かを続けていると、気がつかないうちに、自分の半覚醒状態に支配されていくのです。怖いのは自分ではほとんど、気づけないので、辞められないのです。
だから、ちょっとの時間で良いので、自分に問うてみるのは何をする場合でも有効だと思います。
自分は本当はどうしたいんだろう?
行政書士に限りませんが、資格試験の勉強というのは、通常は義務はなく、自身の意思で任意に始めるものです。しかし、それは、それまでの生活を変えなければならず、どこか犠牲になるものが出てきます(たとえば、TVを見見る時間が無くなるとか、最低限の出費が必要とか)。それをしてまで、欲しい資格なのかどうか。また、そこまでして、勉強する意味が自分の中にあるのかどうか。
実は受験テクニック以前にとても大事な要素だと思います。
もちろん、人生は何をきっかけで、どうなるのか予測はつきません。別に気軽なチャレンジでも全く問題ないのです。第三者にとやかく言われる問題ではありません。ただ、願望が適いやすいかどうかに差は出るでしょう。