本を読める幸せ
高校の時、担任でもあった国語科の先生から“文学少女”と言う称号をいただきました。←ちょい自慢??
昨年20数年ぶりに同窓会でお会いした折も「あなたは、とにかく本が好きで休み時間や昼休みに教室の隅でよく読んでたね。文学少女やったわ。そんなあなたが国語の教師として誇りだった」と懐かしむように笑顔で仰ってくださった。それほど私が読書する姿は先生にとって印象的だったのでしょう。
確かに友達と談笑するより本を読んでいた。本の中の登場人物になってみたり、もしこんなふうに展開したらどうなるかなと空想したりもした。
でも、高校時代何を読んでいたのか思い出せない。一冊としてタイトルが出てこない。
大人になってからは、いわゆる大衆文学ばかり読んでいるが、乙女?少女?の頃は多分、純文学と言われるジャンルが好みだったと思う。
子育て期や仕事に追われていた頃は遠ざかり気味だったが読書好きは今も変わらない。
ただ、3年前くらいから読むことが辛い時があり、それは少しずつ増えてきている。
その原因は視力。
アルビノの特性の一つとして弱視があり、もれなく私も弱視。
左近視・右遠視。疲れると乱視が出る。眼鏡矯正はできない。見え方は左<右。
視力は成人頃までは両眼で0.4はあった。計測していないが多分今は両眼0.25〜0.3くらいだと思う。戸外では眩しさが影響して実際の視力より見え難くなる。
こんな視力だけど、やはり自分の眼で本が読みたい。
一時期ピンチで拡大できるiPadで電子書籍を読んでみたが、やはり紙の方が私にはしっくりくる。物語が頭に入りやすいのは紙の本だ。
iPadに入れたアプリ利用はしなくなり、結局、老眼鏡と100均の二つレンズルーペで読んでいる。老眼鏡とルーペで本を読むのはとても疲れる。高校生の頃のように裸眼で一気に一冊読むなんて到底無理だ。
でもね、読書って楽しい!!
もっと視力が落ちていき、本を読むスピードが落ちても、自分の眼の限界まで本を読みたいと思っている。
友人が言う。「点字読めないの?」それが読めないんだよなぁ。「音訳図書」ってのもあるよ。いよいよになったらそれもよいね。
IT環境が私が高校生の時に比べると格段に進歩している現在だが私は本屋さんに足を運ぶ。
好きな作家の本、タイトルに惹きつけられビビッときた本、新聞やテレビなどで書評を見聞きした本、“紙の本”を手に取る。
この文を書いているBGMはStevie wonder
今から続きを読むのは、東野圭吾著「天使の耳」
これを読んでくださったあなたは、紙の本派?電子書籍派?
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