ウシガエルとシミュラクラ
一時期「○○現象」や「〇〇効果」のような「あるあるに名前がついているもの」について調べるのにはまっていました。
「青木まりこ現象」や「カクテルパーティー効果」みたいなやつです。
今回はその中で「シミュラクラ現象」という言葉を知ったときに思い出した話です。
シミュラクラ現象とは、端的に言うと「三つの穴があると顔に見えてしまう」と言うものです。
何かを人に取り違えてしまう。
僕はこの現象と似たものに、覚えがありました。
いや、「もの」というより音なんですけれど。
これは僕が中学生の頃。確か夏休みだったと思います。
実家が都会と田舎の中間の所に住んでいて、家の周りは多くはないですが田んぼで囲まれていました。
これらの田んぼには、夏になるとたくさんの虫がやってきます。
バッタやイナゴ、暮れの方にはなりますがトンボなんてものも来たりしていました。
そういう感じですから、夜になると虫の鳴き声が響きます。
これが鈴虫とかそういう風流な音を出す虫ならよかったのですが、田舎の現実はそんなに甘くありません。
ウシガエル。
こいつがまあ、もうとんでもなくやかましいのです。
耳の奥を侵してくるような気色の悪さ。ずっとみぞおちに手を添えられているかのような息苦しさ。
この音が何重にもなって騒々しく喚くのです。窓とカーテンを閉めても、少しマシになるだけであまり効果はありませんでした。
僕の部屋が田んぼに面した二階だというのも災いして、毎夏、これらの音は夏の部活で疲れて早く寝たい僕のことを悩ませていました。
そんなある日のこと。
いつものように悪い寝付きになるのだろうと、田んぼの方に背を向け半ばふてくされながら目を閉じたところで、あることに気付きました。
うおぉ、うおぉ と
いつもの鳴き声の中に、明らかに異質なものが混ざっていたのです。
いつもの地を這うような低音の中に、
いつもより数トーン高い声が混ざっていました。
か細く、エッジの効いたような、そんな声です。
最初は「珍しい鳴き声だな」とか、眠れないことにイラつきながらそんなのんきなことを考えていたのですが、その声を数度聞いたところでまたあることに気付きました。
人の声だ。と
直感的に、そう、気付きました。
気付いた瞬間、お恥ずかしい話になるのですが、半ばパニックになりました。
「人がウシガエルの鳴き真似をしているのか」「いや、偶然人の声に似た鳴き声をしているだけだ」「人間の声帯にこんなに似るものなか」「窓を開けて直接見てはどうか」「そんなことできるわけがない」
そんなことが頭の中でぐるぐると巡り、浅い呼吸を何度も繰り返しました。
必死に耳に入らないように意識しましたが、人間はそんなに器用にできていないようで、意識すればするほど、その意識の波を逆流するようにその「鳴き声」が鼓膜を揺らします。
ああ、もうだめだ、気付いてしまった。なにか「怖いもの」に触れてしまった。つまりは――
と形の付かない覚悟をした辺りで、僕の意識はふっと消えました。
それ以来、夜になるたびに同じ声を聴きました。
うおぉ、うおぉ と
嫌にぶつぶつした、動物ができる調声とはかけ離れた声を。
何度も何度も何度も何度も聞きました。
耳栓をすることも考えましたが、すぐに却下しました。
耳栓をしていては、もしあの声がこちらによって来た時に気付くことができない。寝息を立てる僕の腹の上にあの鳴き声の持ち主がやって来た時に気付くことができない。
正常ではなかった頭で、そう思ったからです。
あの時の僕は、おかしかった。心を崩すことを承知しながら布団に入り「なんで」と思いながら気絶する。親にでも相談すればいいものを「これがうつってしまう」とそれをこらえる。
自分で自分を袋小路に追いやりながら、その不幸を嘆いていました。
唯一幸いだったのは、いつもパニックになって意識を落とすせいで、ただの鳴き声に苛まれていた時よりも早く眠れており、精神はともかく体は大丈夫だったことくらいです。
これが一夏、続きました。
カエルの繁殖期が終わるころ、段々とその鳴き声の数が減っていくのに合わせて、次第にあの声は聞こえなくなりました。
そして、翌年、翌々年も、家を出て一人暮らを始めるまで、その声は聞こえませんでした。
これが、僕の以前体験した怖い話です。
改めて考えてみると「シミュラクラ現象」のように、「人の要素を持つと人に見えてしまう」ということなのかもしれません。
ごめんなさい。
この話には続きがあります。
先日、一人暮らしをやめ実家に戻ってきた時の話です。
久しぶりの自分の部屋は、両親が気を使ってくれたのか模様替えなどもしておらず、あの時のままでした。
懐かしさを覚えながらも、仕事道具の設置や各種機関への書類提出などで月日は流れていきます。郷愁をもって過去の想起する暇もなくそれなりの時間が経ちました。
そして数か月たった夏日の夜、前述のことを思い出しました。
今となっては整理がついて「なんともない」と思えるような怖い話を。
久しぶりにあのウシガエルの鳴き声の騒々しさを体験したのがきっかけです。
半分冗談、半分肝試しで耳を澄ませてみても、もうあの時の声は聞こえません。
あのエッジの効いた、か細い声は。
その時、部屋の外で父が話している声が聞こえました。
扉を挟んでいるので何を言っているのかはわかりませんでしたが、恐らくお盆がどうとかそういう話だと思います。
あることに気付きました。
この距離でも聞こえないなら。
扉を挟んで向こうにいる人間の声すらはっきりと聞こえないのに、窓とカーテンを挟んだ特定のカエルの声なんて。
そうだ、か細かった。あの声は、か細かったんです。
なんであんなか細い声を、数十匹の鳴き声の中から聞き分けることができたんでしょう。
でも確かにあの声は幻聴じゃなかった。絶対にこの耳で聞いた。
窓とカーテンで少しばかり減衰したあの不快な声の中に、絶対に聞いたのです。
そこで、またあることを思い出しました。
カクテルパーティー効果。
どんなに騒がしい中であっても、自分に縁のある声や言葉には反応することができるという心理効果。
あの鳴き声に何か僕との縁があったとしたら。
これが、三日ほど前の話です。
あの声はまだ聞こえません。