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自己紹介

1.基本プロフィール

名前:AYA
年齢:30代
性別:女
職業:会社員
趣味:読書、カラオケ、映画
性格:超真面目な空想家
家族:夫・子供

2.育った家庭

支配的な母とワーカホリックの父のもとに生まれる。
母の夢を背負わされ、幼少期から習い事中心の生活を強いられる。
小学生で限界を迎え、習い事をすべて辞めたことで、「親不孝者」のレッテルを貼られる。
「習い事に費やした金は無駄だった」「親に迷惑をかけた」と事あるごとに刷り込まれる。

両親の仲が悪く、喧嘩の絶えない機能不全家庭で育つも、それが普通であると信じ込んでいた。
兄弟間で待遇に差があっても「私は親に迷惑をかけたから仕方ない」と、自分を納得させていた。母や兄弟からは日常的に私の容姿などを揶揄されていた。

3.生きづらさ

親の要望に答えられなかったことで、強い罪悪感を抱えていた。成長するに従い、生きづらさを感じるようになった。

<20歳の私が感じていた生きづらさ>
・定期的に燃え尽き症候群になり、日常生活に支障が出るほど無気力状態に陥る。
・キレやすくヒステリック。キレると後先考えない行動をしてしまう。(後になって困る)
・自分の間違いを認められず、他人のせいにする。謝罪できない。

4.解毒までの流れ

10代で兄弟との扱いの差に疑問を抱き、20歳のときに自分の親は毒親だと悟る。
毒親とその影響に関する書籍を貪り読み、自分は毒されていると確信に変わる。

原因が毒親にあるとわかってからも、なかなか家族への期待を捨てきれずにいたが、非毒親育ちの夫と出会い、解毒が加速する。
毒親ではない親(義母)を知ることで、自分の母親の異常さが浮き彫りになる。

社会人になり、毒親との関わりが一気に減る。
自分の好きなこと(趣味)や好きな人(夫・友人)のために時間を使うことで人生が豊かになることに気が付く。
"生きづらさ"を感じる頻度も減り、感じたときには自己分析を徹底するようになる。次第に自分の傾向や考え癖がわかってきた。

生まれて初めて「君の母親はおかしい」と言ってくれた他人である夫と結婚する。子供も生まれて忙しくなり、毒親を思い出す回数が激減する。
いつの間にか私にとっての『母親』から『ただの人』になっており、解毒が成功しつつあることを実感する。

解毒を実感したポイントを端的にいうと、「私の思考・生活から毒親が(物理的にも精神的にも)忘れ去られた」ことだと思う。
適切な言葉がなかなか浮かばないが、”愛着が切れた”、”家族から他人になった”という感覚で捉えている。

忘れようと努力している状態ではなく、「そういえば私にも親がいたわ、毒親だけど(笑)」とたまに思い出す程度になった。
また、母親から揶揄されても心が乱されなかった(自己肯定が揺るがなかった)ことも、解毒が成功しつつあるという自信に繋がった。
ずっと捨てきれずにいた「母親に愛されたい」という期待を、本心から手放すことができたように思う。

毒親育ちの後遺症として、今でも家族愛・兄弟愛の物語が苦手。一気に胡散臭く感じる。
作中に毒親が登場すると、自分の過去を思い出して哀しくなることは依然としてある。

今では滅多に生きづらさを感じないが、ストレスが溜まると出やすい。
これからも自分をメンテナンスしながら、夫と子供と楽しく暮らすことを目標にしている。

5.私が実践した解毒法

私が実践した解毒法をまとめました。
同じ悩みを持つ方にぜひ読んで頂きたいです。


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AYA
少しでも人生を前向きに生きるきっかけになれたら嬉しいです。いつも応援ありがとうございます!