「うまくいくことは正しい」は本当なのだろうか?
自然言語処理はゲノム解析でもうまく機能するのではないか、と思って・・・(長い前置き)
最近、やっと「テキストマイニング」と「自然言語処理」の違いがわかるようになってきました。今更アホですか、と言われれば、その通りなんだけど、ぱっと見、見分けが付かない人って意外と多いんじゃないかな?(ということにしておこっと!)
私が納得した「テキストマイニング」と「自然言語処理」の中身は次の通りです。(「自然言語」とは、日常で私たちが使っている言語のことです。日本語、英語、とかのこと。どうしてわざわざ「自然」なんてつけたかというと、コンピューター用の言語と区別するためです。プログラミング言語(Java、Python、C++、などなど)、機械語などがあります。)
どうでもいいですが、なぜセサミストリート推し、なんでしょうか?
この自然言語処理、ですが、「自然言語」の分野でうまく機能するなら、当然「究極の自然言語」である遺伝子配列の分野でもうまくいくんじゃないかと、これまた今更(2021年6月時点!)ながら考え検索してみました。
そして見つけたのが、この記事です。
この分野の研究ははじまったばかり、どころか、もう既にはるか先を行っていたようです。
前置きがえらく長くなっちゃいました。ここからが本題なんです。
ここからが本題、「うまくいくこと」は「正しい」のか
この記事の中にやや気になる一文があります。それは、「うまく感染を広げることに成功したウイルスは文法的に正しく、そうでないウイルスは文法的に誤っているということだ。」です。
そこにひっかかるなよ、と言われそうなんですが、でもちょっと嫌な表現なんです、これは。
ここでは、うまく感染を広げることができたウイルスは正しく(もちろん人間にとっては迷惑な話、です。)、そうでないウイルスは間違っている、なにかに似ていませんか?、私たちの社会に。
これでは、うまくいかなかったウイルスは「残念なウイルス」ということになりますが、本当にそうなんでしょうか?
私はそうは考えません。うまく感染を拡大できたウイルスはたまたま、偶然、うまくいっただけなんです。いろいろな良い外部要因が揃わない限りウイルスは感染拡大できないはずなんです。つまり、うまく感染できるような環境、もしかしたら感染しやすい人、人種がいたかもしれない、これら多数の要因がうまく合致しない限り、ウイルスだけの努力で感染を拡大させることはできません。
これを実にうまく進化論的立場から説明された日本人遺伝学者がかつていらっしゃいました。もう故人ですが、木村資生先生です。
「進化の中立説」
木村先生は「進化の中立説」を提唱し、世界的に有名な遺伝学者となりました。
「進化の中立説」とは、次のようなものです。あくまで私自身の言葉になりますので、正確な表現はネット等でご確認をお願いします。
「生命個体における突然変異は、突然変異が発生した時点では、その個体に有利にも、不利にもはたらかない(つまり中立である)」
ダーウィンの進化論では、進化を(まさに)進めるものは、「突然変異」だとされました。突然変異の繰り返しにより優れたものだけが生き残る(この表現も今じゃジェノサイドを生んだ優生思想につながる可能性があり、大問題になります。あえてこの表現を使いました、ご理解、ご容赦ください)、つまり「自然淘汰」がはたらき「適者生存」が実現される、ということになります。
でも木村先生は、突然変異自体は、発生した時点では個体に有利にも不利にもはたらかないよ、とおっしゃられているのです。では、進化を進めるのはいったいなにか、もう「偶然だよ」、「たまたまだよ」って言いきちゃっていいんじゃないでしょうか?
私たちの社会
20世紀、そして今世紀、私たちの社会は、いいもの、優れたものを追求し続ける社会だったとように感じます。でも、そんなのって、かなり、いや相当疲れますよね。
そして、たまたま、偶然、「いいもの」、「優れたもの」を見つけた者だけが私たちの社会で言うところの「勝者(お金持ち?、有名人?)」になれる。
別にそれはそれでいいのです。だって私は優れたミュージシャンの音楽を聴きたいし、優れた本も読みたい、映画だって観たい、から。
でも、この考え方で一番厄介なのは、たまたま、偶然、「勝者」になった者が「俺っちすげぇ、(生まれついての)才能、能力があるんだぜぇ!」と、自分以外の人間を見下し、さらに搾取、抑圧することなんです。もちろん、そうではない人もいますが。
欧米(もはや欧米だけではないかもしれません)では、進化論の「適者生存」という考え方から、競争が奨励され、今のような社会が「正しい」在り方であるとされてきました。(そのわりには米国では人口の半分近く(だったかな?)が進化論を信じていないのですから、笑っちゃいますが。)
でも、結局それは「勝者」以外の多くの人を疲弊させてきたように思います。もう疲れるから(とは言っていませんが(笑))、そういうのやめませんか?と言う意見が欧米の知識人の中から出てきています。
そのような知識人のうち次の二人を簡単に紹介して、この記事を終わりにします。
「21世紀の資本」トマ・ピケティ
「資本収益率が経済成長を超えるとき、格差がうまれる」と言った経済学者のトマ・ピケティは自身も出演した映画「21世紀の資本」で、モノポリに勝った人は、偶然勝っただけなのに、他の参加者に対して傲慢に振る舞う、と解説しました。本映画では、英国の元首相のサッチャーを労働者階級出身の成り上がり、とまで呼んでいたのが印象的でした。今じゃ英国映画ではサッチャーの悪口を一発入れるのがお約束になっています(笑)
「実力も運のうち 能力主義は正義か?」マイケル・サンデル
まあ、もうこれは本書を読んでいただくしかない。日本語翻訳ももちろんあります。明らかにリベラルだと思われるサンデル教授ですがオバマ元大統領に対して、相当手厳しい。Google N-gramまで使ってオバマの発言を分析、徹底批判しています。