大正デモクラシー期の思想家たち パート1 「天皇は絶対じゃない!」
どうも、Dokokenです。今回は、高校の倫理の授業で習った日本の大正デモクラシーの時期に活躍した思想家たちについてまとめました。これは、私自身の復習のために行っておりますが、何かの機会で皆様のお役に立てればうれしく思います。
まず、「大正デモクラシー」とはどういう意味かについてですが、これは「大正時代の民主主義への動き」という意味です。ではなぜ「民主主義」という言葉を使わないのかというと、この時期はまだ天皇絶対というのが一般的で民主主義を唱えていると弾圧されかねないので、政府の人間が気付かないように「デモクラシー(民主主義)」という言葉を使ったのです。
・吉野作造…民本主義を唱えた
民本主義とは…天皇の主権は尊重しながらも、民衆の意向を尊重しようという考え方
・美濃部達吉…天皇機関説を唱えた
天皇機関説とは…主権は国家にあり、天皇は国家の最高機関(象徴)に過ぎないという考え方。ここでいう「機関」とはパーツという意味。中学生物で習う機関と同義
・河上肇(はじめ)…『貧乏物語』を書き、経済的な視点で問題を取り上げた
→「文明国における多数の貧乏」
・大杉栄(さかえ)…アナーキズム(無政府主義)を唱えて処刑されたことでお馴染みの幸徳秋水の思想を継承。社会主義の視点で、大正デモクラシーを展開
・石橋湛山(たんざん)…自由主義の立場から帝国主義を批判。戦後首相に
「領土拡大反対、軍備撤廃、植民地を放棄」がスローガン
・武者小路実篤(むしゃのこうじさねあつ)…すべての人が、個性を発揮して、調和できる理想の社会を目指した。白樺派の一人。
白樺派とは…雑誌『白樺』の中で、理想の実現を解く人道主義の運動家のこと
・西光万吉…全国水平社で被差別部落の開放を目指した。
「水平宣言」で差別=悪と訴えた
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