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【エッセイ】シンデレラフィットを求めて
シンデレラフィット、それはシンデレラがぴったりのガラスの靴を履けたようにモノがピッタリと収まること。私はそれが大好物である。
引越しと同時に大量のものを捨てた。70の袋に服がおそらく10袋くらいあったと思う。もともと収集癖がある上に多趣味すぎていろんなものが家にあった。服以外にも書籍が大量にあり、パートナーと毎日ブックオフへ通っていた。本も多分100冊以上売ったと思う。片付けも腰が重かったから、引越しでもない限りきっと捨てることができなかったと思う。
ただやり始めると止まらないのも悪い癖で、今度は整えることに燃え始めてしまった。仕事を終えてから夜な夜なゴミ捨てに取りつかれた。パートナーからは
「あれだけ片付けろって言っても片付けなかったのに怖いんですけど…」と笑われた。
「まぁ仕方ないよね。」と笑ってくれるのもパートナーの有り難さではある。よくもまぁ私の性質を理解して頂いて…という気持ちだ。
それと同時にメジャーが私の相棒となった。新居の端から端まで測れるところは全て測る。そしてシンデレラフィットを永遠と探し求めている。
そんな私にまたまた素晴らしいアプリが出現した。
その中も「はこピタ」という。
欲しいサイズの収納を複数店舗から一括検索したり、スペースにぴったりの収納が検索できる。
TikTokやYouTubeの収納アイデアを連日見ながら、ダイソー、セリア、ニトリに足繁く通う日々だ。
死ぬ時に持って行けるものは何もない。集めてもそれは死んでしまったら手にすることは二度とできず、子供のいない私たちには、遺し場所も受け継いでくれる人もない。いつか行政にお世話になり、私が大切にしようとした場所も物も、私が捨てた沢山のものたちと同じ場所へ行き、この世から無くなっていく。
ただ、生きることは、結果なくなってしまうまでに自分がいかに何かに満足するかどうかなのだと思う。自分が満足するなにかを探し、何かを見つけ、何かをなくして、何かを得ていくことなんだと思う。
こじつけでもなんでも構わない。それで自分の何かを満たしていけるのなら。
そんなことを考えながら今もこの世の数多のものから、自分の「満足」にシンデレラフィットする「なにか」を探している。