見出し画像

【エッセイ】悪い考えに飲まれるな

 少し気温が上がったのかなと思ったら、また急降下だったり、まだまだ冬の只中なんだなと思う。

 いつも頭の中には言葉がいっぱいでさまざまなことを考える。脈略がなかったり、よぎった言葉から続けざま新たな言葉を引っ張り出してしまったりする。パートナーに、頭の中がうるさくてしんどいしどんどん凹んでくると伝えたことがある。頭の中だけでなくても私の場合、嫌な言葉を言葉にした途端次から次へとありもしないことまで引っ張り出してしまう。
 例えば悲しい事件のニュースを目にする。気づくようになってしまったからなのか、やけに暗いニュースが増えている気がする。誰それの訃報だとか見てしまうと、自分は後何年生きるのだろう→パートナーが急に死んでしまったら→生きていられないけれど自らは死ねない→パートナーが亡くなったらなにを糧に生きていけばいいんだろう→お葬式の時私はちゃんとできるだろうか→どうしよう、死んでしまうかもしれない。などなどまだまだキリが無い。そこにちょっとズレたことが間に思い浮かんだりするが、それも大体、自分を痛めつけるようなことばかりだ。
 大体、生死に関わるようなことが多い気がする。パートナーと出会ってから、『考えてもどうにもならないことは考えない』と以前よりは思えるようになったが、自分の調子がいかんせん悪いときには考えを逸らすのがとても難しい。
 頭ではわかっている。人は誰しもいつかは死ぬし、それが早いか遅いかは本当にわからない。全てが運や巡り合わせで考えて思い通りになるものじゃあない。頭の中では理解していても、どうしても引っ張り出してきてしまう。

 ある時パートナーに頭の中がうるさくてしんどい、という話をしたことがある。パートナーは考えの深みにはまることは全くない。彼の人生の目標は「凪で生きること」だ。目標は小さい頃から定めるものだと思っていた。それも〇〇を成し遂げたい、とか、〇〇の為に頑張るとか。もちろん彼のそれも目標ではあるのだが、私には思いもよらない目標だった。なにかをやらなければいけないんじゃないんだとハッとした。
 だから、人はいつか死ぬし、考えてもどうにもならない、なにかが起きたらなにか起きた時にどうすればいいか考えればいい、といつも言っている。

 しんどい、と言った私に彼はどういうことをどんなふうに考えているのか問うた。これこれこう、と説明をすると彼は、
 「芋を掘り過ぎだな!」といった。
 なんのことかわからずぽけっとしていると、
 「あなたは芋を掘っていて、たくさん掘りすぎてどんどん芋が増えてしまっている。それを見て、わー!!どうしよう!!って言ってるんだよ」  
 「芋を掘ったらどんどんどんどん出てきてそれに埋もれてる。それこそ芋づる式にね。芋をひとつ掘ったら、どう料理するか考えてみな。」
 「考えることは悪いことじゃないし、あなたの特性なのだから、考えてもいいけど、どう料理するかを考える。考える物事を変えるんだよ。」
 「増えてしまった芋をどうするかじゃなく、いっぱい出たなと俯瞰して、いろんな種類の料理ができたらいいじゃん」と、言われた。

 料理!!そんなこと思い付かなかった。いろいろなことを考えているけど、やはり自分のことだから、自分の考えしか出てこないのだ。考える視点を変える、というのは以前から実践していたがうまくできなかった。それをまさか芋に例えるとは…と感嘆した。

 とはいえ人はすぐには変われないので、もちろん今もたくさん芋を掘り続けている。ただ、料理までは辿り着けていないが、どうしよう…となって辛くなる頻度は少し減った。たくさん芋を掘ったなぁ、と芋を眺めることがほんの少しできるようになった。
 
 この話をパートナーとしたのは翌日も仕事の深夜だった。
 「なんか俺いいこと言った気がする!まぁ明日には忘れてるな!明日もねみー!」
 と、笑い飛ばしてくれる彼を、私はとても好きだと思った。

いいなと思ったら応援しよう!