からあげクンのレッドが注文できる吃音のない世界。
辛いものが割と好きなタイプだからからあげクンはレッドが食べたい。
「からあげクンの、、レギュラー1つ下さい。」
なぜだ?なぜレッドが良かったのにレギュラーにした?
言えなかったのだ。「レッド」が。
吃音があると普段の生活がこんなことばかりだ。
吃音を持つ人は言葉が出ないと感じたらその場で違う言葉に言い替えて話すことがよくある。
例えば、患者さんに対して「体温測りますね。」が言えない時は、「お熱測りますね。」と言い替えたり。同じ意味の違う言葉を瞬時に考えて話している。普通に話すのも頭を使うから一苦労だ。
昨日だってそうだ。塩ラーメンが食べたくてラーメン屋さんに行ったはいいが、塩が言えなくて味噌ラーメンを注文したのだ。こんな悲しいことがあっていいのか?800円もしたのに、、。
食券制にして下さい。神様、お願いします。
そんな、日々を送っているがもし自分に吃音がなかったらどうなっていたのか。少しだけ想像して書いてみます。
①スタバに行った時にカフェラテではなく、キャラメルフラペチーノを注文することができる。 ②行きつけのラーメン屋さんで塩ラーメンを注文することができる。 ③からあげクンのレッドを注文することができる。 ④マックのドライブスルーを活用することができる。(言葉がすぐに出ない可能性があるから毎回店内に入って注文してます) ⑤自己紹介、発表に時間をかけずに恥をかかずに終えることができる。
ここでやめときます。想像してみたらキリがない。周りの人が普通にしていること全てが羨ましく感じてしまう!!
なんて厄介なやつなんだ吃音というものは。
でも昨日食べた味噌ラーメン美味しかった。吃音がなければ、あのラーメン屋さんの味噌ラーメンのおいしさに気づくことはできなかっただろう。
最近の困り事は学校の教務室の入退室だ。
学校の決まりとして、教務室に入る時は「失礼します。○年の○○です。○○先生に用事があって来ました。」と言わなければならない。
これまた言えないのだ。コンコンとドアをノックして入った後、その先の言葉が出ないのだ。当然教員は、自分に吃音があることを分かっているから言葉が出ないことに何も言ってこないが。教務室に入った後の全教員の視線が自分に集まる瞬間が大っ嫌いだ。あの優しい笑顔、余計に辛くなる。からあげクンのレッドが注文できないことよりも辛い。
吃音のない世界が羨ましくて、せめてnoteの中だけでも吃音のない世界を想像してみたくて書いた文章。読み返したら食べ物のことばかりだった。なんだ、自分が思ってたよりも「吃音のある世界」と「吃音のない世界」に大した違いなんてないじゃないか。
味噌ラーメンで我慢しておいてやるよ仕方ない。
からあげクンのレッドを食べているそこの君、レギュラーだって美味しいんだぞ。
マックのドライブスルーを利用している人たち、店内に入ると店員さんの笑顔が見れるんだぞ。
塩ラーメンが食べたければ、食券制の山岡家に行けばいいじゃないか。簡単な話だ。
自己紹介をスムーズにできる周りのみんな!!!それはちょっと羨ましいな、、。
そして僕は今日もカフェラテを注文する。