建学の精神
「学びたいひと」と「共に学ぶひと」がいれば
そこはいつだって「学校」になる
いつでも、どこでも、だれでも、生徒にだって先生にだってなれる。
そして、それこそが学びの本質であり、面白さである。
そんな想いでつくられたのが「どこがく」です。
十数年、いわゆる学校で教師をつとめてきた私たちはようやくここにたどり着きました。
みなさんにとって「学校」はどのような場所ですか。
私たちは仕事柄、たくさんの生徒達、先生達、保護者の方達と出会ってきました。
豊かに生きて欲しいという願いは同じはずなのに、なぜか仲間になりきれない...
その理由がわかるようでわからず、相手のせいにしそうになったり、自己嫌悪に陥ったり...そんな日々を過ごしてきました。
きっとそれは私たちだけではないでしょう。
ーー最近の教師はろくなやつがいない、質が悪い
ーー最近の子ども達は「自分」を持っていない、弱い
ーー最近の親はわがままだ、未熟すぎる
そんなネガティブな評価が世間にはあふれています。
本当にそうなのでしょうか。
ネガティブな視線を感じる中で、私たちはどんどん縮こまっていきます。
気づいたこと、伝えたいことがあっても、声に出せば「やっかいもの」だと見なされてしまうのではないか、「わかっていない」と思われてしまうのではないかと皆がいつも不安です。
せっかくの「アドバイス」も、今の自分を脅かす敵に感じてしまうことも少なくありません。
いつから、なぜ、こんなにも「学びの場」が苦しい空間になってしまったのでしょう。
「どこがく」は何かを脅かす存在ではありません。誰かを傷つけるものでもありません。
生徒、先生、保護者のそれぞれの「いま」に豊かな刺激を与え、明日がちょっと楽しみになる、そんな存在になるために生まれました。
人は生涯学びつづける
一人で?
せっかくなら、みんなでの方がきっと面白い。
さあ、どんなカリキュラムを描きますか。
「どこがく」に今用意されているのはこの建学の精神だけです。
これから出会うひと、起きるできごと
そのひとつひとつのピースが、「どこがく」を育てていってくれるでしょう。