あなたの一言で私は書き続ける
小説家になりたかった。
というのも、朝起きるのが苦手だったから。学校に行くために7時に起きることが辛くて仕方なかった。中学は何度遅刻をしても留年しないので良かったけど、高校は1限の授業をあと1回遅刻したら留年、というギリギリのところだった。
そのころ私の中で小説家とは「寝起きが自由で、好きな時に起きて文章を書いて、自由に過ごせる最高の職業」というイメージでしかなかった。小説家のインタビューか何かを読んだのかもしれない。記憶は定かではないが、朝起きて会社や学校に行かなくても良い、という点でとても魅力的な仕事だと思っていた。
高校を出て、ややあって会社勤めをしたり、ポールダンスをしたりする中で自分の中の「小説家」及び文章を書く仕事、へ対する意識が変わっていくのを感じていた。
文章を書くのが好き。ブログは中学生から毎日書いていた。主に機能不全家庭の愚痴、将来のこと、叶いそうもない夢。思ったことのすべてを、ネット上に書き散らすことで日々をやり過ごしていた。そうでもしないと、発狂してそうだった。自分一人で抱えきれなかったから、ネットの海へ放流した。
そうしているうちに自分の文章を褒められることがあったり、良いものが書けたな、と思うことがあったりして、これが本当に仕事になったらいいのにと思い始めた。
小説家、ではないかもしれないけど、文章書く人になりたいな。エッセイや旅行記を読むのが好きだから、自分も日々のなんでもないことや旅行した時のささいな気づきを書き記していきたい。
そんな思いを抱えたまま、私はポールダンサーとして夜の7時から深夜3時まで週6で働いていた。生ビールの樽を運び、キッチンでポテトをあげた後に衣装に着替えて踊る。ショーが終わったら身支度をもう一度整えて、接客もする。
そんな折に、一人の編集者と知り合った。お店にお客さんとして来た彼と最近読んだ本や好きな画家の話をして、あっという間に仲良くなった。話をしているうちに、彼が書籍の編集をしてること、名だたる作家の担当であることを聞いて私は彼に興味を持った。彼だったらもしかしたら、私のこんな気持ちをわかってくれるかもしれない。
文章を書いて身を立てたい、という話を彼は真剣に聞いてくれた。自分の書いたものもすべて見せた。あなたの文章は独特でとてもいいよ、短いものが多いからもっと長い文章を書くといい。書けたら見せて欲しい。そう言われて舞い上がった。その上で彼は「ブログをやめて縦書きの文章を書きなさい」と言った。
ブログは横書きの文章で、書籍は縦書き、横書きの文章と縦書きの文章は違う。まずは縦書きの文章を書くこと。それからエッセイや旅行記というのは、ある程度名が知れた人が書いてこそ売れるもの。いきなりそこから入ることはできない。僕だって書けるものなら、旅行記書きたいよ。でも売れないからね、著名人のもの以外は。と彼は言った。
あなたが本当に文章を書いて身を立てたいのなら、最初は小説を書きなさい。エッセイは事実しか書けないけど、小説は物語の中であなたが本当に伝えたいことを書けるから。
彼の言うことはもっともだと思ったし、プロの言うことは痛いほど心に突き刺さったが、私はエッセイと旅行記を書くことをやめなかった。ブログも続けた。縦書きの、つまり紙媒体で文章を書く機会にも恵まれたが、だからと言って意識して紙に向けたものを書くことはしなかった。目の前にあるパソコンに向かって書き続けた。ブログや個人的なSNSに思いの丈をぶちまけてコメントをもらって承認欲求を満たすこともあれば、誰にも見られない場所に私的な思いを書き綴ることもあった。
今、私はnoteで月額課金マガジンをしたり、ブログを書いたり、ブログのおかげで電子書籍という形で出版が決まったりと、自分が望む形で執筆活動ができている。彼の言うことは一つも聞けなかったが、私がやりたかったことを実現できた。今は自らを「文筆家」と名乗っている。今の私を彼が見たらどう思うだろうか。
紙の本を出すことはとても素敵だと思うし、あの頃私はそれこそが「文章を仕事にする人の在り方」だと思っていた。紙媒体で書くことが素晴らしいことで、紙の本を出してこそ一人前。彼から紹介された著名な作家と自分の間に、途方も無いくらい高い高い壁を感じていた。
あれから何年も経ち、世界の変化は止まらない。
この広大なネットで私は文章を書き、私の書いたものはたくさんの人に読んでもらう機会を得た。ブログとnoteと電子書籍というやり方は、パソコンとインターネットが欠かせない自分の生活スタイルにとても合っている。何よりほとんどの作業を自分の裁量のみで動かせるのがいい。自分のペースでできる、ということが私にとってはとても大切だからだ。
「自分のやり方」を見つけられてよかった。読んでもらえたら嬉しいし本が出せたら最高だけど、それよりなにより私はまず「書くことが好き」なのだから。好きなことを好きなペースで続けられる、それに勝ることがあるだろうか。
残念ながら文筆家と名乗っていても、早起きしなければならない時もあることも分かった。文筆業はそんなに自由な仕事ではなかったのだ。締め切りだってある。1時までポールダンスしていて家に帰ってお風呂に入って寝たら2時半、なのに朝原稿を書くために8時に起きてカフェに行っている。眠くて仕方ない。
だけど、楽しくてやめられない。
やりたいことがまだまだたくさんある。
すべての人に認められ褒めそやされる形でなくとも、続けていいんだと思った。中途半端でも、パーフェクトな在り方でなくても、私はこれからも自分は「ポールダンサー」で「文筆家」ですと名乗るだろう。そしていつかまた、あの時の彼に会いたい。なぜなら今私がここでこんなクソ長い文章を朝8時に起きて眠い目をこすりながら書いているのは、すべて彼があの時「あなたの文章は独特でとてもいいよ」と、たった一言、言ってくれたからなのだから。そのたった一言で、数多いるプロの作家を担当している彼の一言で、私はキーボードを叩くことを今日まで続けているのだから。
おわり。
Yさん、見てないと思うけど元気ですか。私まだ書いてるんですよ。しぶといでしょ。いつか書いたものを渡しに行くので、また感想聞かせてください。
投げ銭してくれたらあなたにも私にもいいことがあるでしょう。たぶん。