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悪習は次世代への加害

 タバコを吸っている人に出くわす。
 にごった煙を口からぼうっと吐く。魂が抜け出る瞬間のようだ。実際、抜け出ているんじゃないか。あの死んだような目つきーー。
 他人に気付くとあわてて携帯灰皿なんか取り出したりして、「マナーを守ってますよ」とアピールする。ときにはそれだけでは足りずに、「なんか文句あんのか」という顔をすることもある。
 どこへ行っても肩身の狭い思いばかりして、かわいそうに喫煙者というのは、世間から迫害されている気でいるのだ。

 私は二十代のうちにタバコをやめた。それでも吸い始めたのが14の頃だから、十年以上もニコチン漬けだったわけだ。
 ひどい時代であった。日本全体がアルコールとニコチンで充満していた。どこの子供も生まれたときから酒の臭いを嗅がされ、副流煙を吸わされ、中学に上がる頃には立派な依存症である。

 クラスに不登校気味の男子生徒がいたのを思い出す。小学生の頃に相撲だか柔道だかをやっていたようで、漫画の悪役のように図体も態度もデカイやつだった。どんなに荒んだ家庭環境だったのか知らないが、そいつが度々「社長出勤」してくるのである。昼頃になってふらりとくわえタバコで教室に入ってくるのだ。
「やあ、みんな。やあ、先生。おれ、今日はがんばって学校に来てみたよ。いやぁ、教室で吸うタバコはうまいねぇ」

 なんといっても当時は職員室からして無法地帯であった。生徒には飴玉ひとつ許さず、体育の授業中に水を飲むことすら禁止しておきながら、職員室はタバコ、コーヒー、ジュース、お菓子、カップ麺であふれ、まるで宴会場のようであった。(就業後にはビールで乾杯することもあっただろう)
 そんなバカげた環境で、生徒が隠れてタバコを吸っているのを見つけては停学だなんだと騒ぐ教師もいれば、くわえタバコで重役出勤する14歳に対し、「よし! よく来た、えらいぞ! ほれ、タバコを消して席につけ! みんなで待ってたぞ」なんて言って受け止める熱血教師もいた。
(どうであれ大人はみな自分を棚に上げて好き放題に白黒を決め、子供はその言いなりであった)

 依存症は、大人になってから悪習を覚えて発症するのではない。子供のときに大人から引き継ぐのだ。我々は被害者なのだ。
 だからこそ、私はタバコをやめた(酒も同様である)。我々が被害者ならば親世代もまた被害者だったのであって、悪習の連鎖はどこかで断ち切らなければならない。そうでなくてはいずれ自分も加害者である。悪習は次世代への加害なのである。

 タバコなんてものはもう、今日やめてしまうのがよろしい。
 もちろん簡単ではない。「タバコをやめると太りそう」とか「法律違反でもあるまいし」とか「個人の権利を奪うな」とか「誰にも迷惑はかけてない」とか、言い訳は後から後から沸いてくるのである。
 しかし世の中を見渡せばタバコを吸うデブは山ほどいるし、何事であれ自ら手放すことをしない者はいずれ他から奪われることになるのが世の常である。上品ぶって喫煙ブースだ排煙システムだなんだと言ったところで結局どこかには排出されているわけだし、そんなの人前ですかしっ屁をこくようなもんでしょうよ。すかしっ屁は迷惑でしょうよ。卑怯でしょうよ。

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