胴長短足の美意識
私はどこからどう見ても、痩せてる人ではない。骨太で、筋肉質で、顔もデカく、肩幅もガンダム並みで、絶望的に脚も短い。レゴの住人か、普通にゴリラだ。
そんなだから当然「華奢ですね」とか「細いですね」などとは人生で一度も言われたことがない。ところがどっこい (相撲取りかw)、不思議なほど「スタイルいいですね」とはよく言われるのであった。ーー体重計に乗って数値を見比べたならば、きっとあなたのほうが基準値に収まっているはずなのだ。私などは到底、規格には及ばない。良く言えばモンロー体型、悪く言えばレスラー体型である。(君、自衛隊の人? と言われたこともある・・・)
そもそもが、マリリン・モンローもかなりの重量級だ。加工されたポスター画像でしか(というより当時は絵であるが)見たことない人もいるだろうが、映画の中の実物の彼女はむっちむちのレスラー体型である。それでも彼女が魅力的なのは、自分を他の基準に当てはめず、胸をはり、大きなお尻を振って堂々と歩く、あの自信だ。自分の魅せ方を心得ているのであり、つまりは自分自身を知り尽くしているのだね。
「自分を知る」とはつまり現実を直視することであり、それがいかに難しいことであるか、朝から晩までせっせと現実逃避に勤しむ諸君には分かるまい。私も30まではそうだった。中身のない空っぽな人間であるがゆえに、外見を着飾っては他人を欺き、酒を飲んでは惨めさをごまかし、自分を称賛(利用)してくれる人々の間を渡り歩き、偽物の価値にすがり、なんとか自己を保っていた。ーーが、幻想はもろい。いずれ崩れる。
今の私は絶対に(たとえ部屋着であろうとも)自分の着たくない服は着ない。例えば、私よりずっとセンスが劣るであろう見知らぬ男性目線で自分のスタイルを決めるなどなんのメリットもないし、近年の主流であろうとも、オーバーサイズのジャケットやゆったりシルエットのパンツを身に付けようとは思わない。なぜなら胴長短足の私にはそれは似合わないからだ。何でも着こなせるのはモデル体型の人だけである。
私はとことん、自分が規格外であることを知り尽くしたのだ。だからいつでも自分基準で物事を考える。自分の体にフィットする服を着て、堂々のモンローウォークで姿勢を意識してゆっくり歩く。誰のためでもなく、自分の快適さのためにそうしている。「ゆっくり歩く」のも私の譲れないこだわりだ。「歩行速度の遅い人は老化がなんちゃら・・・」という世間の基準など私にはなんの価値もない。移動であろうと、家事であろうと、大事なプレゼンであろうと、農作業であろうと、すべての動作は美しくなくてはいけない。それは「心」から生まれるものだからだ。のんびり歩く人を颯爽と追い抜いて優越感に浸ったり、慌ただしくぶわっと風を巻き起こして辺りに生活臭をぶちまけて行ったり、ガツガツガツガツとドヤ顔でハイヒールの騒音をまき散らしたりするのは、私の美意識に反する。
幸せになりたいのなら、自分基準を採用するのが確実な方法よね。でもきっと他にもいろんな方法があるし、まれに他人基準でも幸せになってしまう果報者がいることも事実だ。そういう人はきっと、自分のことを深く理解してくれる人と素晴らしい関係が築けているということなんじゃないかな。それって最高ね!
では、今日はこの辺で。(弁当食べるよ)