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一年の終わりに、自分と

 朝、がんばってカーテンを開ける。冬の空はぼんやりと白い。結露した窓に指で落書きをする。とびきりの笑顔のニコちゃんマーク。水滴が滴り、あっという間に泣き顔に変わる。


 今年もいよいよ雪が積もってしまった。この時期の我々には「雪かき」という強制労働が課せられる。筋肉痛やら腰痛やらにも悩まされ、あっちでもこっちでもゾンビのようなうめき声があがる。

 冬の間、ご近所さんと居合わせても我々はほとんど会話をしない。苦痛に顔を歪ませ、苦笑し合ってやり過ごすのが、冬の間は一般的な挨拶である。夏の間「暑いですね」とは言うが、冬に「寒いですね」とは言わないのだ。体温温存のため口を開ける機会を極力減らし、冷たい空気を体内に取り入れないための本能的な知恵が我々には備わっているのである。(それこそが東北人は口数が少なく「コミュニケーション弱者」と誤解されバカにされてきた由来でもある)


 憂鬱な気分のまま朝食を食べ、憂鬱な気分のまま身支度を調え、雪かきスコップを持って外に出る。黙々と作業を開始する。「いい事など何もないのだぞ」と言い聞かせる。サンタも来ないし、ケーキもないし、年越しも誕生日も、これからもずっと一人だ。365日ないしは366日が、毎年毎年なんの音沙汰もなく過ぎて行く。「これが私の望んだ自由というやつなのだ! おりゃー!」(雪かきは気合いです)


 温暖化の影響か、ひどく雪が重い。昔のようなさらさらのパウダースノーなんて、今後は日本では見られなくなるのかも知れない。すべてが変わって行く。子供の頃はスキークラブのみんなでバスをチャーターして山のてっぺんまで運んでもらい、半日かけて里まで滑り降りてくるバックカントリーが大好きだった。昨今の雪質では雪崩の危険性が高く、ウィンタースポーツもなかなか危機管理が大変である。おかげでバックカントリーも今では「自然をなめきったバカがすること」と誤解している人も多いことだろう。(バカがやっているのは危険な立ち入り禁止エリアへの不法侵入である)

 例えば、熊といえば動物園でしか見たことのない人間が、住宅地に現れる野生熊の駆除に対して安全な場所から抗議したりする。だがそれももはや仕方がない。この世はすでに、自然に触れたことのない人間(本人はそうは思っていないだろうが)で溢れている。今後、人間の必要のすべてはVRで賄われるのだ。地球に住んでいながら地球に触れずに生活するのがこれからの人類である。実際に自然の中へ出掛けて行くような効率の悪い人種(私もそうであるが)は、早々に絶滅することだろう。これが進化というやつだ。我々が死ぬことで次世代が生まれる。そして果ては人類が絶滅することで、それに代わる何かが生まれるのだ。生まれる者のゴールは常に「死」でなくてはいけない。今年が終わらなければ来年は始まらないのである。悲観することは何もない。


 1時間もベタ雪と格闘していると、体も暖まり、それなりに気分も変わるものだ。思ったほど悪い日ではないのかも知れない、という気がしてくる。
 見上げた上空を、白鳥が優雅に飛び回っている。人間のことをなんと思っているだろう。いくら自由といっても、あんな風には私は逃げられないのだ。ずっと地面にへばりついていなくてはいけない。どこへも行けず、取り残された気持ちになる。気分が揺らぐーー。


 年が明けたら46歳だ。立派なアラフィフだ。それでふと思う。もしかしたら、自分にもっとご褒美をあげてもよい年齢なのでは? サンタは無理でも、ケーキはありだ。誕生日だって、一人で盛大に祝う年があってもいい。そもそも誕生日に限定する必要もない。平日にはしゃいだっていい。どうせ一人なのだ。誰も見ていない。Hooray!


 ーーそしてそんなアイディアも、明日の朝にはまたバカバカしく思えるのかも知れない。それでも、自分を軽蔑しないことだ。来年の目標はそれだな。めまぐるしく変わってゆく世の中で、めまぐるしく浮き沈みする自分を、置き去りにしないようにしよう。ちゃんとかわいがろう。私はせっかちだから、来年の目標も今すぐに始めちゃう。とりあえずは自分好みの濃いミルクティーをたっぷり淹れて。それからお楽しみを考える。自分と一緒に。


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