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完璧な顔

 イギリスの美容整形外科医がCGで作成した「完璧な顔」を見た。これまでの患者の希望(なりたい顔)を総合して作ったものだそうだ。

 パーツのひとつひとつは有名人から拝借したもので「目はキーラ・ナイトレイが最高、鼻はキャサリン妃よね、頬はアンジェリーナ・ジョリーで・・・」といった具合に世の女性たちの憧れを合成していき、そうして出来上がった顔は当然「美人」以外の何者でもないわけなんだけど、私の個人的な感想としては「どこにでもいる顔」ーーであった。


 美容整形というのはやはり、コンプレックスの解消なんだね。悪い部分を削除する術。顔のイボとか、デカい鼻とか、アゴが無いとか、馬面とか丸顔とか、一重とか二重とか、自分の気に入らない部分を消すのが整形なのだ。つまりは規格外のパーツ(他人とズレてる部分)を失くすのであるからして、整形するとみな同じ顔に近づくのも当然である。

 今どきは「量産型女子」などという言葉もある。最近の若者たちは、他人(誰か)と同じになることで、満足感や安心感を得るのだそうだ。彼らのコンプレックスはもはや、生まれ持った規格外のパーツというよりは、ただ「他人と違う」ことが不安なのであり、例えば推しが鼻の形を変えたなら、自分もそうしなければ気が済まないのである。


 現代人にとって今や美容整形は「覚醒剤代わり」だ。高額で、刺激的で、健康を害しても、生活を破綻させても、モンスターと化しても、やめられない。


 海外に長期滞在した後で、久しぶりに帰国して日本のテレビを観たりすると「誰これ!?」というほど、有名人の整形っぷりに驚く。
 クイズ番組などで、ゆっくり変化してゆく画像の違いを当てる問題とかあるでしょ。卵焼きが目玉焼きに変わってたりするのに、あれって意外に気付かないよね。変化というものは、見続けているとさほど気にならないものなのだ。髪の毛とか「今朝もぐんぐん伸びてるなぁ!」とは思わない。年齢もそうでしょ。毎日、顔を合わせているとぜんぜん気付かない。昔の写真と見比べてみてようやく「あら、私たちも年取ったわねぇ」と感じるのである。逆の原理で、髪を切ったり、久しぶりに会ったりすると、その変化がよく分かる。ーー整形していればなおさらだ。


 そういうことを考えるとだよ。もしも好きな人がいるなら、(ダウンタイム明けに)久々に整形顔で会いに行くより、毎日毎日、できるだけ一緒にいて、自分の顔に愛着を持ってもらうことのほうが勝算はあるように私は思うのだが。(まぁ、整形というのは自己満足だものなぁ)


 例えばSATCのキャリー役であるサラ・ジェシカ・パーカーだ。鼻デカ馬面、低身長、がに股と、美容整形的美人規格からは外れまくっている。ーーが、そんなことはどうでもいいくらい彼女は魅力的な「主役級の顔」をしている。彼女の前では「完璧な顔」の美人も、彼女を引き立てる脇役にしかなれないだろう。「他人とは違う」ことに、彼女のスター性がある。60歳になった今も、整形もせず、白髪も染めず、しわくちゃの顔で堂々と人前に現れ、相変わらず抜群のファッションセンスを披露してくれる彼女は、最高に美しいと思わんか。


 美容に何千万を投資するセレブたちが称賛される一方で、サラのように堂々と年をとってゆく人々もいる。どういう生き方をするのが自分にとっての幸せなのか、私もあなたも自由に選べるのだ。
 私はもちろん、規格外の女だ。アンパンマン顔だ。今さらジタバタしてどうなるよ(笑)


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