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ミニマリストが本当に欲しいもの

 実家がゴミ屋敷なので、私はどちらかというとミニマリスト思考だ。整理整頓が行き届いていない状態では心安らかに暮らせない。掃除は常にしている。生きていれば汚れるし、汚れたら片付けるのは当たり前だ。衣服にしろ、キッチン用品にしろ、文房具のメモ帳やボールペンひとつにしろ、自分の意図しない物を所有しているのはストレスである。買う物はいつも決まっているし、在庫を買い足す量もタイミングも決まっているし、買って失敗だった物は使い切るなり処分するなりして「同じ過ちは繰り返さない」と誓う。

 そんな私が今、買おうかどうか迷っている物がある。ーー木彫りの熊だ。

「え? ミニマリストってそんなもの買っていいの?」とか言われてしまいそうだが、ミニマリストだからこそ、本当に欲しい物を買うのである。(木彫りの熊どんだけ欲しいんだよ)


 木彫りの熊といえば、一般市民が観光旅行をするようになった時代に北海道で土産物として作られたのが始まりだそうで、当時は自宅の玄関に木彫りの熊を飾るのが日本人のステータスだったようだ。その後すぐに旅行といえば海外が主流になり、悲しいかな北海道土産を自慢気に飾ってるやつは「くそだっせぇ」ということになるのである。量産し過ぎたのもその価値を落とす要因となったでしょうよね、いつの間にやら木彫りの熊は「ぜんぜん欲しくないお土産品」として陰ってしまった。

 一方で、鮭をくわえた熊の躍動的でユニークなイメージは広く浸透し、現在では置物に限らず、イラストやらぬいぐるみやらお菓子やら、趣味やアートとしても愛されている。
 まぁ、少なからず「木彫りの熊」のファンはいるということで、私もその一員ということになろうかーー。


 とは言え私とて、本場北海道のがんこ親父が精魂込めて彫ったようなゴリゴリの熊が欲しいわけではない。先日、近所のリサイクルショップで出会ってしまったのだ。かなり自分の理想に近い熊である。荒々し過ぎず、おしゃれ過ぎず、適度にアンティーク感があり、台座がない辺りもシンプルで良い、何より顔が優しいじゃないか。小ぶりの鮭をくわえて上目遣いで私のことを見つめてくる。捨て猫ならぬ「捨て熊」の目だ。保護したいーー。値段はまさかの300円である。本場感 (がんこ親父感) の無さが安さの理由であろうか。
 ただ、欲しいと思っていたよりちょっとばかりサイズがデカい。書棚にブックエンドの役割も兼ねて飾りたかったのだが、おそらく棚からはみ出してしまうのではないかな。うーむ。


 こんなことを言うと、「たかが300円で何を悩んでんの?」と思われるかも知れない。
 ーーが、これは大事なことだ。たとえ100円であろうと、半額であろうと、あるいは無料であろうと、考えなしに手を出すのでは生活はあっという間に荒んでしまう。そこに違和感を感じられない人が、将来、ゴミ屋敷の住人となるのである。あるいはもうすでにそうなのかも知れないね。

 ああ、まずい。憂鬱に支配されそうだ。実家のゴミ屋敷は今後どうなってゆくのだろうな。つらいなぁ。


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