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社会不適合者とサンタクロース
せめて夢の中では楽しく、と思うのだけど。昨夜もかなり自己懲罰的な夢を見ていた。
「欲しがってはいけない、羨んではいけない、食べてはいけない、迷惑を掛けてはいけない、いけない、いけない、いけない・・・」
ーー何時代だよ。戦時中の亡霊にでも取り憑かれているのか? 目が覚めて、自分のことが情けないやらかわいそうやら、もはやあきれてしまう。
子供の頃には、サンタクロースからプレゼントをもらうことにさえ不信感のようなものを抱いていた。世の中の仕組みが理解できず、自分にその権利があるのか、資格があるのかどうか、後で怒られるのではないか、試されているのではないか、常に悩んでいた。
そんなプレッシャーに耐えきれず、逆にサンタクロースにプレゼントをあげてしまったこともある。「どうぞ食べて下さい」のメッセージカードとともに枕元に大量に置いておいた飴玉が、ひとつ残らずなくなっているのを見つけて「よかった、これで許してもらえる」そんなことを感じたものだった。私の初めての「賄賂」である。
ーー私は、社会不適合者だ。人前に出たときに、どういう行動を取るべきなのかが分からない。みんな(人間たち)が何をしているのかが理解できないためだ。
私に理解できていたことといえば、朝は起きなければいけないこと、夜は寝なければいけないこと、朝昼夜と食事をすること、大人に従わなければいけないということ、歯を磨けと言われたら磨くこと、風呂に入れと言われたら入ること、ーーそんな程度だ。時間の感覚も無く、曜日も理解できなかったし、学校の時間割も理解できなかったし、毎年、自分の年齢が増えていくことも理解できなかった。小学校の次は中学校へ行き、中学校の次は高校へ行き、高校の次は大学へ行き、大人になったら就職しなくてはいけないんですよ、ということも理解できなかった。お金を稼がなくては生きていけないということも、いまだに理解できていないーー。
例えば、「私たち並んでるんですよ!」と怒られたりする。でも私には分からない。道行く人と、立ち止まっている人と、並んでいる人との違いが私には見えづらいのだ。こう言うと、ルールを軽視して社会に迷惑を掛けるようなならず者と誤解されそうだが、まったく逆だ。先に述べたように私は、自己懲罰的、自戒的人間でアル。日和見主義で正義ではなく損得で物を考えたり、みんなと一緒になって赤信号を渡ったり、道路脇の側溝をブラックホールか何かと勘違いしていてそこにペットの糞やタバコの吸い殻を押し込んだり、バレなきゃOK、ずる賢くいきましょー!的な人々とは「お友達」になる気はない。
話し掛けられても応えられないことがある。いつだったか歯科医院の治療室で、やってきた医師が「ああ、雪が降ってきましたね」と言うのが聞こえた。その後で、その医者はとても機嫌が悪くなってしまった。何年も経ってふと、その時のことを思い出したりする。今さら気付いたところで後の祭りであるが、あの医者はおそらく私に話し掛けていたのだ。「無視かよ」そう思ったのだろうーー。
みんなが当たり前にやってのけることが、私には難しい。名指しされたわけでもないのに、目が合ったわけでもないのに、肩をポンと叩かれるわけでもないのに、あっちでもこっちでもお喋りは交わされているのに、どうやってそれを「自分に向けられた言葉」だと判断すればよいのか? 謎だ。
もちろん逆もある。私に話し掛けてくれたのだと勘違いして会話に参加してしまって、笑われたり迷惑がられたり・・・。
ーーあ、ごめんなさい。すいません。間違えました。本当にごめんなさい。
不適合者はどんどん萎縮してゆく。社会が私を小さくする。紙くずのようにくしゃくしゃと丸められて、側溝に押し込まれそうになる。ブラックホールに吸い込まれて、永遠の闇に囚われてしまうのではないかと怖くて眠れなくなったりする。疲れきって、悪夢を見る。私は欲しがってはいけない、羨んではいけない、食べてはいけない、迷惑を掛けてはいけない、やってはいけない、居てはいけない、いけない、いけない、いけない、いけない・・・。