猫も彼氏もいないから
いつからか、髪をブラッシングする癖がついた。現在、持っているブラシの数を数えてみたら、8本もある。携帯用とか、汚れ落とし用とか、艶出し用とか、マッサージ用とか。私には全部、必要ーー。
かといって美髪ガチ勢かというとそんなことはない。ご存知、白髪は染めたことがないし、じつはシャンプーも使わない。おフランス製の石けん1本で、髪も、顔も、体も、全身を洗ってしまう。(なんと安上がりな女だ!)
そのことを昔、ボディショップで働く友人に言ったら「そんなのダメです!ダメに決まってますよ!」とヒステリーに叫ばれてしまった。(まぁ実際、顔と体とでは皮膚の厚さが違うわけだから、彼女の言うことは正しいんです)
それで「石けんの使い勝手が好きならばせめて」と、髪用、顔用、ボディ用と、3つの石けんを買わされた。さすがボディショップだ。どれも最高品質の素晴らしい石けんである。香りも大好き。
でもさ。「めんどくさいっしょ」っつの。
ボディ用で顔を洗っちゃったり、顔用で髪を洗っちゃったり、どれがどれだか分からなくなって結局3つを合体させて「それ1本」で全身を洗うことになるのだ。わはは。
皆さん立派にやってますよ。クレンジングして、洗顔して、ボディソープで体洗って、シャンプーして、コンディショナーとかもして、アウトバストリートメントだとか整髪料だとか。(お金も掛かるんざましょ?)
もとよりポンコツの私に、美しくなってやろうなどという考えはない。いちばんシンプルな方法でトラブルなく快適に暮らせるならそれで十分だ。
私が美容に関して「悩みがない」のは、たんに「悩まない」からである。「悩む」という選択肢を私は持たない。すべてが損なわれてゆくという理に対抗して、あれやこれやと労力を割き、様々な犠牲を払い、その報酬として、勘違いとさえ言えるほどの微量な優越感を得ることは、私にはとうてい割が合わない。価値観はそれぞれだ。
そんな私がヘアブラシは8本も持っているだなんて。我ながらちぐはぐな感じがしないでもない。つまり美髪のためではないんだろう。
(もちろんブラッシングをするようになって圧倒的に美髪にはなったけれども。それが目的なら他にもやれることは山ほどあるわけで)
こうして作業をしていても、休憩代わりにふとブラシを手に取る。外出先でも隙を見つけてはささっとブラッシング。外から帰ってきたときもまずは鏡の前でブラッシング。そして風呂上がりには入念に、「もう寝てもいいかな」という気分になるまで、ゆっくりとブラッシングする。
ブラッシングをすると妙に心が落ち着く、癒される、ということに気づいてしまったのだ。例えば、猫を飼っている人が、その猫をなでるような。恋人が、無造作に頭をなでてくれるようなーー。
今は個人主義の時代だし、嫌いな人と無理して一緒にいるより、一人でいるほうがずっと誠実でいられる気がする。私も独居生活を楽しんでいる。満足だ。なんの不便もない。けれども欠けているものはある。苦手な人とではなく、大好きな人と出会えていたら、きっと得られたであろう喜びや安心感、特別な高揚感。それらが私の人生に欠けていることは事実だ。
存在するだけで自分を肯定してくれるような、無理なく触れ合っていられるような、私には猫もいないし彼氏もいない。ブラシばかりが増えてゆくーー。