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「ぜったい弾ける!」かどうか分かりません。

 ギターの入門書を注文した。似たり寄ったりのタイトルを見比べ、どれを買ったらいいものやらなんの確信もなかったけれど、とりあえず「ぜったい弾ける!」というサブタイトルが付いているものを選んでみた。ーー「絶対」とはどういうことか? なぜそんな嘘を平気でつくのか? そんなことがいちいち気になる、私は「めんどくさい異常者」なんだろう。


 そもそも私がギターが弾けないのは、どこかでやはり拒否感があるのだろうと思う。ずっと「ギター教えてあげるよハラスメント」を受けてきた。
 中学生、高校生の頃、地元のバンドマンのお兄さん達によく誘われた。彼らは私のファンクラブを名乗ったりして、愉快で優しくて、幼稚で頭の悪い私は、彼らは自分の味方なのだとすっかり信じきっていた。
 ところがギターを教えてもらおうとのこのこ出掛けてゆくと、よくある罠で、バンド小屋に二人きりという状況だったりして・・・。
「これはギターの練習なんだよね? 悪いことではないんだよね?」と頭の中はパニック状態。抱き寄せられたりキスをされそうになったり、性的な会話になったりと、セクハラを受けながらのレッスンではまったく功を奏さず、結局、ギターアレルギーを発症させただけだったように思う。


 私は小さな頃から、犬や男に追いかけ回されるタイプだ。ブスだし、性格もこんなだし、決して好かれているわけじゃない。むしろブスだからこそ、オモチャや性の対象として「都合がいい」ということだろう。
 まわりに相談すると「逃げるから追いかけるのだ」と、そればかり言われた。私が間違っているのだと。それで、もう諦めた。大人になる頃には「逃げずにだまってレイプされる女」になった。


 今だったら女性のギター講師もたくさんいることだろうね。若い女の子がギターを習うために男と部屋に二人きりにされる、という危険を犯す必要もない。
 私は、悪い時代、悪い環境に生まれたのだ。周囲にギターを弾ける女などひとりもいなかった。ーーいや、ひとりだけいたな。他でもない私の母だ。母がギターを教えてくれたことは、一度もない。我が家の生活は荒んでいた。母は生活に追われ、私に無関心のまま歳を取ってしまった。親子になれないまま、あっという間に時が過ぎてしまったのだーー。


 男性(父親)への拒否感や、成就しなかった母親への愛着が、もやもやと私の人生を煙らせている。なんとも見通しが悪い。「ぜったい大丈夫!」とか「ぜったい弾ける!」とか、そんな無責任なことを平気で言う人間が私は大キライだ。ただ、それが「嘘」であるかどうかは自分で確かめてみた後でなくては、批判するわけにはいかない。ーーもしかしたら、本当に弾けるようになるかも知れないのだから。


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