ストーリーが終わる時
前回は『推し活は物語である』として推し活はアイドルとファンそれぞれのストーリーで始まり進んでいくことを述べた。
https://note.com/dokidoki_morin/n/n7024eafc9653
これを上梓した後、様々なことがあった。既術の後藤ひなたの卒業はもちろんのこと、新体制 RABBIT HUTCH の始動、メンバーの追加、新曲発表 etc...…。更に私に降り掛かった様々な事象も含め、今回はその物語(ストーリー)が終わる時のことを述べたいと思う。
ストーリーが終わる時はいくつかのパターンに分かれる。順番にその時を考察していこう。
(今回『物語』ではなく『ストーリー』と表記したのは単なる語感の良さからで他意はない。また文中のアイドルは女性、ファンは男性という関係性で述べている。)
卒業
最もスタンダードな終わりであり、ファンにとっては一番幸せな形だ。なぜなら多くの場合は卒業公演が設定され、心を整えられ、然るべき形でお別れができるからだ。卒業公演を設定されるというのは、アイドルにとっては新しい道に進む決心をしたり、ポジティブなケースがほとんど。ファンにとってはそこで踏ん切りをつけ、推しを心に灯し、プライベートに打ち込むこともできれば、また新たな出会いを求めることもできる。
しかし想いが強ければ強いほど、しばらくは虚無感に苛まれるであろう。それはアイドル本人もそうかも知れない。後藤ひなたの卒業後も、その後鳴りを顰めるファンが多数散見される。それは服部桜子、あんりの卒業後についても同じであった。
しかし確実に、アイドルとファンお互いにとって一番幸せなストーリーの終演であることは確かである。
と、まだ先があるのに、ここで筆が止まってしまった。なぜなら、卒業以外は幸せな形がないことに気づいたからだ。書いても読んでも悲しくなるが、以下についてはそういう前提で読まれたい。
他界
これは本来の意味ではなく業界用語で、大雑把にいうとアイドル個人から別の個人へ、またはアイドル集団から他団体へ推しを変えることを言う。もっと広げればアイドルの推し活をやめ、他の趣味へ転じることについても言うかも知れない。
このケースはファン側の一方的な都合でのストーリーの終わりであり、ある種の権利でもある。アイドルの推し活なんてものは所詮遊びに過ぎず、ファンにとっては選びたい放題なのである。推しの卒業や、ささいな言葉のぶつかりあい、運営と反りが合わない、ただ単に飽きた、なぜか冷めた、一身上の都合、事件・事故、そのきっかけは様々ある。
アイドル側としては、地下でファンと同じく遊びの延長で活動している身であればどうでも良い事象であろうが、メジャーや真面目に活動に取り組んでいるアイドルにとっては傍迷惑な話なのかも知れない。
出入り禁止
アイドル(運営)側が権利を行使しファンを取捨選択する処置がこちら。何かしらの事件が起こりファン側がその現場から拒否されてしまうこともある。当然推しのアイドルには会えなくなり、そこでストーリーは終わる。
とはいえファン側の選択肢は豊富なので、何かを失えば何かを得るの精神で、また他の推しを探して新しい物語を始めるか、もしくは別の世界に転生するのもまた良しである。そういう意味では前述の他界と表裏一体の様相を呈している。
男バレ
これもよくある例で、表沙汰になった場合、こだわりが強い運営によっては解雇の事態にまで発展した例を目にしたこともある。またこれがきっかけにしてアイドル本人も求心力が弱まり、結局は堕ちていってしまった。
ファンの心構えとしては、どのアイドルも99.99……%彼氏はいる、くらいの気構えで臨むほうが気が楽ではあるが、実際に男バレするとファン心理としてはやはりシラけてしまい、相対的にファンの推し変力が強まる。真綿で首を締めていくように徐々に気持ちは離れていき、前術のように他界してしまうようだ。ファンがアイドルに何を求めているかによるが、アイドルが基本的に疑似恋愛を売りにしている業界/業種である以上、ファンがそうなることに批難される言われはない。そして今は代わりはいくらでもいるのである。
和解なきアイドル恋愛禁止論争を展開するつもりはないが、アイドル側としてはこのご時世、恋人という逃げ道を作るのであれば、遅かれ早かれバレるのが当然と思っておいたほうが良い。そして遊びの延長としてアイドルをやるならば、他に何か生き抜く能力を日々高めておいて、早めに引退すると良いのではないか。真面目に取り組んでいる0.00……1%の真のアイドルのためにも。
繋がり
アイドルとファンの関係で最悪のルール違反がこれだ。 チンパンジー並のIQになり下がった本人たちだけが盛り上がり、事務所関係者や親、その他のファンなどの多くの人々の思い出を汚し、悲しませ、失望させる。育成にかけた投資もブランド価値もすべてが一気に無に帰し、自己中心的で誰からも祝われない関係。そんなものが長く続くわけもなく、法的なものも含めそれなりの処分が下った後、多くはその関係は破綻する。
結果、ファン側の当事者はアイドルの神聖さを穢した危険人物のレッテルを貼られ、アイドル側は自分の価値や誇りをその動物的な短絡性で地に落とし、宗教的な崇拝対象から外され、今後アイドルを自称することは困難になる。世俗的存在として表舞台からは消え、ちやほやされる身に未練があればせいぜいコンカフェ嬢になるのが関の山だ。
この例は昨今決して少なくないが、繋がり目的のファンはもはや不治の病であり、それに応じる承認欲求の塊のようなアイドルは、民主化・カジュアル化がもたらした副産物なのかも知れない。ひとえに志の低い短期的目線の思考しか持てない知能(他責思考型、テイカー型の知的障害の傾向)の男女の哀れな人間模様がこのパターンなのである。
巻き込まれた周囲の人間にとってはたまったものではない。
運営繋がり
古くは秋元やすs、いや、話にならないので省略。そういう意味では噂すら立たないつんく♂はPの鏡なのかも知れない。
死別
これも最近になって、年長者であるファン側のお悔やみが X のタイムラインに流れてくることが多くなった気がする。概観するとファンは不摂生な傾向にあるので仕方ない面もあるが、ごくたまにアイドル側の訃報もファンのショックとともに目にする。
それはとても悲痛なものである。しかしこれは生前に何かお互いにインパクトを残せていれば、もしかすると本当の意味でのストーリーの終わりにはならないのかも知れない。
まとめ
以上が挙げうる限りのストーリーの終わりになるが、物事にはいつか終わりが来るのは必定。かつては卒業を売りにしたアイドルグループもあった。日頃からストーリーの終わりを見据え、その時に備えつつ推し活をしているファンもいるだろう。アイドル文化は、かつて天皇を現人神として偶像視していた日本人だからこそ生み出され発展されてきたものなのかも知れない。その絶対的存在でさえ外圧により人間宣言をしたのである。
幸せな終わりにせよ、悲しい終わりにせよ、夢から醒めたその先にあるのは喪失感。失われた偶像に感謝しつつその人間宣言を受け入れ、新しい偶像が眼前に現れるのを待つか、他の趣味に移行するか……否応なしに選択を迫られるだろう。
しかし、そもそもが『推し活』などと宣い、業界が仕掛ける依存ビジネスに乗せられ、見た目だけが良い他人の人生の応援に熱中している場合ではない。その暁には自分の人生にフォーカスをあて、自分や身近な人の応援をし、自らが主役の人生を歩もうではないか。
それが間借りしたアイデンティティを失った悲しみから逃れる、一番の薬なのだ。