見出し画像

ヤク中なら知っておくべき素晴らしい偉人たち

偉人(いじん)とは、歴史に遺るような、並外れて優れた人間のこと

Wikipediaより

つまりこういう人らの事

私は偉人とは程遠いカスのヤク中だが、ふとある事が頭に浮かんだ

(偉人の中にもヤク中がいるのではないか?)

(ヤク中的偉人ランキングとか面白そう)

確かに気になる。

〝東大生100人が選んだ〟だの〝日本人100人が選ぶ〟だのはテレビで散々ぱら見たが大体は織田信長とか、坂本龍馬とか毎回似たような人ばっかり。たまには違う人出せや!

今日はヤク中にこそぜひ知ってもらいたい素晴らしい偉人たちを4名を紹介しておこう。

有名どころだとLSDやってたスティーブ・ジョブズとかビル・ゲイツとか。

噂だとイーロン・マスクもケタミンやってるらしい。あくまで噂だけど。

これを見てるヤク中は是非とも今日覚えてかえっていただきたい。(眠剤大好き系の皆さんもぜひ健忘を乗り越えて覚えて欲しい)

そして東大王やQさまの街頭インタビューで好きな偉人を聞かれたらこの4名の名前をあげていただきたい。


※これはランキングでは無い。シャブは人様にランクとか付けられるほどの価値がないためである。


〝ヤク中1人が選ぶ世界の偉人達〟


1ウィリアム・S・バロウズ

ホモで殺人犯でヤク中

出身地・アメリカ合衆国🇺🇸

職業・小説家📖

一言で言うと〝薬物中毒者の王様〟

自身の著書JUNKY(ジャンキー)でも全ての薬物に手を出したと語っている生粋のジャンキー。

子供の頃は活発な少年で狩猟・釣り・ハイキング等をして過ごしていたとか。

行動的な性格は大人になってからも健在で、

究極のドラッグを求めにアマゾンのジャングルまで足を運んだとか(アヤワスカ?羨ましい)

ハーバード大学在学中は仕送りに頼りながら売春宿やLGBTコミュニティで交流したり(バロウズは同性愛者とも両性愛者とも言われている)麻薬をやったり毎日楽しく過ごしていたとの事。

卒業後も医学を学んだりユダヤ人の女性を国外へ逃がすため偽装結婚したりと波乱万丈すぎる人生を歩む。

住むところを転々としながら仕送り生活を続け、そこでビート世代(第二次世界大戦後のアメリカで席巻した文学界)の様々な小説家と出会い、交流することとなる。

そこで内縁の妻〝ジョーン・ヴォルマー〟とも出会う。

順風満帆に見えたが、1940年に彼女を射殺するという大事件を起こす

2人で酒を飲みながらウィリアムアム・テルごっこ(頭の上に🍎を載せて銃で撃つ遊び、ソナチネでもやってたヤツ)をしていた時、誤って弾丸がヴォルマーに命中、そのまま絶命してしまった

バロウズはホモセクシャルの傾向があったが夫婦仲は良好だったため、一連の事件は事故としてバロウズは無罪放免となる

1953年にデビュー作のジャンキーを執筆するが全く話題とならず、小説家を諦める。

その後アレン・ギンズバーグに勧められて書いた小説こそ〝裸のランチ〟である。

彼の代表作〝裸のランチ〟は今までにない表現技法である「カットアップ」を採用

~カットアップのやり方~

1小説を書く

2ハサミで切り刻む

3いい感じに貼っつける

正に小説版コラージュのような技法である


卑猥すぎたためアメリカ政府から発禁処分を受けてしまうが、かえってこれが話題となり一躍人気小説家に、〝裸のランチ〟は、実験小説の雄という異名まで付けられる

その後はドラッグから完全に足を洗い禁煙まで成功させる。しかし65歳で再びヘロイン中毒に

メサドン(オピオイド系鎮痛薬)によるい維持治療を続けながら83歳まで長生きする。

ここまで読んだ人の中にはこんなやつただのキチガイジジイだろうと思った人も少なくはないだろう。

しかし彼には今日まで熱狂的なファンが世界中に存在し、カート・コバーンもその1人だ。

今までにない表現技法を発明するというのは普通にすごいと思う。0からモノを作れる人は誰でもすごい。

ジャンキーはヤク中なら一度は読んで欲しい迷作である。内容は淡々としているが、アングラ自伝小説にありがちなイキりや悲壮感がなく、とても読みやすい。あっという間に読み終わってしまった。今ではシャブのバイブルとして本棚に置かれている。

ヤク中なのに83歳まで生きられたというのは偉人という他ならないとシャブは思う。シャブは無理

2メアリー・ジェーン・ラスバン

チョコブラウニー&🥦とか最高だね

出身地・アメリカ🇺🇸

職業・活動家&ウェイトレス🧁


💻コンピューターおばあちゃん💻という歌があるが、彼女を一言で表すなら〝🥦マリファナブラウニーおばあちゃん🥦〟

アメリカ初のマリファナ薬局の創設にも深く関わったガチの偉人である。

1922年アイルランド系アメリカ人の母の元保守的なカトリックの家柄に生まれる。

13歳の時に、自身の学校で行われてきた鞭打ちの罰則に疑問を持ち修道女とガチ口論したというヘビーな幼少期の持ち主。

その後はウェイトレスとして人生の大半を過ごすが、社会活動にはずっと関心を持っていたそう。

劣悪だった鉱山労働者の組合設立のために動いたり、女性の中絶手術のための権利獲得に動いたりウェイトレス時代も活発に〝活動〟していたようだ。

軍の慰問ダンスパーティーで出会った男性と結婚し一人娘が誕生するもすぐに離婚、シングルマザーとなる

だが、その愛娘も1970年に飲酒運転の車に轢かれて無くなってしまう。

娘の死から4年後〝医療用大麻の父〟デニス・ペロンと出会う。紙巻の大麻をシェアし合った経験から大麻の素晴らしさを知ると、アイポップ(アメリカのチェーンレストラン)で働きながらカストロ通りで大麻入りブラウニーこと〝魔法のブラウニー〟を数ドルで売る副業を始めるのだった。

しかし警官に見つかり取り押さえられ、足を撃たれるという大怪我をする。

が、全く懲りずにブラウニーを売り続けた。1日50ダースものブラウニーを作っていたそうな。

サンフランシスコの掲示板には〝魔法にかけられたような美味しいブラウニー〟と宣伝してたという。その影響かまたもや警官に目をつけられ逮捕、執行猶予3年奉仕活動500時間の実刑を言い渡されてしまった。

メディアではメアリーを〝ブラウニーメアリー〟という愛称で報道したため、これが生涯を通して彼女のあだ名となってしまう。

逮捕がきっかけで奉仕活動の一環として、HIV患者の支援団体で働くようになる。

メアリーのブラウニーを求めたのは主にエイズにかかったゲイの男性であった。エイズによる衰弱症候群(だるさの他に喉の痛みとか筋肉痛とか)に効果があったからである。

もしや大麻はガン患者にも有効なのではと考えたメアリーは寄付で集まった大麻をブラウニーに練り込んで無償で病気の人に配る活動を始める。

1日に何百万個とブラウニーを焼いていたメアリーは自身の社会保障金まで使って材料を買っていたと言われている。

1982年がん治療に苦しむ友人にブラウニーを届けようとしたところを警官に見つかり逮捕、執行猶予中だったため刑務所に収容されるが、州地方検事が起訴を取り下げたられている。

その後はサンフランシスコ総合病院のエイズ病棟でボランティアを始め、病院からボランティア・オブザイヤーを送られている。

1991年メアリーの尽力もあり、医療用大麻を医者が処方しても罰せられない事を提言する法律がサンフランシスコ市の有権者79%の支持を受け可決される。

その後大麻農家でブラウニーを作っている所を発見され3度目の逮捕となるが、保釈される。

地方検事はメアリーを控訴したが結局無罪となる。

病院委員会からボランティア活動を評価されたことにより8月25日をメアリーの日とした。

1992年にはペロンがアメリカ発の医療マリファナ薬局を作りメアリーも手伝った。

1997年にはペロンと共にサンフランシスコ・プライドパレードのグランドマーシャル役(1番目立つ先導者役)に抜擢された。

メアリーは、慢性閉塞性肺疾患と変形性関節症を患っていた。大腸がんでもあり、足は人工膝関節であった。酷い痛みの時は自身のブラウニーを食べて痛みを和らげていたが、痛みが余りにも強く晩年には、安楽死したいと願うようになったという。切ない。

1999年77歳の時に心臓発作で無くなると、カストロ通りには彼女の死を悲しむ300人もの人がキャンドルライト・ビジル(祈りの徹夜集会)を行った。

地方検事のテレンス・ハリナンは「彼女はヒーローでありいつの日か医療用マリファナムーブメントのナイチンゲールとして思い起こされる日が来るであろう」と語っている。

見た目が普通のおばあちゃんだった事で注目されてたみたいだけど偉人すぎてびっくり。

魔法のブラウニー( ᐛ)🪄︎︎◝✩最高すぎる。

マリファナってシャブみたいな発達障害とか鬱にも効果あるみたいなので、日本でも合法化して欲しい…。

まぁシャブみたいなのが訴えたところでむしろ規制強化されそうだけどね。悲しい。



3トマス・ド・クインシー


おめめが輝いている

出身地・イギリス🇬🇧

職業・評論家🎩

〝今や幸福は1ペニーで買え、胴着のポケットに入れて持ち運べる〟

ローダナム(アヘンチンキ)について書き記したこの言葉はシャブが大好きな一説である。

織物商の父〝トマス・クインシー〟の次男として生まれた〝トマス・ド・クインシー〟は、父の影響もあって文芸に興味を持ち始める。

僅か40歳で父が無くなると、4人の後見人の手で育てられることとなる。

1796年にバースに移住後、母が苗字をド・クインシーと改姓する。コイネー(現代ギリシャ語の基礎となったすげー言語)に頭角を現し、古典ギリシャ語を操る天才少年へと成長する。

その後大学進学の際、後見人と揉めたために学校から出奔、代筆のアルバイトで生計を立てながら、ロンドンで宿無しボンビー生活をする事になってしまう。

1803年後見人と和解、オックスフォード大学に入学し、様々な知識人と交流する。

1804年歯痛への苦しみから当時合法だったアヘンを常用、無事中毒患者となってしまう。

歯痛からアヘンを常用するようになったと書いたが、彼が苦しんでいたのは歯の痛みだけでは無い

ド・クインシーは出奔先のロンドンでアンという売春婦の女性と出会う。
仲睦ましい2人だったが生活を立て直したかったド・クインシーはアンと離れて父の知り合いを尋ねるために一旦はロンドンを離れる決断をする。
帰ってきたら待ち合わせ場所で出会う約束をした2人だが、戻ってきたド・クインシーはアンを見つけることが出来なかった。彼女の家も苗字も知らなかったド・クインシーは数年間もの間必死にアンを探したが結局は見つけることが出来なかった。(当時の売春婦は死亡率も高かったから亡くなってたのかな?)

歯痛とアンを失った悲しみを癒すために友人のすすめで1804年の秋 初めてアヘンを使用する事となる。

1時間後ド・クインシーに変化が訪れる

「そして、1時間後おお!何たる恵みか!何たる激変か内なる精神の奈落のどん底からの何たる高揚か。心内の世界の何たる黙示か!苦痛が消えた事など、今や私の眼には取るに足らぬ事だった。」

完全にガンギマってしまった。

1822年に書いた〝阿片常用者の告白〟は大反響を呼んだ。影響を受けた読者の中には自らもアヘン中毒になってしまった者も少なからず存在し、世人を悪習に晒したと非難されてしまった。

1833年借金の罪で2回起訴される。その後は債務者避難所に逐電、債務不履行の罪で3回起訴された後1859年エディンバラで死去した。

享年74歳。結構長生きしてて凄い。

ちなみに1816年に私生児の母、マーガレットと結婚する。幸せな生活も永くは続かず、借金から逃れている間に立て続けに息子2人が死亡、
2人目の息子が亡くなった3年後にマーガレットも亡くなってしまった。ボロボロになったド・クインシーはアヘン中毒⇆借金のループにハマってしまったそうな。これまた切ない。

ベルリオーズの幻想交響曲にも霊感を与え、

ボードレールや日本人だと谷崎潤一郎も愛読者だった凄いヤク中。それかド・クインシー。


4タルラー・バンクヘッド

すんげー美人!

出身地・アメリカ🇺🇸

職業・女優💃

クルエラ・ド・ヴィルのモデルはこの人らしい。

〝怪物タルラー〟とか〝アラバマの竜巻女〟とかの異名がある。

バンクヘッド家は民主党の有力メンバーでアメリカ合衆国下院議員議長の父を持つタルラーは、お金に何不自由なく育った。

しかし、幸福な幼少期とはいい難かった。母がタルラーを産んだ3ヶ月後敗血症で亡くなった為、家では母の死はタルラーのせいという空気が流れており、酒と女に溺れた父は家に帰ってこなくなった。

黒人のメイドローズに育てられた彼女は人一倍寂しがり屋だった。そんな寂しさを埋めるために学校では気に入った男の子に自分から声をかけ沢山のボーイフレンドを作っていたという。

持て余した父は修道院付きの女子校にタルラーを入れるが、今度は女の子の恋人を作ってしまった。10代にして両性愛者とは恐るべし。

タルラーは不純だという理由で学校をたらい回しにされた。

その後女性でも唯一自由奔放に生きることのできる女優という道を見つけると、15歳でニューヨークに移り住む。オーディションは受かりはするものの小さな端役ばかりで、21歳まで長い下積み生活を過ごすこととなる。その後新天地ロンドンに向かうと、

タルラーの運命を大きく変える舞台のオーディションを受けることとなる。

周りの役者が緊張している中、酒と煙草を持ち込んた彼女は会場で酒盛りを始め、灰皿を持ってこいと控え室で文句をつけ、さらに台本を覚えずに酔っ払った状態でオーディションを受けたのである。

追い出されてもおかしくないタルラーだったが、なんと合格。〝ザ・ダンサーズ〟という舞台で主役の座を務めることになったのだ。

それもそのはず  この話は妖艶な悪女の踊り子が男を虜にするという話であり、タルラーはプロデューサーのイメージ通りだったのだ。
すげー度胸。

舞台は無事大ヒット、10代の女の子から熱狂的な支持を受け、タルラー目当ての出待ちの行列ができるほどだった。

著名人もタルラーを見に舞台を訪れた。

ETロレンス、ヒッチコック等が足を運び、
ウィンストン・チャーチルに至っては同じ舞台を5回も見るような異常な熱の入れようだった。

イギリスで大成功を収めた彼女はアメリカへ凱旋、人気女優の仲間入りをはたしたのだった。

ハリウッドで一流の役どころを与えられたが、彼女が選んだのは悪女役ばかり。タルラー自身が気に入らなければどれだけギャラを下げられようとも決して引き受けなかった。

さらに、次々とほかの俳優と浮名を流してはそれをマスコミにベラベラ正直に話してしまうため、いつしかスキャンダルの女王になっていたのである。

自分が本物のブロンドであると証明するためにバーでストリップを始めたり、枕営業を誘ってきた大物俳優ジョン・バリモアをビンタしたり、私生活も女優業もめちゃくちゃだった。

煙草は1日5箱、バーボンとウイスキーを水の如く飲み干し、公然と麻薬をやっている事を暴露

問い詰められた際には

「麻薬に中毒性は無い、数十年吸ってる私が言うのよ。」とガンギマリ発言をかましていた。

マスコミに好き勝手報道されている事を知っても

「自分の名前のスペルが間違っていなければ良い」

タルラーは決して嘘をつかない女として もはや尊敬され始めていた。

有名人なのに大衆バーに出入りし、誰とでも仲良くなった。ファンの1人が仕事がないと泣き着けば仕事を斡旋してやり、動物愛護団体に気まぐれに数千万も寄付、孤児院の話を聞けば自ら孤児院を設立し、全員の学費を払った後 里親まで探したそう。
おそらく、世界一かっこいいヤク中は彼女だろう。

彼女のパーティーには大物政治家からビルの清掃員、ホームレスまで階級も職業も実に様々な人が訪れていたという。


そんな彼女がまた世間を大きく賑わせることとなる。時の大統領トルーマンが話題作りにホワイトハウスにタルラーを招待した際、彼女は驚きの行動をする。


母親同伴の条件で出席したタルラーは、自身を大切に育ててくれた黒人のメイドと一緒に来たのであった。

周りは驚愕したが、タルラーからすれば特別な日に大切な人を連れていきたかった。ただそれだけの事だった。

ちなみにこのメイド〝ローズ・レリィ〟はホワイトハウスに初めて入った黒人女性となった。


50を過ぎても酒と男を愛したタルラーは、活躍の場をテレビやラジオに移し、持ち前の毒舌でラジオやトークショーでも人気者だった。


亡くなる1年前にはバッドマンの宿敵ブラック・ウィドウ役もやっていたそうな。


タルラーは1968年66歳の時肺気腫で亡くなる。

彼女が最後に行った一言は

〝バーボンをもっと頂戴〟


上でも描いたけどカッコよすぎる。

当時の芸能界は薬物が蔓延したみたい。羨ましい

タルラーの彼女ビリー・ホリデイはアヘンとかマリファナとか、コカインやってたみたいだから、タルラーのやってた麻薬はこのどれかだと推測。


ビリーは薬物依存で苦しんでいたみたいだけど、タルラーはそうでもなさそうなのがやばい。

ビリーもかなりの偉人だからそのうち紹介したい。


いかがだったでしょうか!

芸術家の人はヤク中多めな気がする。日本でもミュージャンはしょっちゅう逮捕されてるし、薬やると脳の高次元の領域が刺激されるらしいので、普通の人とは違う事考え付いちゃうのかもしれないね。

シャブはアホな妄想しか出来ないけど。

でも上で紹介した人らは多分特別頑丈だったから長生きしてるだけだという事を肝に銘じておこう。ダメ!絶対!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?