(加筆修正)エッセイ「クラシック演奏定点観測〜バブル期の日本クラシック演奏会」 第24回 セルジュ・チェリビダッケ指揮 ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団 来日公演1990年
エッセイ「クラシック演奏定点観測〜バブル期の日本クラシック演奏会」
第24回
セルジュ・チェリビダッケ指揮 ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団 来日公演 1990年
⒈ セルジュ・チェリビダッケ指揮 ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団 来日公演 1990年
公演スケジュール
1990年
10月
4日
大阪 フェスティバルホール
ブルックナー交響曲第8番ハ短調(第2稿1890年 ノヴァーク)
6日、8日、10日 東京
12日 多摩
13日 武蔵野
16日、18日、20日 東京
※筆者の買ったチケット
チェリビダッケの評判は、カラヤンがベルリン・フィルの監督になる前に、ライバル的にベルリン・フィルを指揮していたという話で知っていた。その後、録音を嫌って正規の音源がないため、ほとんど演奏を聞くことができない幻の指揮者という噂だった。この来日公演までに、何度か日本でも演奏を披露していたようだが、筆者は食指を動かさなかった。おそらく、恐ろしくテンポの遅い癖のある演奏だという評判だけは読んでいたからだろう。筆者の好みは、フルトヴェングラー的なロマンティックな解釈による遅い演奏より、トスカニーニやベームといった新即物主義的なインテンポの演奏を好んで聴いていたので、余計に敬遠したのだ。
特にブルックナーの演奏では、ロマン派的にテンポを大きく揺らす解釈よりも、テンポをあまり変えずに曲の構成を際立たせる解釈を好んでいた。だから、チェリビダッケのブルックナーが、いかにもロマン派的に解釈されているのではないか、と疑わしく思っていたのだ。
※参考CD
チェリビダッケ&ミュンヘン・フィル
1990年10月20日、サントリーホール
ブルックナー交響曲第8番
《1990年10月20日、サントリーホールでおこなわれた記念碑的演奏会のライヴ録音がついに音質良好なCDで登場。このときの来日公演は、レパートリーのこともあって空前絶後の評判となり、サントリーホールやオーチャード・ホールでおこなわれた一連のブルックナー演奏はクラシック・ファンのド肝を抜いたものでした。ミュンヘン・フィルのメンバーも「すばらしい演奏だった」と大満足していたと伝えられています。
3年後に本拠地でおこなわれた公演を収録したEMI盤の演奏に較べると、テンポは若干速めで緊張が途切れることがなく、長めの美しい残響と共に、チェリビダッケのブルックナーの姿を鮮明に伝えてくれます。特に3分半ほど演奏時間の違う第3楽章アダージョでは、オーケストラのコンディションもよほど良かったのか、精緻をきわめたコントロールが、作品の天上的な魅力をフルに引き出しています。
この巨大な演奏を要所要所で見事に引き締めていたのが名物奏者ペーター・ザードロによる強烈なティンパニで、当日、会場にいた聴衆はその視覚的なインパクトと共に、20型105名という巨大オーケストラのトゥッティの上に轟く打撃に心酔したものです。以前のLDに較べて大幅に音質向上したこのCDでは、そうしたティンパニの魅力をも十分に味わうことが可能です。
【収録情報】
ブルックナー:交響曲第8番 ハ短調 WAB.108 [ノヴァーク版]
ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
セルジュ・チェリビダッケ(指揮)
録音時期:1990年10月20日
録音場所:サントリーホール
録音方式:デジタル(ライヴ)
CDは国内プレスとなります。》
⒉ チェリビダッケのブルックナーについて
疑わしく思いながらも、今回のミュンヘン・フィル公演は、曲目が大好きなブルックナーの交響曲第8番だから、どうしても聴きたくて高額なチケットを買った。これで、演奏が嫌いなタイプだったら、どうしようかと迷いながら。
※公演パンフレットより
曲目解説
《今回チェリビダッケの選んだノヴァーク版はその第2稿に準拠する。》
上記のように、この頃から、ブルックナーの交響曲の実演では、パンフレットに、どの版の楽譜を使用しているか、明記するようになっていた。筆者の好みは、より原典に近いというハース版なのだが、今回のチェリビダッケの演奏では、ノヴァーク版を聴くことになる。そこはかとなく不安だった。
※公演パンフレットより
「朝比奈隆は語る」より
金子《先ず、チェリビダッケとミュンヘン・フィルについて、おきかせ頂けますか。
朝比奈《チェリビダッケは聴いたことないんですが、ミュンヘン・フィルは振ったことがあります。あのオケは、いつの頃からかブルックナーを大変、得意にするようになっていたんですね。
(中略)
いったい、普段は何を演っているの?」って訊いたら、「ブルックナーなら1番から9番まで、いつでも出来ます」って胸はってるんだな。(後段略)》
しかし、上記のように、金子氏と朝比奈隆の対話に語られているミュンヘン・フィルのブルックナー慣れした演奏振りを、期待して待つことにした。
結果からいうと、実演で聴いたチェリビダッケのブルックナー、やはりこの解釈は自分に合わないな、というものだった。
特に、曲がブルックナーの中で最も好きな第8番だったのも災いした。筆者はブルックナー8番に自分なりの好きな解釈があって、なるべくテンポを揺らさずに、曲の構造そのもので語らせるやり方を好んでいた。だから、この後に生演奏を聴きに行くことになるギュンター・ヴァントの演奏などは、理想的な一つだと思っていたのだ。
この時は、ミュンヘン・フィルそのものも、チェリビダッケの解釈に邪魔されて、十分にその響きを堪能することができなかった。けれど、のちに、全く偶然な形で、このオケの底力を味わう機会が訪れることになる。
↓
エッセイ【関西オーケストラ演奏会事情 〜20世紀末から21世紀初頭まで】
演奏会レビュー編 朝比奈隆と大阪フィル、1980〜90年代
〈その6 大阪フィルと若杉弘の奇跡のマーラー〉
https://note.com/doiyutaka/n/ne3fa1fd1dc4a
引用《若杉弘の演奏の一つの頂点というべきは、1997年に大阪国際フェスティバルに客演し、急逝したチェリビダッケの代役でマーラーの交響曲第9番を指揮した演奏だろう。
※演奏会データ
指揮:若杉弘
管弦楽:ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
曲目
マーラー
交響曲第9番ニ長調
1997年4月4日
大阪 フェスティバルホール
大阪国際フェスティバル ガラ・プルミエール 》
⒊ 東西冷戦終結後の日本の音楽状況
※公演パンフレットより
《ミュンヘン・フィルの公演にしても、民主化のお祝いというには皮肉なことに、チケットをふつうの市民が入手するのはかなり難しかった。
(中略)
なんとか、指定券などないまま立ち見を覚悟で初日にもぐり込んでみると、はたして、席の少ないこじんまりとした会場を埋めていたのは、街角ではみかけたことのないような着飾った人々だった。》
1990年というのは、東西冷戦が終わった直後で、欧州は大混乱のさなかにあった。そんな時期、日本は空前のバブル景気に酔っていて、国際政治の混乱をよそに、無邪気なほど嬉々として、欧州の有名楽団やオペラや音楽家を高額で招いては、高額のチケットを完売させて大いに楽しんでいたのだ。この公演のパンフレットの広告も、1990年当時のバブル期日本の雰囲気をよく表している。
土居豊:作家・文芸ソムリエ。近刊 『司馬遼太郎『翔ぶが如く』読解 西郷隆盛という虚像』(関西学院大学出版会) https://www.amazon.co.jp/dp/4862832679/