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連載再開!(2000年代物書き盛衰記・特別編)「バブル期高校教師盛衰記〜バブル真っ最中に超難関の教員採用合格した私だが?」
連載再開!(2000年代物書き盛衰記・特別編)
「バブル期高校教師盛衰記〜バブル真っ最中に超難関の教員採用合格した私だが?」
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まえがき
すでに現代史の領域となった、30年以上前のバブル崩壊直後の教員採用合格者の裏話を書いておきたい。それというのも、最近、以下の記事のように、教員不足の話題がネットでバズったりしているのだが、その根本的な原因、ボタンのかけ違いの最初を、知っている人が現場にも報道にも言論界にもすでにいなくなっているのかも?と思ったのだ。
※参考記事
全国の教員不足、過去最多の4700人超…「現場は限界を迎えている」2025/01/09
https://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/kyoiku/news/20250109-OYT1T50146/
まだ、その当時現役だった関係各位はご存命のはずだが、おそらくは、これも最近話題の「守秘義務」を重く受け止め過ぎて、硬く口を閉ざしているのではないか?と疑っている。
だが、そろそろ書いておかなくては当時のことなど、誰も知らないまま忘れられてしまう。途中退職した自分などは、比較的赤裸々に書きやすい立場なので(原則的には退職後も守秘義務はあるのだが)、あの頃何があったのか、誰かが語り伝えておかないといけないだろうと思い、義務感からも書いていくつもりだ。
今の若い教員・教育職志望の方々に。
今ならまだ間に合うかもしれない。教育職に就くのはやめておくがいい。もしどうしてもやる気なら、政治を変えることと並行してやらないと無駄死にする。
また、すでに高齢者であるはずの元教育職の方々に。
この国が滅んでいくのを少しでも遅らせるための、最後の機会を見過ごさないよう、もし心ある方がいれば筆者の本稿の細部について、補完をお願いしたい。
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第1章「バブル真っ最中に超難関の教員採用合格した私だが、同期たちは今どこに?」
その1 かくいう自分も教員生活20年を待たずに退職してしまったのだが
(1)当時は金の卵といわれた
最近、上記の記事のように、今さらながら教員不足の深刻化、特に「氷河期世代」の不足が話題だ。そんなこと、大昔からわかっていたことなのに。
いわゆる「氷河期」より少し前、ちょうどバブル崩壊直後の平成初期に教員採用合格して現場の教師となった自分たちの世代は、「金の卵」などと呼ばれた。あまりに採用人数が少なすぎるので、同期の全員が将来、管理職となって現場を担うようになる、と考えられていたからだ。人数的に、そうならないと管理職の数が足りないことが明白だったからだ。
しかし、30年後の答え合わせは、当時の計算が間違っていたことを示している。つまり、当時の新規採用教員たちの中で、ほんの一握りしか現在、管理職になっていないということだ。かくいう自分も、教員生活20年を待たずに退職してしまったのだから、なにをかいわんや、だ。
毎年4月に、大阪府の公立学校の管理職異動の欄が新聞に載るので、懐かしい名前を探してみるのだが、長らく誰も発見できない。自分と同期の面々は、まだまだ現役であと7年は教育現場にいるはずだし、管理職になっているならそろそろこの異動欄に、新任なり転勤なりで載っていてもおかしくないのだ。
けれど、どうやら、ただでさえ人数の極端に少なかった自分の同期たちは、採用当時に呼ばれた「金の卵」とはならなかった人が多いようだ。
以下、具体的に語っていこう。
(2)大阪府立高校の国語教諭の採用は7人だけだった
ちょうど昭和が終わり平成になって2年目、平成2年(1990年)に筆者は大阪府の高校国語で採用試験に合格し、新任教員として当時の大阪府2学区の府立S高校に赴任した。この年の、高校国語の採用は7人で、一人は辞退したと聞いた。やがて、大阪府の新任教員研修の場で、同期の残りの6人と顔を合わせることになる。
現在その6人のうち、管理職で新聞の異動欄に名前を見かけたのはどうやらただ一人のみ。つまり、平成2年の新任たちは、自分も含めて1/7しか、大阪府の公立学校の管理職に残らなかったということなのだろう。
もちろん、自分以外の残りの方々は、どこかでまだ教壇に立っているのかもしれない。それでも、採用当時に言われていた「金の卵」とはならなかったのだ。平成2年当時、大阪府立高校の総数に対して、新任採用の人数の方が明らかに少なかったのだから、単純計算では、その年度の採用者全員が何らかの形で管理職になっていないと、大阪府内の高校の校長や教頭や教育委員会の指導主事などが足りないということになっていたはずだ。
けれど、その計算式は、大きな政治の変化を代入するのを忘れていたのだ。
2008年から橋下徹府知事の時代になって、それ以前から計画されていた府立高校の統廃合が加速した。その後の大阪維新の会の教育改革(改悪)により、府立高校の統廃合と並行して私立高校への授業料無償の政策が加速され、府立高校の総数はどんどん減っていった。その結果、平成2年当時には成立した新任教員の人数と府立高校の総数の計算式は崩れ、今の60歳前ぐらいの教員数と府立高校数がどっこいどっこいとなったので、期待された「金の卵」たちの必要はもはやなくなってしまったというわけだ。
そんなわけで、大阪府立の場合だけを考えても、府立高校の数は減らされ、昔は「金の卵」扱いだった60歳前の教員の多くはドロップアウトしたか、現場の教壇で平教員のまま定年まで居残ることになって、結果的に、現場は極端な教員不足のままでジリ貧になっているのだ。
もっとも、ジリ貧な原因は、バブル崩壊直後の平成初期以降も、教員採用を拡大せず、特にいわゆる「氷河期」世代からの採用が極端に減らされたせいでもある。その世代の物語は、今後またその世代の人にぜひ語ってほしいと思う。
(3)同期6人のその後はわからない
土居豊:作家・文芸ソムリエ。近刊 『司馬遼太郎『翔ぶが如く』読解 西郷隆盛という虚像』(関西学院大学出版会) https://www.amazon.co.jp/dp/4862832679/