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(加筆修正)エッセイ「クラシック演奏定点観測〜バブル期の日本クラシック演奏会」 第26回  朝比奈隆指揮 ベルリン国立歌劇場管弦楽団 来日公演1990年(朝比奈隆キャンセルによりアルド・チェッカートの指揮に変更)


エッセイ「クラシック演奏定点観測〜バブル期の日本クラシック演奏会」
第26回
朝比奈隆指揮 ベルリン国立歌劇場管弦楽団 来日公演 1990年
(朝比奈隆キャンセルによりアルド・チェッカートの指揮に変更)


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⒈  朝比奈隆指揮ベルリン国立歌劇場管弦楽団来日公演1990年(朝比奈隆キャンセルによりアルド・チェッカートの指揮に変更)


(注)朝比奈隆指揮ベルリン国立歌劇場管弦楽団来日公演1990年は、当初、指揮する予定だったオットマール・スウィトナーが病気でキャンセルとなり、代役にアルド・チェッカートが同行した。ところが、さらに朝比奈隆も病気でキャンセルとなり、朝比奈の指揮予定の公演日もチェッカートの代役指揮となった。


公演スケジュール


ベルリン国立歌劇場管弦楽団 来日公演 
1990年
11月
10日、13日、14日 東京
24日 姫路

25日 
大阪
ザ・シンフォニーホール
ベートーヴェン 交響曲第6番へ長調「田園」
交響曲第5番ハ短調「運命」

26日 金沢
27日 神戸
29日 伊奈
30日 前橋
12月
1日 つくば
2日 横浜
3日 東京
4日 松戸
5日 名古屋

※筆者の買ったチケット

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上記のように、朝比奈隆が指揮するベルリン国立歌劇場管弦楽団によるベートーヴェンが日本で聴けるという、朝比奈ファンには夢のような機会が残念ながら病気キャンセルのため実現しなかった。今回の来日は当初、スウィトナーが振るはずが病気キャンセルとなり、新進気鋭のチェッカートの代役指揮での来日となっていた。その後、さらに朝比奈までキャンセルとなっては、チケットを買ったリスナーにとっては本当に踏んだり蹴ったりだった。


もちろん、アルド・チェッカートは立派な指揮ぶりで、ベートーヴェンをしっかり演奏してくれた。


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しかし、当時の朝比奈隆人気の高まりの中、まさに一期一会の共演が、それも日本公演で実現するはずだったことを思うと残念でならない。
熱心なファンには周知のことだったが、朝比奈隆は壮年期から積極的に欧州に客演指揮を重ねていた。日本では聴くことのできない欧州の楽団との共演が、なんと朝比奈の十八番、ベートーヴェンで実現するはずだったのだ。

※ツアースケジュールでは、東京は昭和女子大、大阪はシンフォニーホール、この2回だけ、朝比奈隆の指揮によるベートーヴェンが予定されていた

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その後、北ドイツ放送が記念CDボックスで発売した、朝比奈隆指揮北ドイツ放送交響楽団を聴いたのだが、やはり大阪フィルや新日本フィルを朝比奈が指揮したものと比較しても、北ドイツ放響の方が実力は数段上だった。特に大編成の楽曲になると、ドイツ有数のハイレベルなオーケストラのぶ厚い響きが、朝比奈の求める音楽を見事に鳴らしているように思える。この記念ボックスに収録のR.シュトラウス『アルプス交響曲』は、朝比奈隆のCD録音で聴ける最高の名演だと筆者は考える。


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※参考CD

http://www.hmv.co.jp/news/article/1508080004/

R.シュトラウス:アルプス交響曲&モーツァルト:ピアノ協奏曲第22番(2CD)朝比奈 隆&ベルリン放送交響楽団、北ドイツ放送響楽員、ケルン放送響楽員

《朝比奈隆が度々自ら話題にした1964年リヒャルト・シュトラウス生誕100周年記念にドイツで演奏した『アルプス交響曲』。ドイツの放送局がシュトラウス作品を特集して演奏・録音した企画の一環で、演奏会の直前に2日かけてステレオでセッション録音されたのが今回の音源です。
この時、朝比奈はまだ56歳という壮年期。『アルプス交響曲』はこの時が初振り。「やってみたらそんなに難しい曲じゃない」ということで大のお気に入りとなり、数年後には自らの還暦記念で大フィル、京都市響との合同演奏を行います。その後も80歳記念、大フィル創立50年でも演奏します。特筆すべきは、1990年の北ドイツ放送響客演時にもこれを取上げて、現地で聴衆からの熱狂の拍手を浴びております。1991年に日本で合同オーケストラ「オール・ジャパン・シンフォニー・オーケストラ」を指揮した際は、体調の不全を押しての凄絶な演奏を聴かせ、客席にいたシカゴ響総裁ヘンリー・フォーゲルを感激させ、1996年のシカゴ響出演に繋がります。いわばブルックナー以上の勝負レパートリーでもあったのです。
【収録情報】
1. モーツァルト:ピアノ協奏曲第22番変ホ長調 K.482
2. リヒャルト・シュトラウス:アルプス交響曲 Op.64
リリアン・カリール(ピアノ:1)
ベルリン放送交響楽団(現ベルリン・ドイツ交響楽団)ほか
朝比奈 隆(指揮)
録音時期:1964年3月4、5日
録音場所:ベルリン、自由ベルリン放送大ホール
録音方式:ステレオ(アナログ/セッション)》



そんなわけで、日本では聴くことのできないドイツの名門オーケストラと朝比奈の共演が、実現するはずだったこの公演のキャンセルは、実に惜しんでもあまりある。客の側から言わせてもらえば、この時のベルリン国立歌劇場管弦楽団の来日公演のマネージメントは、見通しが甘かったのではないだろうか?
1990年、いかにバブル期真っ最中の日本であっても、ちょうど東西冷戦が終結したばかりのタイミングで、旧・東ドイツの名門中の名門であるベルリン国立歌劇場管弦楽団を招聘するのは、相当無理があっただろうとは想像できる。だが、長年音楽監督を務めたスウィトナーが、コンディションが悪く同行できないというのに、そのまま招聘企画を強行するというのは、やはり無理なことだったのではないか? 

この企画の経緯を筆者なりに想像してみると、こうだ。日本でも安定した人気のある名指揮者スウィトナーのツアー同行が無理だとわかった時点で、招聘元の会社は、日本で人気の高い朝比奈隆をツアー指揮者陣に加える、というウルトラC的なアイディアをひねり出したのではないか?

それというのも、スウィトナーがキャンセルのままで、ハインツ・フリッケとアルド・チェッカートという両指揮者では、さすがに客足が心配だったのではなかろうか。もちろん、どちらも欧州で名の通った指揮者ではあるが、いかんせん、日本での知名度はほとんどないに等しかった。そこで、起死回生のアイディアとして、朝比奈隆をこの公演ツアーの目玉に据える、ということにしたのでは?
ところがその朝比奈代役案がまたしても裏目に出て急遽キャンセルとなってしまった。結果的には、日本中の熱心な朝比奈ファンが集結した東京と大阪の2会場で、代役の代役であるチェッカートが、朝比奈の十八番であるベートーヴェンを指揮する羽目になった。
この公演の招聘元は、ジャパン・アーツとNTTだ。海外オケ来日公演を数多く手がけるジャパン・アーツにしてこの有様とは、海外有名オーケストラの引っ越し公演がいかに大変な事業であるか、を物語っているともいえる。
今回の公演パンフレットは、さすがにスウィトナーのキャンセルは事前にわかっていたようだ。ツアー日程にスウィトナーの名は書かれていない。けれどパンフレットの記事やCD広告ページには、スウィトナーのものが数多く掲載されている。やはり、この公演が元々はスウィトナーの指揮だったことをいやでも思い出させる。


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⒉  1990年当時の東西冷戦終結の空気感


この公演パンフレットには、前年のベルリンの壁崩壊と東西冷戦の終結を如実に反映して、統一されたベルリンの紹介記事が多く掲載されている。


※公演パンフレットより引用

大木正純
《「ベルリンの壁にも効用があった」と言ったら、悲願の統一が成ったいま、不謹慎のそしりを免れないだろうか。だが、少なくとも音楽に関する限り、それは一面の真実と言わざるを得ないだろう。
(中略)
今回のシュターツカペレ・ベルリンの来日公演は、もしかすると失われてゆくかも知れないものの、その美しさを確認する、貴重なチャンスのような気がしてならないのである。》


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土居豊:作家・文芸ソムリエ。近刊 『司馬遼太郎『翔ぶが如く』読解 西郷隆盛という虚像』(関西学院大学出版会) https://www.amazon.co.jp/dp/4862832679/