音大&音楽現場取材編1 (2000年代物書き盛衰記〜ゼロ年代真っ最中に小説家商業デビューした私だがなぜか干されてしまって怪しい評論家もどきライター兼講師に?)
「音大&音楽現場取材」編 1
(2000年代物書き盛衰記〜 ゼロ年代真っ最中に小説家商業デビューした私だがなぜか干されてしまって怪しい評論家もどきライター兼講師に?)
前段
挿話「芸大&クラシック音楽の現場取材」
(2000年代物書き盛衰記〜 ゼロ年代真っ最中に小説家商業デビューした私だがなぜか干されてしまって怪しい評論家もどきライター兼講師に?)
2005年6月15日
今日は、いつも見学させてもらっている音大の大学院のオペラ研究室の面々が、研究発表としてオペラ公演(プッチーニ『ラ・ボエーム』)をする、そのGP(ゲネプロ)、つまり本番と同じ条件のリハーサルである。
朝、音大付属のオペラハウスの楽屋につくと、ちょうどキャストの学生たちも到着したところだった。軽自動車のトランクから、せっせと2リットルペットボトルの飲み物を運び出しているところだった。何人かのキャストは、スーツケースをごろごろ引っ張って歩いてやってくる。
オペラハウスの楽屋入り口には、下級生の声楽科の学生が入り口番をしている。キャストの学生たちは、荷物を2階の楽屋までひっぱり上げ、たくさんの飲み物やお菓子を運び込む。
「おやつがいっぱいですね」
声をかけると、笑われた。
「これ、楽屋見舞いなんです」
訊くと、指揮者や演出家、伴奏者、スタッフに、キャストの学生が楽屋見舞いを配るのが伝統なのだそうだ。なるほど、学生が先生たちにサポートしてもらって歌うのだから、そういうものか。
そんなわけで、キャストたちは、楽屋で自分の準備はそっちのけで、楽屋見舞いのお菓子をせっせと分けて、順番に配り歩いている。筆者はなるべく邪魔にならないように隅っこに立って、キャストの楽屋風景を見物した。オペラハウスの楽屋はけっこう広くてきれいである。2階の2部屋が歌手用で、その隣の小部屋で普通は鬘や小道具をつけるらしい。今日は大学院の研究発表なので鬘はなく、小道具は自分たちで用意している。一応、男性女性で分かれているが、作業は一緒にわっせわっせとやっている。
主役のテノール君が、小道具の最後の仕上げにいそしんでいる。レストランのシーンで使うメニューに、文字を書き込んでいるのだが、一応フランス語にしなければならないらしく、それらしい単語を電子辞書で探しては、マジックで書いている。
このオペラ『ラ・ボエーム』は、男声2人女声2人の組み合わせで、若者が主人公なので、学生がやるにはもってこいだろう。小道具も最小限で、衣装は自前だという。メイクは、さすが院生だけあって手馴れたものだ。そうこうするうち、準備は進んで、いよいよGPが始まる時間が近づいてきた。
ようやく自分のウォーミングアップに取り掛かれるようになった男声歌手たちが、楽屋の真ん中にあるグランドピアノの周りで個々に発声をやっている。女声のほうは、衣装のドレスに着替えるのと、メイクや髪のセットに手間取っていて、ほとんど発声の時間もなさそうだった。
楽屋から1階におりて、舞台そでに行く。ここは本格的なオペラ劇場なので、舞台の裏が広い。そこに大道具や小道具がひしめきあっていて、ものを壊さないようにひやひやしながら、歌手たちについていった。
筆者はプロのオペラ公演を何度も観たことがあるが、公演まえのGPは初めてである。このオペラハウスには座付きのオーケストラやコーラスがあるが、今回は研究発表なので伴奏はピアノ2台でやる。コーラスは声楽の学生が大勢出ている。
舞台装置は、確かに必要最小限だが、見事に作ってある。部屋を表す4本の太い柱を中心にして、部屋の家具はいくつか並べてあるが、あとは中央の後方にドアが立っているだけである。照明の工夫で演出するつもりだろう。歌手たちも、簡素なセットのなかで、自前の衣装メイクだが、歌と演技でリアリティをどこまで表現できるだろうか。楽しみである。
GPが始まる。オペラのGPは、本当に本番どおりに進める。ちゃんと客席の明かりが消えたあと、指揮者がオーケストラピットに登場し、客席で見ているスタッフたちが拍手をすると、指揮者はお辞儀する。幕が上がって、どんどんオペラは進行していく。
まれに途中で止めることがあるらしいが、今回は1幕の終わりまで一気に進んだ。ようするに、GPというのは、演奏者や歌手のためだけではなく、裏方や照明のスタッフがリハーサルをしなければならないためにあるのだ、ということがわかる。だから、とにかく本番どおりに一度やっておかないと、何が起こるかわからない。オペラは、膨大なスタッフが動き、音楽と照明、道具がきちんとリンクしないと、何か一つ狂っても、上演がストップしてしまいかねない。華やかな表舞台の裏で、それこそ一瞬一瞬が勝負のスタッフたちの苦闘が繰り広げられているのだ。
舞台監督という仕事があって、ここの場合、契約している舞台会社の責任者が兼ねているが、その人が常に舞台そでのコントロールパネルのところで、インカムをつけて、上演全体ににらみをきかせている。オペラ上演の本当の責任は、歌手でも指揮者でも、演出家でもなく、舞台監督が担っているといってもいいかもしれない。
GPはつつがなく進んでいった。歌手たちの中には、喉の調子が悪い人もいて、本番にそなえて押さえ気味に歌っている。だが、どの学生も、キャンパスの稽古場でやっているときより、生き生きと歌い演じているようにみえる。さすが、大学院まで残って歌手を目指しているだけのことはある。
演出家の先生は、こう語っていた。
「音大の院まで残って、コーラスの歌手を養成しているわけじゃないから、彼らがちゃんと一人前の歌手としてやっていけるように、こちらもきちんと場数を踏ませ、育ててやらなくてはいけないんです」
はたして、音大の院を出て、すぐにオペラ歌手として舞台に立てる人は、ほんの一握りだろう。だが、楽器奏者と違って、オペラ歌手というのは、あまり若いとよくないとも聞く。声の質が定まってくるのが、20代後半なのだそうである。それまでは、とりあえず修行中でいいのだろう。ピアニストやヴァイオリニストが10代初めからどんどんソロで活動していくのとは、かなり違う。むしろ、きちんと肉体も精神も成熟してからが勝負なのだ。
もっとも、持って生まれた美声だけは、必要不可欠だろうが。
2005年6月20日
いよいよ、オペラ研究室の発表本番である。先日のGPでは、かなりの完成度をみせていた。さて、本番はいかがあいなるか。
それにしても、大入り満員になったのには驚いた。ほとんど身内や友達だろうが、普通はプロのオペラ上演でもこんなに入ることは珍しいからだ。それに、上演中の、客の反応がまたよかった。ブラボーの嵐である。客観的に聴けば、アラはいくらでも見つけられるだろう。しかし、こういうアットホームな公演で、そんなことをいうのは野暮というものかもしれない。
プッチーニのオペラ『ラ・ボエーム』は、19世紀のパリに住む貧乏芸術家たちの青春群像である。キャストたちと同年齢の役だから、演技は簡単だろう、と思うと、そうでもないらしい。キャストの学生たちは、こんなことを話してくれた。
「娼婦なんて、普段の自分とは全くかけ離れているので、いろいろ映画を観たり、このオペラのビデオをいくつも観て、研究しました」
「画家の友人が芸大にいるので、話を聞きにいったりして、画家ってどういう風に創作するんだか、自分なりに考えました」
「詩人って、自分でも近い面があるけど、実際はこの主人公は、本当はまだ詩人になっていない段階なんですよ。そういうところも、今の自分に近いので、わかりやすかったです」
「哲学者ではあっても、実は妻子がいて、仕事を放り出してボヘミアン生活を送っている人です。そういう気分を出せるように考えました」
などなど、みんなしっかり役について研究しているのに感心した。歌手は、歌だけ歌えればいいのではないのだ。
さて、オペラの本番は、滞りなく進んで、カーテンコールも盛大だった。それなのに、この公演をプロの歌劇団や音楽評論家が聴きにきていてすぐにスカウトされる、などということはありえないことらしい。
日本にオペラ歌手の卵は、それこそごまんといて、日々、発表会も行われている。その中から、ほんの一握りが選ばれて、華々しい舞台人となる。コーラスならいくらたくさんいてもいいが、オペラの歌手が、そんなに大勢いても困るだろう。しかし、なりたい人は多い。何がそんなに魅力なのか。
「オペラそのものの魅力にとりつかれた感じですね」
「カーテンコールのときの感動が忘れられないからでしょうね」
「歌うことが自分の全てなんです」
みんな、まだまだこれからだが、はっきりとオペラの舞台に立つことを人生の目標にしている。こういう迷いのない人生を送れる20代の人が、うらやましいと感じてしまう。親の身になれば、いつまでもお金がかかってしょうがないが。
「歌手なんて、究極のニートですよ」と、知り合いのプロのオペラ歌手は言っていた。
2005年6月24日
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