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(加筆修正)エッセイ「クラシック演奏定点観測〜バブル期の日本クラシック演奏会」   第3回 コリン・デイヴィス指揮バイエルン放送交響楽団来日公演 1984年


エッセイ「クラシック演奏定点観測〜バブル期の日本クラシック演奏会」

第3回

《コリン・デイヴィス指揮 バイエルン放送交響楽団 来日公演1984年》


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⒈   コリン・デイヴィス指揮バイエルン放送交響楽団来日公演1984年


演奏曲目


A 
モーツァルト 交響曲第41番ハ長調「ジュピター」

ブルックナー 交響曲第7番ホ長調

B
ベルリオーズ 序曲「宗教裁判官」
ドビュッシー 「海」3つの交響的スケッチ
ベートーヴェン 交響曲第7番イ長調

C
メンデルスゾーン 交響曲第4番イ長調「イタリア」
シューベルト 交響曲第9番ハ長調「グレート」


公演スケジュール


1984年
5月13日(日) 大阪 フェスティバルホール プログラムA
14日(月) 倉敷 倉敷市民会館 B
15日(火) 広島 広島郵便貯金会館 B
16日(水) 名古屋 名古屋市民会館 B
18日(金) 東京 昭和女子大学人見記念講堂 B
20日(日) 横浜 神奈川県民ホール C
21日(月) 東京 東京文化会館 A
22日(火) 同 C
23日(水) 松戸 聖徳学園川並記念講堂 C


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高校生の頃、一時、ブルックナーにはまっていた。最初に聴いたのは、FMで流していた交響曲第4番。ブロムシュテット指揮、ドレスデン国立歌劇場管弦楽団の演奏だった。当時、高校の吹奏楽部でホルンを吹いていた。ホルン吹きならわかると思うが、ブルックナーの4番の冒頭、有名なホルンのソロを一度は吹きたいと思うことだろう。
もう一つ、コリン・デイヴィスという指揮者のレコードで、チャイコフスキー『1812年』を聴いたことがあった。珍しく、合唱入りのバージョンだったが、この演奏が実に素晴らしくて、愛聴していた。以来、デイヴィスの演奏を聴きたいと思っていたところへ、彼がバイエルン放送交響楽団と来日することがわかった。曲目は、デイヴィス得意のモーツァルトと、ブルックナーの交響曲第7番。これは聴きにいくしかない、と思って、学生券を買った。ちょうど、大阪国際フェスティバルの招聘公演だったおかげで、学生席があったのだった。


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チケットの値段が安い分、席は2階席の端っこで、実に見にくい場所だった。昔の大阪フェスティバルホールは、ステージの横幅がやたら長かった。ステージが端から端まで大きく湾曲しているカーブのせいで、ホールの両端の位置からステージが見にくい構造だった。だが、このときは、演奏が聴けるだけで満足だったのだ。
このときの演奏について、細部をあまり覚えていないのは、いまから考えると実に残念だ。なにしろ、当時モーツァルトの交響曲をあまり聴いたことがなく、このコンサートの予習のために、デイヴィスがドレスデン国立歌劇場管弦楽団を指揮したモーツァルトの交響曲第41番のCDを買って、あわてて聴いた。偏った聴き方をしていて、バロックから古典派までの音楽には疎かった。その代わり、ブルックナーは第4番と第7番、第8番をFMでエアチェックして、何度も聴きこんでいた。
こういうのは、吹奏楽部で金管楽器を吹いている学生にありがちの聴き方だ。ようするに、金管楽器が派手に活躍するオーケストラ曲を、ラジオで選んで聴くという習慣だったのだ。
ブルックナーやマーラーなど大編成オーケストラ曲を聞きなれた耳には、モーツァルトの交響曲は、それがたとえ有名な41番でもいささか物足りなく聞こえた。日頃、4管編成を普通に聴いているため、古典派のシンプルかつ完璧に構成された交響曲は、あっというまに終わってしまう印象だった。
それから、ようやくモーツァルトやベートーヴェン、ハイドンなども機会があれば聴き、古典派の楽曲を学び直したような次第である。

当時の自分にとって、モーツァルトは、音楽そのものよりも、ヘルマン・ヘッセの小説に登場する音楽として注目していた。特に、ヘッセの小説『荒野の狼』を古本屋で手に入れて、一読後すっかりその魔性の世界にはまってしまった。モーツァルトの音楽に対して、ヘッセのいう「彼岸の音楽」「永遠の人々」の曲、という文学的なイメージが先にあった。そのせいもあるのだが、実際に聴いたモーツァルトの響きはいささかシンプルすぎて、なんとなく物足りなかった。先に文学的なものものしいイメージを抱いてしまったからだ。幸いにも、このときはまだ小林秀雄を読んでいなかったので、40番は素直に聴くことができた。そうでなければ、「疾走する悲しみ」という先入観ありきで聴いて、がっかりしていたかもしれない。
このように、思春期の少年にとって音楽は、やはり先に耳で聴く方が、先入観抜きで純粋に楽しめると思うのだ。変に文学的なイメージを植えつけられると、その印象とずれてしまって、音楽自体を素直に受け取れなくなる。
こんな文章を書いていながらいうのも変だが、青少年にあまり音楽評論や音楽小説を読ませない方がいいかもしれない。青少年がクラシック音楽にふれるきっかけが乏しい日本では、小説、漫画、アニメ、映画などでクラシックの魅力に気づく方が、圧倒的に多いのだ。



⒉  コリン・デイヴィスとバイエルン放送響の演奏について


この日の演奏では、デイヴィスの指揮ぶりもさることながら、バイエルン放送交響楽団の音色が素晴らしかった。当時の自分が生演奏を聴いたことのあるオーケストラは、地元の大阪フィルのほか、ロンドン交響楽団だけだった。大フィルは比較にならないが、ロンドン響と比べてバイエルン放送響の音は、これぞドイツのエリートオケの出す音色、というのがよくわかった。例えば、ロンドン響の音と比べ、管楽器の音が明らかに違う。よりまろやかな響きで、特に金管の音が太く柔らかい。その特徴は、ブルックナーの7番で見事に表れていた。第2楽章のワーグナーチューバの音は、このとき初めて聴いたのだが、ユーフォニウムともバリトンとも違う深みのある音色は、それまで耳にしたことのないものだった。

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土居豊:作家・文芸ソムリエ。近刊 『司馬遼太郎『翔ぶが如く』読解 西郷隆盛という虚像』(関西学院大学出版会) https://www.amazon.co.jp/dp/4862832679/