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(加筆修正)エッセイ「クラシック演奏定点観測〜バブル期の日本クラシック演奏会」 第18回 ヴァーツラフ・ノイマン指揮チェコ・フィルハーモニー管弦楽団来日公演1988年 + プラハ交響楽団来日公演イルジ・ビエロフラーヴェク指揮1986年〜大阪国際フェスティバル


エッセイ「クラシック演奏定点観測〜バブル期の日本クラシック演奏会」 第18回  ヴァーツラフ・ノイマン指揮   チェコ・フィルハーモニー管弦楽団来日公演 1988年 

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プラハ交響楽団 来日公演 イルジ・ビエロフラーヴェク指揮 1986年〜大阪国際フェスティバル


⒈  ヴァーツラフ・ノイマン指揮   チェコ・フィルハーモニー管弦楽団来日公演 1988年


公演スケジュール


1988年
10月
23日 静岡
24日 東京
25日 名古屋
27日 東京
29日 宇都宮
31日 柏崎
11月
2日 福島
3日 東京
4日 甲府
6日 宮崎
7日 延岡
8日 都城
9日 広島
11日 高松
12日 姫路

13日
大阪
ザ・シンフォニーホール
曲目
ハヴェルカ ヒエロニムス・ボッシュを賛えて
マーラー 交響曲第9番二長調

14日 出雲
17日 京都
19日 柏
22日 松戸
23日 横浜
24日 東京

同行メンバー
指揮者 リボル・ペシェク イルジ・ビエロフラーヴェック
チェロ アントニオ・メネセス
ピアノ イヴァン・クランスキー
ヴァイオリン 堀 正文

※筆者の買ったチケット

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ノイマンとチェコ・フィルは、前回の来日時に、その生演奏の魅力を堪能して以来、もう一度聴きたいと願っていた。そこに、マーラーの交響曲第9番を聴ける演奏会があるので、一も二もなくチケットを買った。
期せずして、それが筆者にとってはノイマンの生演奏の聞き納めとなってしまったのだが、その後も、ノイマンは意気軒昂、2度目のマーラー録音を進めていた。
ノイマンのマーラー演奏は、当時、「マーラー・ブーム」などと言われていた中で、早くからマーラー録音に取り組んでいたベテランならではの、落ち着いたアプローチと、チェコ・フィルの音色が聴きどころだった。声高に主張する演奏ではないが、交響曲の構造をしっかりと保持したまま、チェコ・フィルの音色と強固な合奏力を武器に、堂々たる演奏を繰り広げる。

特に9番では、チェコ・フィルの弦楽器群の艶やかで深い音色が、彼岸への憧れと死の悲しみをあますところなく歌い上げている。
それに、ノイマンに関しては、生演奏を2回聴いたので、録音での落ち着きぶりとは違うライブならではの熱い演奏を、2度とも経験した。ノイマンは明らかに録音ではなく実演でその真価を発揮するタイプの指揮者なのだと思う。


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※公演パンフレットより
廣瀬量平
《ノイマンさんの深い音楽については、我がNHK交響楽団を指揮した時にも知らされた。あのきき馴れた第9が、ひときわ掘り下げられ、一層大きな音楽となり目を見張った。この人は現代のフルトヴェングラーではないかと思う。》


※参考CD

http://www.hmv.co.jp/artist_マーラー(1860-1911)_000000000019272/item_マーラー:交響曲第9番%E3%80%80ヴァーツラフ・ノイマン&チェコ・フィル_2508341

《マーラー:交響曲第9番
巨匠ノイマン、ラスト・レコーディング!
ノイマンはこのレコーディングの数日後に他界しました。死の直前に残した最期の録音、マーラー・シリーズの完結編である交響曲第9番がSACDハイブリッドによって再登場です。指揮者の全てをかけたラスト・レコーディング。特に終楽章については「これ以上のアダージョはありえない。完全に満足した」との言葉を残しています。そしてマーラー自身の大地への愛情、ノイマンの穏やかでありながら濃密な響きが静謐のうちに響き渡ります。(オクタヴィア・レコード)
マーラー:交響曲第9番二長調
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
ヴァ-ツラフ・ノイマン(指揮)
録音時期:1995年8月21-28日
録音場所:プラハ『芸術家の家』ドヴォルザーク・ホール
DSD Remastering
SACD Hybrid
CD 2.0ch./ SACD 2.0ch./ SACD 5.0ch.》


※前回の来日公演

第7回ヴァーツラフ・ノイマン指揮チェコ・フィルハーモニー管弦楽団来日公演

1985年
https://note.mu/doiyutaka/n/ndd911bb148fc





⒉  プラハ交響楽団 来日公演 イルジ・ビエロフラーヴェク指揮 1986年〜大阪国際フェスティバル


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この公演に同行した指揮者団の一人で、この時は聴くことのできなかったイルジ・ビエロフラーヴェクの思い出を、この機会に書いておきたい。
それというのも、筆者は1986年4月23日に、プラハ交響楽団を指揮したビエロフラーヴェクを大阪のフェスティバルホールで聴いていたのだ。
この時の公演パンフレットを買わなかったのは、かえすがえすも悔やまれる。


公演曲目
スメタナ 歌劇「売られた花嫁」序曲
チャイコフスキー ヴァイオリン協奏曲
ヴァイオリン:加藤知子
ドヴォルザーク 交響的変奏曲


特に目を引くのは、ドヴォルザークの「交響的変奏曲」という変わった曲目をメインに据えていることだ。
ビエロフラーヴェクは当時の主兵だったプラハ交響楽団と来日するにあたり、ドヴォルザーク演奏の自信のほどを曲目で見せつけていたのだろう。86年の大阪国際フェスティバルの演目の中では、異彩を放っていた。
筆者は、実はこのとき、なぜこのいささかマニアックなコンサートを聴きに行ったのか、よく覚えていない。だが、少なくとも、メインのドヴォルザーク「交響的変奏曲」が目当てだったことは間違いない。それまでにこの曲を、おそらくFMで聴いて、気に入っていたのだ。
だが、この時のステージがどうだったのか、今となってはよく思い出せない。それに、席も悪かったことは確かだ。フェスティバルホールの2階席の後方、天井に近く空調の音がうるさいあたりで、音響的には最悪の席だったはずだ。何しろ、当時の大阪国際フェスティバルは、学生券を5千円という破格値で売っていた。当時、大学生だった自分が、高価な値段設定の目立つ大阪国際フェスの演目をかなりフォローできたのは、そのおかげだった。

2017年、ビエロフラーヴェクはチェコ・フィルと来日予定だった。久しぶりにチェコ・フィルを、ビエロフラーヴェクの指揮で聴いてみたいと思いつつ、チケットを買わないまま迷っているうち、彼は急逝してしまった。
とうとう、ビエロフラーヴェクの指揮でチェコ・フィルを生で聴く機会を永久に失ってしまったことを、悔やみながらこれらの録音を聴き、彼を偲んだ。


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※参考CD
http://www.hmv.co.jp/artist_スメタナ(1824-1884)_000000000021328/item_『わが祖国』全曲%E3%80%80ビエロフラーヴェク&チェコ・フィル(1990)_3929656

ドヴォルザーク「スターバト・マーテル」
http://www.universal-music.co.jp/jiri-belohlavek/products/uccd-1446/

※タワーレコードのサイトより、追悼文
http://tower.jp/article/campaign/2017/06/02/02

《チェコ・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者、音楽監督のイルジー・ビエロフラーヴェク氏が癌との長い闘病の末、2017年5月31日に亡くなりました。71歳でした。(中略)
70歳を超え、名実ともに巨匠となり、数々の栄誉や名声に包まれ、これからさらに素晴らしい名演奏を実演に、CDに聴かせてくれるに違いないと多くの方が期待していたと思います、寂しいだけでなく、大きな喪失感を感じているのは筆者ばかりではないことでしょう。改めて、ビエロフラーヴェクがわが国に残してくれた様々な功績を讃えつつ、この項を閉じさせていただきます。(タワーレコード)》


⒊  ビロード革命の直前のチェコ・フィルのこと


チェコ・フィルだが、88年の来日時点で、翌年ベルリンの壁が倒れ、チェコスロヴァキアでもビロード革命で民主化が達成されるなど、全く想像もできなかった。
チェコスロヴァキアといえば、「プラハの春」弾圧事件で、ソ連の戦車の前に人々の自由を求める運動が踏みにじられたニュース映像の、暗い印象がつきまとっていた。88年、来日したノイマンは、前回の来日時よりも少し年齢を重ねたとはいえ、力強い指揮ぶりだった。彼もこの翌年、チェコスロヴァキアの民主化で大きな役割を果たすことになるとは、まだ予想もできなかった。


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この公演パンフレットに掲載された来日公演のラインナップも、バブル期絶頂の日本が共産圏のアーティストを、金に糸目をつけずに招聘している雰囲気が伝わってくる。
中でも、ビエロフラーヴェク&プラハ交響楽団の扱いの大きさには、前回の来日時の、大阪国際フェスティバルでの扱いの小ささとは比較にならない、期待度の大きさが見てとれる。


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CDの広告ページでも、DENONレーベルがチェコのスプラフォン・レーベルを大々的に売り込んでいた、当時の力の入れようが伝わってくる。
ノイマン&チェコ・フィルのマーラーとドヴォルザークの全集は、スプラフォン&デンオンの2大看板だった。それに加えて、この頃には、ビエロフラーヴェクが、新鮮さを売りにして大きく扱われている。
このスプラフォン・レーベルのチェコ音楽のCDが、東欧民主化ののち迷走していく様を、この時点では想像もできなかった。


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この公演であいさつ文を書いているこの役人も、その後、民主化の中で、どうなっていっただろうか?

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⒋  筆者のデビュー小説と、チェコ・フィル、プラハのこと


ところで、筆者は小説のデビュー作で、ベルリンの壁崩壊前夜のウィーンを舞台に、留学中の日本人指揮者の青春を描いた。
この小説のベースには、自分が生演奏で聴いたチェコ・フィルの響きの素晴らしさがある。
特に、ビロード革命後、亡命していた指揮者ラファエル・クーベリックが、「プラハの春」音楽祭を指揮しに戻ってきた時の公演をCDで聴いて、身が震えるほど感動したことが、小説の底流にある。この時のクーベリックの指揮でスメタナ『我が祖国』を聴いて、チェコ人たちの祖国愛を直に体感したような気になった。
その後、自分自身もプラハを訪れ、チェコの人々と交流して、ぜひこの人たちのことを小説に描きたい、と思った。
その結実が、小説『トリオソナタ』だ。

※筆者の小説『トリオソナタ』
東欧民主化の前夜、ウィーンで苦闘する日本人の音楽留学生の青春物語。

『トリオソナタ1』

※BOOK⭐︎WALKER版


https://bookwalker.jp/de03452778-ac12-4e02-b0a9-570d8f9dfe06/?_ga=2.187924142.783377174.1586495988-1573749936.1586495988

《幻の昭和64年、20世紀末のウィーンに学ぶ若き音楽家たちの青春!》


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土居豊:作家・文芸ソムリエ。近刊 『司馬遼太郎『翔ぶが如く』読解 西郷隆盛という虚像』(関西学院大学出版会) https://www.amazon.co.jp/dp/4862832679/