『式日』を見た
庵野秀明監督の『式日』を観た。映画でこんなに泣いたのはシン・エヴァンゲリオンぶりだった。庵野の作品は私の癖にささってささって仕方がない。
普段映画を見ても感想なんてほぼ書かないし、書いてもツイッターに一行二行という感じだが、今回はあまりにも良かったのでここに書いてみようと思う。ネタバレ全開なので注意してほしい。
『式日』は岩井俊二演じる「カントク」と、この作品の原作者でもある藤谷文子演じる「彼女」の物語である。乱暴にまとめてしまえば「理解のある彼くん」と「メンヘラ彼女」との物語と言えようか。(この「理解のある彼くん」や「メンヘラ」という言葉については、いろいろ思うところがあるし安易に使ってはいけないと考えているが、わかりやすくするためにあえて用いるのを許してほしい。)
「彼女」は家族の問題から心を病んでしまっている。天真爛漫のように見えるが希死念慮を抱え、今日も屋上から飛び降りなくてすんだと確認する日々。もうこの時点で「彼女」は私側の人間なんだと共感&共感。自分の気持ちを代弁してくれる彼女の痛々しさに目を背けたくもなるも、美しい色彩、構図、カメラワークが画面に引き込ませてそれを許さない。最初はトンチキな服を着て顔を白塗りし、サングラスで目も隠していた「彼女」が「カントク」との日々を通じてだんだんと素顔になっていく描写が好きだ。
そして「カントク」がとてもいい。「彼女」に興味を抱き、映画を撮影しようとする。この「カントク」は庵野監督自身の投影だろうと思う。
「彼女」の抱える闇を緩和してあげようとするも自分の無力さを感じている彼の描写はひどくリアルだった。私の周りにもそんな人間がいたし、私自身もそう思うことがあった。結局誰かを救ってあげたいというのは、自分自身を助けたいということに他ならない。誰かを救うことで得られる喜びで自分の心を満たそうとしているだけなのだから。
また、「彼女」のことをうっとうしいと思うようになったという心情の台詞も、救いたいという自分のエゴとそれが叶わぬことによる勝手な失望が表れていた。
「カントク」は飄々としていて表情も変わらないが、その実考えていることはとても人間臭くてよかった。
最後には「彼女」は救われる。現実にはそんな上手くいくことはそうそうない。だけど物語の中だけでも私のような女の子が救われてよかった、それが希望となりえるから。
「救われたい」という他者に依存した願望を持つことは危険かもしれない、だけど私は一人では生きていけない。誰かとともにこの暗闇から抜け出せる日が来ることを願って。