無題

小学校のトイレでぼーっと荷物掛けを眺めながらここにこの給食袋の紐を引っ掛けて首を吊れば死ねるのかなと思ったことを鮮明に覚えている。
多分これが最初の「死にたい」だった。

高校時代は得体の知れない未来への不安に毎晩襲われ、筋肉少女帯を聴いて泣きながら腕を切っていた。そんなので死ねるわけないのはわかってる、自傷で生を実感するっていうのもイマイチわかっていない。ただ義務みたいな感じだった。死にたい人は腕を切るらしい。インターネットで学んだ作法。
結局古典の先生から親に伝わってやめざるを得なくなったけど。学年の先生達の間で話題になってたって聞いて、教師って意外と生徒のことちゃんと見ているんだって驚いたな。担任は気づいてなかったらしいが。

それから何年も経った今この瞬間だって死にたい。機会があれば今すぐにでも。早く寝ればいいのに明日が来るのが怖くて今日を引き伸ばしている深夜2時、希死が抑えきれずどこかに発散しないとやばいと思ったから今これを書いている。
今日は外に出てすぐ春の匂いがしたから死にたくなった。そんな些細なことですぐにだめになってしまう。
医者には新生活への不安が…とかもっともらしい理由で話してるけど自分がどうしてこんなに死にたいのか分からない。

だけどね、こんな私も周りの人間に恵まれてしまった。どうしてこんなにみんなが優しいんだろうね。彼らのことを考えたら死ねないじゃないか。



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