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続生日記7(メサイヤ)

昔担任をさせてもらった人が、もう、15年のつきあいになる。数少ない(ように思われる)自立訓練事業所で、最後の年のコンサート。

まだ人手も手厚かった時期の支援学校。ゆっくり、あれやこれや手を打ちながら、わらったり困ったり泣いたりけんかしたりを、集団として味わう気風が、懐が、まだあった。

落語みたいなこと一杯のなかで、おとなもこどもも、たくさん遊んだなぁ、学んだなぁと思う。そういう中で自分は育てた貰ったんだなとも。

今日は、大勢の代表としてステージで紹介挨拶をしていた。それが、単語の意味をしっかりすくいとって、まとまった形で、イントネーションにのせてゆっくりはっきり伝えていて、ほんとうに自然としっかり伝わってきた。

あの人の人柄や努力がじっくりたっぷりたくさんあっての、あの一瞬の挨拶になっているんだろうなぁ。

これからのじんせい、今の世の中、障害を持つ人にとってはさらに失敗や選び直しやが、できにくい、のではと思う。

あの人の良さが持ち味が生きる、楽しまれる、手ごたえある、場所に出会っていくことを念いながら。

彼のお母さんに、「気分転換なりましたか?」「元気もらって」「また離れても来てくださいね」と言って貰い、相変わらずのおかあさんの懐と人柄にも涙が出た。

ハレルヤを起立で聴きながら、この空間にこの人たちといることの奇蹟を感じたりしていた。こういうことをかみしめること、ぐっとたいせつにしよう。

また会えますように。