鹿児島から帰ってきたその後
ご無沙汰してます。
「この人のこともっと知りたい」そうゆう出会いが最近あって、とても刺激を受けている。
結果として、その人のnoteに辿り着き、読んでみたらとても真っ直ぐで、ガツンとぶん殴られるような金言の数々に自分の振る舞いを棚卸しする機会をもらえた。
そういえば自分が鹿児島暮らしを始めた初期にやっていたことも近かったかも、ということを思い出した。
文章を書くことは、アウトプットのつもりが、自分の頭を整理整頓してくれる作業になっていて、逆に良いインプットになってくる。
自分のツイッターは日常で感じた理不尽な瞬間とか、この記事を読んだことは忘れたく無いというものを寄せ集めた備忘録のアーカイブにしているんだけど、ぶっちゃけ遡りづらいし、想いを吐露するにせよ字数制限で簡略化しているから、飲んで記憶をなくしがちな自分が振り返るにはその時の心情を確かに思い出すためには心許ない。
それに鹿児島から帰郷してnoteを更新してない。
鹿児島から東京に帰郷し、1年半ぐらい経過したが、この間様々なことがあったのに(これから綴ります)、「自分の体験は誰かに役立てるかもしれない」そんな想いで始めたnoteをおざなりにしていたので、自分を律するためにまたたまに書こうと思い始めた。
元々口で喋るより、文章にするほうが好きってのもあるけど。
自己満足のものだけど、いつどこで誰に見られても恥ずかしくないように誠実に言葉を選んでいきたい。
そんなこんなで、
鹿児島から帰郷して1年半が経った。
◆2021年6月〜7月ぐらい
鹿児島県長島町を経ったのは忘れもしない2021年7月1日。
同年の5月末に長島を舞台にした映画の撮影を終え、1ヶ月かけてお世話になった方々に挨拶して、いっぱい一緒にお酒を飲んでいただき、送別ゴルフだといって最後の月は10回ぐらいラウンドしてもらった。
最終夜は長島で1番お邪魔したローズで飲めや歌えやしたあとに、最もお世話になった木場さんのお宅に泊めていただき、長島との別れを惜しんでグルグルと島内を巡ったあとに、福岡から大阪行きのフェリーに乗った。
引っ越しの最後の最後まで沢山手助けしてくれる方がいた。
長島で良くしてくれていた人が引っ越しの荷物を格安で配送してくれたり、フェリー代もとある方のお知り合いで割引してもらったりと、貧乏だったから本当助かったな。
お金の話し云々はさておき、本当恵まれた人間関係だった。
早く長島いきたいな。
大好きな長島に残らずに東京に帰ってきた理由はただひとつ。
プロデューサーとしてメシを食っていきたいからだ。
長島で作った「夕陽のあと」「私を判ってくれない」は、以前と以後で自分の人生や価値観を劇的に変えてくれた。
特に、「夕陽のあと」の船上シーンを撮影していた瞬間は雷に打たれたような体験だった。
見たこともない夕景が我々の前に現れた瞬間、
俳優が「今!いま!!イマ!!!今撮ってよ!!!」って船上で叫び、
地元の方が撮影ポイントまで最短ルートで船をセッティングし、
この瞬間を逃してなるものかとスタッフの集中力が極まった瞬間。
あの瞬間の俳優の芝居は凄まじかったし、見てくれた方に伝播するものがきっとあったはず。
青臭いかもしれないが、そんな瞬間のカタルシスが忘れられなくて、人生の揺るがないモチベーションになっている。
しかし、どうしても鹿児島や九州で映像制作を学ぶためにはツテも経験も足りていなかったから、東京から再始動しようと思った。
◆2021年7月〜10月ぐらい
東京に帰ってきてからは、「私を判ってくれない」の編集の日々。
この作品は全然お金がなかったので、監督たちと自分は無給で作業をひたすら続ける。
自分は手放さずに持っていた楽天の株を売却し生活していた。
幸か不幸か、コロナのせいで久方ぶりの東京を謳歌できないタイミングだったので、実家に居候して家と編集を行き来する日々。
長島で沢山いただいたお土産の芋焼酎を毎晩ありがたくいただいた。
作品に時間を費やし尽くし、作品を完成させるまでは新たに仕事も探さないと決め込む。
と思ったものの、実は作品が完成した先にどうやって生活していけばいいか、結構ナーバスになっていた。
転職サイトを日々見つめ、ちょっと違うかもと思いながらも数社エントリーした。長崎県のPRをする公務員みたいな募集を受けたりとかして、迷走しまくっていた。笑
作品の完成が見えてくるごとに、将来への不安が増幅し、その時何人かの古巣の方々に相談に乗ってもらった。
色々と仕事を斡旋してくれる話しもいただいたけど、
「せっかく鹿児島で映画を作った経験を活かせなくない?」
というごもっともな一言がブッ刺さり、結局焦らず期を待とうと腹を括った。
え、そんな当たり前のこと見失ってたの?
と思われるかもしれないが、仕事が途絶える恐怖を人生で初めて間近にしたので、あの時の焦燥感は凄かった。
作品が完成したらアルバイトでもなんでもすぐに始めようかと焦っていた。
イケハヤみたいな思考の人からすると、前時代的な東京で消耗している人間と思われるかもしれないけど、仕事とプライベートの垣根なんか脱サラして手放した身からすると、休みは最低限で十分。
長島暮らしていた頃にゴルフをするのも、飲むのも言うなれば長島を拠点に働いている自分のことをよく理解してもらって、活動を応援してほしいと思っていた部分もあるので、かなり遊び寄りの仕事みたいなもんだ。
経費的には接待交際費に該当する。
とはいえ、体力的な衰えは必ずやってくるから、ハードワークを続けたいわけではないけど、ステージを上げて体力を何かで補いながら死ぬまで仕事は続けたい。
話しが脱線したが、
そんなこんなで9月中旬ごろに作品が完成した。
もう元々あった制作費は編集までの期間で全て使い切ってしまっていたので、宣伝費は新たに調達するしかなかった。
だから、10月から公開に向けての支援を募るクラウドファンディングをスタートした。
このクラウドファンディングは絶対目標達成しなければいけないと思っていた。
これでダメなら集まらないと思うぐらいの気概を持って始めたし、作品に対して誠意を持っていた自負がある。これでダメならもう自分には何も無いと思うぐらい全て吐き出した。
結果として、クラウドファンディングは目標額の200万を超える寄付を集めることができた。
改めてご協力くださった方に本当に感謝しています。
ありがとうございます。
◆2021年10月〜2022年2月
宣伝費が集まったおかげで配給会社も決まり、自分が手を動かすのではなく、作品をお預けするフェーズになった。
じゃあ、就職活動でも再開しようかな〜
なんて思っていた矢先、人手が足りない現場を手伝ってほしいと、鹿児島でご一緒したスタッフさんから連絡をいただく。
鹿児島での下積みのみで、いきなりフリーになる不安はあったものの、
願ってもないチャンスだったので、2ヶ月に及ぶドラマの仕事を引き受けた。
クランクイン初日を迎えた時いろいろ驚いた。
ロケ場所やスタッフが鹿児島の頃に比べると桁違いに多い。
ただね、、、めちゃくちゃ台本がつまらない!!
自分だけが感じている違和感なのかと思っていたけど、仲良くなっていくスタッフにのちのち訊ねてみると、それぞれ感じていたみたい。
監督はひとりで楽しそうにしているけど、スタッフとのコミュニケーションは少ない。スタッフはちっとも楽しくなさそう。
鹿児島で作品を作ったときは、監督たちからド素人の自分たちに、台本に対する真っ直ぐな意見を何度も求められた。だから自分は台本を良くするためと思って、思いついた意見を惜しみなく発言し続けた。
監督と自分だけじゃない。関わってくれたスタッフに準備段階の台本を読んでもらい、そのフィードバックに幾度も悩みながら台本を完成させた。
映画とドラマはかくも違うものか?
たしかに映画に比べると、ドラマは撮影する分量が多い。カット割りも多い。ただ、映画も作品によりけりだから、分量が決定的な理由ではないと思う。
違うのは時間とお金だ。
ドラマは企画が通り、おおよその放送時期が決まる。その放送時期にあわせて完成品を納品しなければならない。逆算して企画を成立させるし、稼働の期間はギャラが出る。その代わり、十分に考え込む時間が足りない。
翻って映画は、劇場の空き状況によって公開時期は大きく変動する。だから、作品が完成してから公開時期を決めることだってできる。
ドラマも映画も俳優のスケジュールに現場の予定は左右されるが、準備や編集に費やせる時間がドラマとは圧倒的に異なる。ただ昨今、景気のいい作品なんてものは本当少ないから、編集に時間を費やせば費やすほど時給単価は低くなる。
とはいえ、優れているドラマがあるのも事実。
映画もドラマも双方それぞれに制約があって、その中で作品を完成させ公開する決まりがある。
その制約の中で、オールスタッフが常に1mmでも面白い作品にするよう努める責任があると思う。
それは何も台本に口出しすればいいというだけの話ではなく、現場の雰囲気が良くなるように振る舞うことだっていい。
現場でのスタッフのパフォーマンスは間違いなく作品のクオリティに直結するから。
話が再び脱線したが、件のドラマは、演出もつまんなくて役者の芝居はひどいし、プロデューサーは全く現場を仕切れてないからスタッフの人間関係はどんどん悪化するしで、悪いことが日に日に炙り出されてくる。
そのくせ、長島町で作った作品よりも予算があるもんだから、「こんなクソみたいな作品量産するから、韓国に追い越されてんだよ。この予算俺に寄越せよ!!」って苛立っていた。笑
12月にようやくクランクアップ。
この作品のことは紹介すらしたくありません。笑
散々な言いようだけど、自分は下っ端仕事だったので、冷静な立ち位置で現場を見ることができていたので、決定権を持つ立場でやっていきたいなぁという思いは膨らんだ。
さて来年からどうしようかなぁ・・・
なんて思っていたら早々に「私を判ってくれない」の美術さんから映画の美術応援として呼んでいただいた。
千葉県の館山に缶詰で、裏方仕事を続ける日々。
関わったのは「PLAN75」。
超駄作ドラマの次はなんと、カンヌ&米アカデミー。
倍賞千恵子さんの芝居を間近で見ることが出来て本当に感激した。
とにかく全てにおいて素晴らしい。
現場では人柄で魅了し、カメラがまわると芝居で魅了させられた。
「PLAN75」以降は、
NHKの再現ドラマの現場に呼ばれ、
そこで出会ったスタッフさんからVシネの現場にも呼んでもらった。
再現ドラマは非常に雰囲気の良い現場で、
Vシネも現場の雰囲気は良いんだけれども、あまりに過酷すぎて本当にキツかった。朝6時から撮り始めて、家に帰ったのが翌朝6時。
これは続けられないけど、こんな現場があることを知れてとても勉強になった。
そんなこんなで現場を学びながらフリーの何屋かよく分からない仕事を続けていたが、沸々と東京に来るきっかけとなっていた、プロデューサー業をもっと学びたいという想いが強くなる。
何社か大手の制作プロダクションを受けたが、自分がプロデュースを経験したのは長島町での2作のみ。経験不足で取り合ってもらえず歯痒い思いもした。
◆2022年3月〜現在
そんな最中にタイミング良く、ありがたい巡り合わせが続き
「プロデューサー業も経験できるので、是非うちに来てくれませんか?」
というお声がけをいただき、制作プロダクションSS工房に所属する運びとなった。
SS工房の社長の古賀さんは「私を判ってくれない」の立ち上がりの時に色々とアドバイスをくださったり、編集場所として会社を貸してくださった恩人。一緒に働けることも光栄なことだ。
働き始めて1年。1年でかなり色んな経験をさせてもらった。
ここまで色々綴りすぎて息切れしてきたので、ここから先は掻い摘んで。
・AmazonPrime「モアザンワーズ」/2022年4月〜7月
京都、滋賀、神戸、東京で撮影。制作担当で参加。
知らないことが多すぎて本当に大変で苦しかった。
今までの仕事の手を抜いてきたわけではないが、毎日必死にやっても、それでも追いつかない自分と初めて直面し、自分の未熟さをさらに知る。
旧友との再会も、新しい出会いも沢山あった。
今の自分の仕事がどんな仕事なのか少し掴むきっかけとなり、キツかったけどいい経験。
・2023年公開予定の劇場映画/2022年8月〜9月
まだ情報公開前!ラインプロデューサーで参加。
予算も無いし、台風は2回も来るしで、大変だったけどみんなで乗り切ったぞ!って感じの現場。
・「私を判ってくれない」劇場公開!!/2022年9月から全国順次
そしてそして!
念願の「私を判ってくれない」の劇場公開を迎えます!!
色んなSNSで当時の様子は発信させてもらったので割愛するが、鹿児島先行上映で1年ちょっとぶりに鹿児島に行けて、一緒に撮影を乗り越えた関係者のみなさんに再会できてほんとーーーに嬉しかった!!!
鹿児島ガーデンズシネマに始まり、
池袋シネマ・ロサ、愛知・刈谷日劇、京都・出町座、大阪・シアターセブン、宮崎キネマ館、福岡・KBCシネマ、そして
2023年も横浜シネマリンで公開していただきとっても嬉しいです。
ご覧くださったみなさま、作品の完成までお力添えくださったみなさまに
改めて御礼申し上げます。
本当にどうもありがとうございました!!
・LINKL PLANET MV「Plastic+」/2022年9月
初めてのMV。ラインプロデューサーで参加。
「私を判ってくれない」の近藤監督、小倉カメラマン、「モアザンワーズ」からずっと一緒の助監督の林と一緒の現場で、監督やVFXチームも人柄が良く、終始和やかな雰囲気。初めて精神的に余裕を感じてたかも。笑
・2023年公開予定の劇場映画/2022年10月〜11月
まだ情報公開前!制作進行で参加。
人手が少なくて、体力が超キツかった・・・・・・・・・・・
だけど、今まで見てきた制作部としては、最高のクオリティだったと思うし、その一端を担えていたのは経験として本当に貴重。
ただ、下と判断した人間にだけ高圧的な態度をとる奴がいて、そいつはどんなに仕事が出来ていようが人として軽蔑した。
仕事が出来ればそれでいいの?
仕事をしたいと思われる人でありたい。
・MBS「往生際の意味を知れ!」/2022年12月〜2023年2月
ラインプロデューサーとして参加。
毎日毎日本当に色んなことが起こったが、まだノーコメント。笑
なるほど、こうやって書き出してみると色んな事やったなぁ・・・
とはいえ、まだまだ半人前。
知らないこと沢山ある。
この業界の面白いところは、現場に出ないと分からないことが沢山あることだ。まったくもってマニュアル化されてない。非効率そのもの。
だから経験豊富な人ほど現場対応が順応だ。
若手が活躍できない場所なのか?そんなことはない。
岡本太郎がピカソの抽象画に出会ったあとに、本にこのように綴ってた。
だからスキルが追いつかないことに嘆くのではなく、
責任を持って少しでも作品を面白くすることに努めていきたい。
現場で自分の仕事を全うし、空いた時間にインプット。
本や啓発系のメディアには載ってない大切なことは世の中にごまんとあるからどんどん出かけよう。そんな大切なことは長島でたくさん学んできた。
まだまだ頑張る。
あれ、これ誠実に言葉を選びたいとか冒頭に言ったけど誠実か?笑
正直なだけじゃ、、まぁいいか。
ではまた〜!