マンガ評:『ようこそ!FACT(東京S区第二支部)へ』という怪作
『ひゃくえむ。』『チ。』の魚豊による怪作。
テーマはなんと、陰謀論と片思いである。ネタバレ全開で語る。
なぜ陰謀論と片思いなのか
魚豊氏が陰謀論を扱うのは意外にも思える。なにしろ前作『チ。』では命を賭して真理の追究に殉じる人々の姿を描いたのだ。そんな彼が、真理の追究から最も遠いところにいる陰謀論者を描くとは。
ポッドキャスト『マンガのラジオ』のVol.13-16が魚豊氏のゲスト回だった。そこで彼は、「なぜ新人の頃はギャグマンガばかり書いていたのか」を問われ、こんなことを言っている。
いや、単純にギャグ書いてたのは、それしか書けないからなと思ってたんですけど、でも今にして思うと「ふざけたことを本気でやる」というテーマは一貫しているなというか、まぁ100m走だって地動説だって、端からみたら「なんでそんなことすんの?」っていうのを本人からしたらめっちゃ必死にやってるっていう、なんかその構造というか見え方が面白いなって
そう、魚豊氏は「一見すると不合理なことを必死でやっている」という光景が好きなのだ。100m走の速さに自分の存在全てを懸ける人々、命の危険を冒してでも地動説に憑りつかれる人々。
確かに、そんなあり方にこそ、理性で自らをコントロールしきれない、人間らしさが表出しているような気がする。
陰謀論に憑りつかれる人だったり、片思いで暴走する人もそうだ。「なんでこんな思考回路になっちゃうんだろう。この執着はどういうことなんだろう。」そんな好奇心が魚豊氏にはあったのではないか。
陰謀論者の描写
30話で終わるコンパクトな作品ながら、色々な示唆に富んだ作品だった。やはり、特に陰謀論にハマる人間の思考回路を気持ち悪いぐらいに生生しく描写しているところがポイントだろう。
劣等感、認めたくない現実、一発逆転への期待…
また、陰謀論界隈の描写も興味深い。陰謀論者のなかにも温度差というものはあり、自販機で飲み物を買うことすら怖くなってしまう人もいれば、遊びでやっている感じの人達もいる。
陰謀論にハマってから家族との折り合いが悪くなった人が、主人公に先んじて足を洗うシーンまで描かれていた。
このように陰謀論の世界を描写しつつ、主人公は片思いも経験する。社会的弱者である自分と、本気で社会を良くしようと努力している大学生の飯山さん。単なる取材で声をかけられたにも関わらず、主人公は”ロジカルシンキング”を発動させ、飯山さんは自分に気があると解釈する。
そして、脈が無いことを示唆する情報と出会うたび、それを否定するロジックを必死に求めていくのだ。
そんな描写を読んでいく中で、片思い中の奇行を繰り返す状態と、陰謀論にハマった状態との相似性が浮き彫りになっていく。
読み進めるのがツラすぎる
そんなわけで、全体的に描写は優れていたのだが、正直なところ読み進めるのが辛かった。
というのも、自分は登場人物に妙に感情移入してしまうところがあるのだ。登場人物が赤っ恥をかいているようなシーンを見ると、自分まで恥ずかしくなってしまう。これを共感性羞恥というらしい。
だから4話ぐらい読んで「もう限界」と連載を追うのを休み、またちょっと読んで「やっぱ無理」とドロップアウトして、というのを繰り返していた。特に片思い描写がキツい…
気持ちのいい結末
終盤、主人公は様々な出来事を経験し、陰謀論から足を洗うことを決意する。最後に主人公が飯山さんと、陰謀論の”先生”と対話するシーンがとてもとても良かった。
飯山さんにしっかりと告白し、しっかりと振ってもらう。
”先生”にも陰謀論から足を洗った心境を説明し、自分を救世主扱いした理由を正直に語ってもらう。
「無理です。ごめんなさい。」
「馬鹿だと思ったからだ。」
浴びせられる言葉は辛辣だが、主人公はスッキリとした表情でお礼をいう。
「ありがとうございます。」
なぜお礼を言ったのか。本当のことを言ってくれたからだ。
身も蓋もない現実の世界で生きていくと決めた主人公にとって、それは禊の儀式だったのだろう。
タイトルの意味
「ようこそ!FACT(東京S区第二支部)へ」というタイトルについて。
これはもちろん、陰謀論組織である「FACT」の支部に主人公がのめり込んでいくということを指している。
だが、終わってみれば本作は陰謀論にズブズブだった主人公が
「実も蓋もない現実と向き合う人生」へと踏み出していく物語だった。
『ようこそ!FACTへ』というタイトルは、現実と向き合う覚悟を決めた主人公への祝福の言葉とも取れるだろう。きっと狙い通りのダブルミーニングだ。
付け加えるなら、片思い相手の飯山さんは、社会の現実を直視しながらも、社会をより良くしようと本気で動き、成功の糸口にまでたどりついているのである。
最後まで主人公は社会的弱者のままで終わるのだが、精神的には飯山さんの世界に向けて一歩踏み出せたのだ。