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名作『柔道部物語』を思い出す

東京五輪について。開催に至るプロセスに対しては不満だらけなのだけれど、アスリートの姿自体はやはり素晴らしいもので、なんだかんだ楽しんでいる。

自分が経験者なこともあり、柔道は出来る限り観ていた。日本代表は大活躍だった。今大会のルールはしっかりと組み、柔道らしい技をかけあうことを誘導できており、観戦の楽しさも増していたのではないか。

妻も盛り上がっており、「息子の習い事に柔道はいいのでは」なんて言い出している。ミーハーである。しかし、身体が強くなるし、受け身が取れるようになるし、礼儀も仕込まれる。たしかにいい習い事かもしれない。

ふと、小林まことの『柔道部物語』をまた読みたいなぁと思う。息子の目の届くところに全巻を置いておくのも、息子を柔道へといざなううえで有効かもしれない。

しかし、今のご時世だとこの作品はマズかったりするのだろうか。どうだろう。作品を懐かしく振り返りつつ、ちょっと考えてみたい。

あらすじ

主人公、三五十五(さんごじゅうご)は高校入学早々、柔道部に勧誘される。楽し気な雰囲気と優しい先輩たちに心をつかまれ、素直に入部を決意する。

しかし、ある日道場に呼び出されると、先輩たちの態度が急変。
「髪の毛は丸坊主にすること」
「おはようございます、こんにちは、さようならをそれぞれザス・サイ・サと言い換えること」
などが命令される。そして竹刀を振り回し、威圧する先輩たちの指示で
「ザス!サイ!サ!」
と叫びながらうさぎ跳びで道場を回り続けるのだった。これが岬商業高校の柔道部に伝わる「セッキョー」という儀式なのである。

意外にも、1年生の一部は柔道部を退部せず、継続する。「次の世代にセッキョーをするまで退部してたまるか」という薄暗いモチベーションが芽生えたのだ。

そんなゆがんだモチベーションで取り組んだ柔道だったが、公式戦で目撃した先輩の強さ、そして自分の試合での手ごたえから、三五十五は次第に柔道にのめりこんでいく。

柔道描写の見事さ

柔道部物語の面白さを語る際に欠かせないのが、試合描写の見事さだ。コマ割りやカメラアングルなどが抜群にうまく、足技や投げ技がどういう原理で決まっているのかが伝わってくる。迫力も抜群で、試合パートが読んでいて抜群に面白いのだ。

そして、作品独自の必殺技が幅を利かせる様なこともなく、正統派の描写のままに試合はアツさを増していく。『スラムダンク』や『ハイキュー』のように、競技の描写自体がウリのスポーツ漫画として楽しむことができるのである。

「俺って天才だあああ!」

小林まことは、男のお調子者な部分を描くのがうまいと思う。柔道部物語ではそれが特に印象的だ。

顧問の五十嵐先生は、元オリンピック候補選手という実力者だが、怠け者な一面もあり、指導にやる気をだしてこなかった。それが、指導に本腰を入れるようになるのだが、内容が独特で面白い。

「強くなるには、まず自分が強いと思い込むこと」という謎の理論を持ち出し、練習メニューに以下の絶叫を加えるのである。

「俺って天才だああああ!」
「俺ってストロングだぜえええ!」
「俺ってバカだあああ!」(バランスをとるため)

実際に強くなりつつあることに加え、この自己暗示で部員たちの目はすわっていく。さらに、部員たちは(自分だけ強くなりたい)という思いまで抱くようになるのである。

とは言っても、部内で自分がどれだけ強いのかはやはり切実な関心事だし、この自分だけ強くなりたいという思いもリアルである。それに、部員同士での意地の張り合いなども、読んでいて楽しいものだ。スラムダンクの桜木と流川がベタベタしていたら、やはり面白くなかっただろう。

王道の成長物語

作者インタビューによると、本作は「毎日きつい練習や先輩からの理不尽なしごきとか、そんな普通の高校の部活動を描いて」いたのだという。

しかし、あるとき柔道家の古賀稔彦さんから「柔道部物語を読んでる、面白いのでこれからも続けてください」というコメントをもらい、三五十五の成長物語へと作風が変わっていったのだという。

実際、本作の一番の見どころは、三五十五がメキメキと強くなっていき、全国区の選手になっていくところだろう。気持ちのいいぐらいのスポ根であり、逆にいえば深いテーマが埋め込まれているわけでもない。

しかし、競技にのめりこみ、成長していく姿というのはやはり爽快だし、勝敗を通じた悲喜こもごもも胸を打つものだ。スポ根ものの普遍的な面白さがいかんなく発揮されているといっていいだろう。

理不尽な慣習への愛着

一方で気がかりなのが、当時の部活動にあった理不尽さに対し、作者がちょっと好意的に振り返っているところだ。あらすじにもあった「セッキョー」はその最たるもので、このような描写は次第に「眉をひそめるべき」ものになりつつある。

個人的には、部活動という集団内で奇妙なルールが生じるのは仕方ないとも思う。しかし、それが理不尽で暴力的なものであれば笑えないし、部長や顧問はそれを正すべきだと思っている。

そもそも、オリンピックの指導チームってパワハラやセクハラで散々問題化していたような気もする。そう考えると、当時の部活動にあった理不尽な伝統を笑いながら振り返る、というのもちょっとスジが悪くなってくる。

とはいえ、最近流行りの「過去の言動を引っ張り出して炎上させる」というムーブメント自体もあまり賛同できるものでもない。当時の倫理枠組み内に収まっている限りは「そういうもの」として見つめるべきだろう。

柔道部物語は間違いなく名作なのだから、余裕をもって楽しめるといいなぁと思う。「今の感覚では眉をひそめてしまうけど、当時の感覚では笑いながら振り返るようなものだったんですよ。」という感じで、末永く読まれますように。

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