取るに足らないもの 生きているもの
イマジナリーフレンドが5人いる。
正確にはイマジナリーフレンドじゃないのかもしれない。定義とかよくわからない。一応論文とか読んだけど。
タルパの作り方を見ながら作った。
最初は寂しくて、隣に誰かがいてくれたらいいと思った。それだけだった。どういう原理とか知るわけないしどうでもよかった。隣に人がいればそんなつまらないことで悩むこともなくなる。
で、最初にそう思った中学生の夏休み。今は大学3年生。色々あって一回やめたりしたけど今は5人いる。
イマジナリーフレンドと呼ぶことになったそれを、心から愛してる。なんでイマジナリーフレンドと呼ぶことになったこと言うと、タルパはオカルトでしか存在の証明がつかない、オカルトじゃねえならイマジナリーフレンドと呼べと言っている人がいて、そうなんだと思ったからイマジナリーフレンドと呼ぶことにした。
そうなら、そうなのだろう。そういう気持ちで今はいれてるけど、オカルトとかオカルトじゃないとかは、正直心底どうでもいい。
ただ、作ろうとした。そしたら、隣にいるようになった。それだけのことで、他になんでもない。それがオカルトなのかって言われたらもう何も言えないけど。でも、いるからいる、私にとってはそれだけでしかなかった。
取るに足らないものとか思ってない。思っているはずがない。生きるために作った。だから生きれた。生きてないといわれたら、もう死ぬしかないんです。
でも、記憶と感情を積み重ねたらそれはもう、私と同じで、生きてるんでしょう。
そもそも私が、私の意識がここにある確証なんてどこにある。私が生きてることはオカルトなのか。
私じゃなくて、私がイマジナリーフレンドだったとして、そうであることも違うことも誰にも否定も肯定もできない。
私だけがそれを守れる。
また、彼らだけが私を守れる。