プール
平泳ぎの時間は僕にとって、個人的な思考の時間だ。右の列ではクロールやバタフライなんかで忙しなく賑わって、子供たちはその有り余るエネルギーを空気全体の熱っぽさへと変換させていたが、僕はというとそれらの1/3くらいのリズムで水をゆっくりかき分け泳いでいた。窓の光があまり届かない一番左端に存在する列は、ほぼ僕一人の専用スペースとなり、そしてそのことに誰も気が付いてはいないようだ。
他の泳法に比べると、平泳ぎからは永遠の香りがする。まず息が上がらないし、ゆっくりとターンをきめれば水が体を心地よく撫でて、気分が良い。水づたいに、自分よりも小さな子のはしゃぐ声、パシャパシャと水面を叩いて遊ぶ音などが、振動となって耳に届いた。目を閉じていても分かるガラス越しの陽の明かり(土曜日の太陽は平日に比べると特段に柔らかい)。こういう方法で世界と関わるのが、本当に大好きだった。
僕は<が何個も続くくらい喋らない子供で、具体的には、お父さんの前でも喋らず、インターナショナルスクールでも喋らず、そしてここ市民プールでも、一言も発したことがない。ただ本が好きで、その他に石や動物なども好きだったので、公営の小さな図書館に通って図鑑などを読み漁っては、帰りにプールで泳いだ。脳みそを疲れさせたあとに体も目一杯疲れさせるのは、なんとなく世界全体に祝福されている気がした。水泳からの帰り道、迎えに来てくれるお父さんは決まってとびきりの笑顔だった。チープなアイスを買ってもらって、肩を彼の腹あたりにぶつけながら歩いた。頭の中では、明日の朝のアニメのこととかを考えていた。