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あたまのなかみ⑧
上手く生きていけないなぁと感じることが多い。視野の広さに傷つくことが多い。自分を縛る枷が重たくて動けずにいる。上手く生きていけないなぁと思いつつ、上手い生き方って何だよとも思う。世間一般でいう幸せを手に入れていることなのだろうか。私はまだ、世間のいう幸福に囚われているのかと少し悲しくなる。でも定型の幸福を目指すことしか目標のない空っぽの日々を送っているから仕方ないのかも。中身を頑張って詰めてみる。好きな音楽とか、かわいいキャラクターとか、日々の仕事とか。でもそれって擦り切れて血を流す心に絆創膏代わりに貼ってるシールみたいなものに過ぎなくて、とりあえず生き抜く為、自分を保つ為のツールでしかないなって最近思った。何かを目指すとか、方向を決めるとか、そういうところまでまだ至ってないのかもしれない。取り敢えず歩き続けなければいけない中で、方向とか気にできる段階じゃないのかも。
ずっと調子が良かったから忘れていたけど、私は健常者じゃない。季節の変わり目だからかわからないけど急に希死念慮が私を殴ってきて、そうだ私って健常者じゃないんだと思い出させてくれる(ふざけんな)。その度にもう元には戻れないんだなぁと悲しくなる。自分の中の理想とか憧れを見返しては頑張らなきゃと思うんだけど、頑張ることでまた希死念慮にぶん殴られる。取り敢えずお帰り頂く為に大人しくしておく。そうすると理想や憧れが私を突き放してくるように感じて、「お前には一生無理なんだよ」と何かが言ってくる(多分希死念慮くんだ)。最近そういうことが多くて、正直どんどん沈んでいる。このままじゃ駄目だという焦りと、頑張ると顔を出す希死念慮と、頑張れないことであふれ出る嫌悪感と混ざり合ってぐちゃぐちゃになって、結局私はどうしたらいいのかと答えのない問を続けてまたぐちゃぐちゃになる。薬を飲んで薄く膜が張った脳の中で、思考だけが常にぐちゃぐちゃになって回転し続けている。そういう感覚がする。
死ぬにしても死ねないくらいの関係性が構築されてしまっているから、希死念慮にホイホイ従うこともできず、道にもなっていないような地面を血まみれになりながら歩いている。そういう日々をいつか笑って振り返れる日って来るんだろうか。
もうすぐ誕生日がくる。