できない理由

こんにちは。犬です。
ノートパソコンが壊れました。

もう起動もしません。
ただの折りたためる板です。
電源ボタンを押すとぴかぴか点滅します。
綺麗ですね。かわいい。

なので、しばらくnoteは書けないなと思っていました。せっかく初回から少しながら反応も頂けて嬉しかったのに。

僕はスマホで長文を書くのが苦手です。
文章全体を見ながら書かないと「これ何書いてるんだっけ」となってしまうからです。
なので、ノートパソコンを買い換えるまでnoteは書かないつもりでした。

ふと、あるカウンセラーさん(いつかこの方について紹介させてほしい)が以前ブログで話されていたことを思い出しました。

しない、できない、したくない。

はて、僕は本当に「書きたいけど書けない」のだろうか。
スマホだって書こうと思えば書ける。
なのに書かないのは、書きたくないからなんじゃないだろうか。

あるところに、何かにつけて”できない理由”を考えるのが得意な人がいました。僕です。

上手くいかないかもしれないから。
変に思われて恥をかくかもしれないから。
時間やお金が無いから。

”できない理由”は、探せば簡単にいくらでも見つかるものです。

しかし、それが本当に”できない理由”なのでしょうか。
もしかして、本当は別の理由でしたくないけど、それに気付かないために尤もそうな理由を探しているだけなのではないでしょうか。

それに気付くためには、本当にそれが”できない理由”として妥当なのかをよく考えてみます。

上手くいかない
→上手くいかないといけないの?

恥をかく
→恥ずかしいと死ぬの?

お金や時間が無い
→本当に?本当にないの?少しも?マジで?絶対だな?

これらの理由は、実は自分の行動を決定づけるほど重要な問題ではないことが多いように思います。

では何故、本当の理由を隠して尤もそうな理由を思い浮かべるのか。
本当の”できない理由”もとい”しない理由”は、そんなに綺麗な言葉では表せられない、言いたくも考えたくもない感情だったりするのかも知れません。

それに向き合うか向き合わないかは人それぞれでいいと僕は思います。
大事なのは、そのとき考えた”できない理由”は本当の”しない理由”ではないと気付くこと。

そして、”したい理由”は何だったのかを思い出すことです。

僕がnoteを書き始めたのは、語弊があるかもしれませんが、遺言のようなものです。

おそらく僕が居なくなっても、居なくなったことに気付く人はごく僅かです。
職場の人に「あいつ飛んだな」と思われる等するくらいで、3日もすれば話題から消えて、3ヶ月もすればみんなの記憶から消えて、3年もすれば僕が生きた痕跡は跡形もなく消えるでしょう。

そう考えると、少しもったいないなと思いました。

僕は、自分が考えることとか、自分の書く文章が結構好きです。
そして、同じようにそれを好きだと思ってくれる人は地球上に何人かはいると思います。
思い上がりではなく、確率論です。
「この文章を好きなのは地球上に僕1人だけ」なんて、そんな奇跡は到底考えにくいでしょう。

だから、僕が消えてしまっても一緒に僕の言葉や考えが消えてしまうのはもったいないと思ったんです。
僕の文章をまっすぐ受け止めてくれる人の目に触れる確率を少しでも上げるために、文字にして残そうと思って、noteを書きたいと思ったような気がします。多分。

そして、その”したい理由”が”しない理由”を上回ったので、今この文章を書いています。
確かにもうすでに「これ何書いてるんだっけ」と思っていますが、そんなことはどうでもよいのです。

皆さんも、何かに対して「できない!」と思った時には、その理由について少しだけ考えてみてはいかがでしょうか。



あ、パソコンついた。

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