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時代劇としての『いつか読書する日』
青木研次の脚本を緒方明が監督した映画『いつか読書する日』のことは、上野昻志が書いた主演の田中裕子の演じる肉体の輝きを激賞した熱い文章によって記憶に刻まれたが、その時の紹介によるとストーリーは次のようなものであった。
高校の同級生の二人は恋愛関係にあったが、不倫関係を結んでいた少年の父と少女の母が交通事故に巻き込まれ死亡するというスキャンダルが起こり、二人の関係は終わり、やがて男は他の女性と結婚し、女は独身のまま朝は牛乳配達、昼はスーパーマーケットのレジ打ちの仕事をして生活を送っている。同じ町で暮らす二人は、かつての恋人への思いを胸に秘めたまま表面上は見知らぬ他人のようにふるまいながら、ひっそりと息を殺すように暮らしているのだが、難病を抱えた男の妻が死ぬことで二人の関係に急激な変化が訪れる……
という字面だけ見ると、なんともベタなものであり、映画を観ることまでには及ばなかったのだけれども、つい最近「朝日新聞」で読んだ(この原稿は2019年10月に書かれた)、歌人の東直子がこの映画を紹介した文章(「長い長い階段と恋」)がやはり熱かったので、気になってDVDを手に入れ観てみた。
これはなかなかの名作である。ストーリー自体は、藤沢周平が描くところの引き裂かれた男女の恋のようなベタな時代劇調なのだが、田中裕子の持つ時代劇調のオーラがこの作品を良質の時代劇として成り立たせている。これはあくまでも私の個人的意見であるが、私にとって時代劇とは、それに登場する人物が圧倒的な美しさで立ち姿を披露するドラマのことである。例えば代表的な例で言うと、中村錦之助が『関の弥太っぺ』『瞼の母』『沓掛時次郎 遊侠一匹』などで見せる股旅姿で両腕を組み孤立無援の状況に耐えて画面に屹立するあの美しい立ち姿である。
女優では「緋牡丹博徒」の藤純子や『曾根崎心中』の梶芽衣子がその代表例となる。私が田中裕子に「なんだかこの女優凄いな」と感じたのは、NHKテレビドラマの『新宿25時』(1982年)で田中が演じた不良少女を見た時であったが、古谷一行に「ネクタイなんか締めて来るんじゃないよっ!」と啖呵を切るシーンは、松田聖子全盛の時代にあっては反アイドルの急先鋒であったし、『天城越え』(1983年)の土砂降りの中で顔を雨にうたれながら立ち尽くす姿は凄みのある美しさであった。田中をヒロイン役(キャサリン=絹)に迎えて『嵐が丘』を撮った吉田喜重は、田中を起用した理由は「現代の日本の中で唯一巫女の雰囲気を持つからだ」と述べている。私も田中に感じるのは艶っぽい超越性といったものである。自分で言っておいて「超越性」というのはなんとも無様な言葉だと思うし、田中自身困惑するだろうが、とはいえ田中の立ち姿の素晴らしさは、やはり、超越性の感覚から来ていると思う。私がイメージしているのは、精神分析学が主体の成立で重視する「切断=去勢」→「超越=自立」というプログラムである。またしても無様な言葉を書いてしまったが、このまま筆を進める。
『いつか読書する日』は距離の映画だと思う。そしてこの映画の複数の登場人物たちが堪えている距離の根底には切断の体験があると思う。この映画のファーストシーンは、切断という残酷な体験を知らないヒロイン・大場美奈子=田中裕子が書いた作文が「市の作文コンクール」で1位を取ったことが教師の声で告げられ、「未来の私からの手紙」という題名の作文を美奈子自ら朗読する場面から始まる。ついで映画は古めかしい複数のモノクロのスナップ写真を映し出すのだが、このようにして映画は過去と現在の切断=距離を顕在化させ、大場美奈子が耐える距離の物語を演じ始める。言うまでもなく美奈子が耐えている距離とは、岸部一徳が演じる美奈子のかつての恋人高梨槐多との距離である。心理的な距離はもちろんのこと、映画的にも二人の距離は、槐多が通勤で乗車する路面電車と美奈子が並行して走らせる自転車との距離や美奈子の勤務するスーパーマーケットのガラスのドア越しに交わされ逸らされる視線として描かれる。また、美奈子が牛乳の飲めない槐多のもとへと毎朝届ける牛乳瓶も、二人の間で微妙に揺れ動く距離を生き物のような表情で映し出す。
一方の槐多は美奈子のみならず妻の容子との間にも距離があり、妻からはよくわからない人だと思われている。さらに槐多は市役所の児童課の職員であり、彼は育児放棄された兄弟のことを親身になって心配しているが、彼らを救い出すことができず無力感にとらわれている。
そしてまた、美奈子の母親の知り合いで美奈子のことを赤ん坊のころから知る皆川敏子という小説を書く女性(じつはこの映画は敏子が書く小説という仕掛けになっている)も、認知症を進行させる夫との間に生じる距離を生きる人物である。このように複数の人物がそれぞれの距離を静かに耐えながら生きている。この距離は、もともとあった本来的な(?)と思われた場所から、切断されずれたことにより生じたものであるが、ある種の回復がなされない限り(たとえば小さなところでは家庭とか大きなところではナショナリズムとか)、癒されることはない。だから立ち姿を維持する者は安らかに身を横たえることができず、不眠を強いられている。病身の妻が眠るベッドの脇の床の上に添い寝する岸部一徳は絶えず緊張しており、安眠を享受しているようにはとても見えない。彼が安眠を享受できるのは美奈子とようやくにして始めて結ばれた雨の夜のことである。そして彼はその直後永遠の安眠に埋没することになろう。
美奈子と槐多がそれぞれ生きる距離の世界の根底には切断があり、その切断とは具体的には二人の父と母が起こしたスキャンダルであろう。彼らの本来いた場所は粉々に砕けた。「俺は平凡に生きてやると決意したんだ」という槐多の台詞は切断を経験した人間の言葉である。また、育児放棄された兄弟に対して、同僚から「少し異様だぞ」と不審がられるほど強い執着を持つのも、おそらく彼が子供たちに自分の分身を投影しているからであろう。槐多自身、幼い兄弟たちが住まう荒みきったアパートの一室のような世界に転落する危険性はあったのである。
一方の美奈子もまた、頽廃の世界に浸りきり健やかだった世界への郷愁すらもはや忘れてしまったような兄弟たちの母親のような人間になる可能性はあった。それを食い止めたのは部屋の壁一面を埋め尽くす書棚に並べられた膨大な数の書物であり、溌溂とした生のリズムを刻む牛乳配達の運動である。緒方明監督の故郷でオールロケーションされた長崎の傾斜に富んだ風景が素晴らしい。坂の多い風景は、自然、斜めの運動を映画に導入することになるが、階段のふもとで「よし」と一声呟いて階段を駆け上がりながら牛乳を運ぶ田中裕子の姿が素晴らしい。偽りの均衡を保ちながら仮初めの生を生きているヒロインが、生産的な不均衡とでも呼べる運動と同調することで本来の自分を回復させようとする姿が清々しいのだ。
仰視するカメラがとらえる階段を上るヒロインの後ろ姿はクライマックスでも反復される。雨の降りしきる夜美奈子が槐多を自分の家に迎え入れる時、カメラは仰角気味に寄り添って階段をのぼってゆく二人の姿を背後からとらえるのだ。画面からにじみ出る優しい雰囲気が素晴らしい。こうして二人の間にあった距離は消滅し、美奈子を見守る敏子の前では唯一リラックスし甘えた猫のようにソファの上で体を丸めて柔らかな表情を示し得た肉体を生きる時間を、槐多との関係で手にしたかに見えた美奈子であった。けれども映画は残酷な物語を導入する。決定的な距離を発現させることになる。そうした物語の展開がいかなる論理、いかなる力学によってもたらされたのかはわからない。いずれにせよこの作品は田中裕子の時代劇的資質を要求した。その資質とは立ち姿がきまっていること。この映画は田中の凛々しい立ち姿の場面で幕を閉じる。
最後に岸部一徳についても一言。全般的に静的な演技に徹しているのだが、育児放棄する母親の胸ぐらをつかんだり、田中裕子のもとへ階段を駆け上って一挙に距離を廃棄したり、あるいは川へのジャンピングと、突発的なアクションを出来させて画面を活気づける瞬発力には眼を瞠るものがあった。
今回は田中裕子と岸部一徳主演の映画ということで、岸部と田中の夫である沢田研二が所属していたザ・タイガースにあやかって、グループ・サウンズを特集する。まずはザ・タイガースの数あるヒット曲から「君だけに愛を」。グループ・サウンズは宝塚歌劇団を出自にしているという話を聞いたことがあるが、そういう意味ではタイガースはその文化の正統派であろう。
ザ・タイガースのライヴァルであったザ・スパイダースからは、「あの時君は若かった」。ヴォーカルをとるのは堺正章と井上順。ソロになってからの「さらば恋人」もそうであるが、堺はメジャー調の胸キュン・ソングを歌わせると見事にはまる。井上順も同様にメジャー調がよく似合う。この二人は、ニール・セダカのようなアメリカン・ポップスがよく似合う。
ザ・スパイダースの弟分のザ・テンプターズから「エメラルドの伝説」。ベタなラブソングで、歌っている世界も現実離れしているが、萩原健一の独特な歌唱によって、ある種のエッジを感じさせる。ヴォーカリストとしての萩原健一は、似ているタイプを見出せないほど、突出している。
宝塚の世界観からは距離をとっているザ・ゴールデン・カップスからは「本牧ブルース」。横浜のロウワー・クラスの不良の匂いをぷんぷんさせている。バンドメンバーの入れ替わりは激しく、ミッキー吉野や柳ジョージが所属していたこともある。ちなみに横浜のアッパー・クラスの不良は矢作俊彦の小説に登場する生意気な若者たちである。
ラストはザ・モップスの「朝まで待てない」。これもまた、宝塚の世界からはかけ離れている。なにせリード・ヴォーカルが鈴木ヒロミツである。男のファンしかいないようなバンドであった。この曲の作詞を担当したのは、まだ無名時代の阿久悠である。