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『大使とその妻』(水村美苗)レビュー

みなしご達と結界

 『大使とその妻』の作者水村美苗が物書きとなり小説を書くことになったのは、やはり、少女期における外国体験が大きく作用しているだろう。水村は十二歳の時に、父親の仕事の関係でアメリカに渡った。感受性の強い少女であっただろう水村は、当然のことながら、心身を揺すぶられ、安全地帯に逃げ込むように、日本語の表現世界、おもに日本近代文学をむさぼり読んだ。とりわけ夏目漱石はお気に入りの作家で、漱石の言葉に惑溺し、未完に終わった遺作『明暗』の続編を漱石に成り代わって書いたほどである。

 このような経歴が背景にあるがゆえに、水村と日本語との関わりは、外国体験を免れた普通の日本人の母国語体験とは違って、かなり特異なものといえる。変な喩えになってしまうが、戦争体験者と戦争を知らない人間との違いくらいの差があり、そこから一般性を取り出すのは難しいかもしれない。物議をかもした日本語への過剰な愛がある考察『日本語が亡びるとき』は、戦争体験者の特異なエッセイと呼べるかもしれない。

 戦場に放り出された少女。水村の小説を読むとき感受する痛ましさは、そのようなイメージからもたらされる。『大使とその妻』の主人公貴子もまた、「戦場」のような空間に取り残された少女である。とはいえ、貴子の出自とその特異なキャラクターの由来が明らかになるのは、作品の後半部においてである。作品の前半部は、貴子の数奇な人生を語るケヴィンという名のアイルランド系アメリカ人男性が、貴子の神秘的な姿に心惑わされる姿と彼のバックグラウンドの紹介に費やされる。

 ケヴィンは同性愛者として設定されている。当然そのことによってケヴィンは、水村作品の主要な登場人物がそうであるように、強烈なみなしご感覚を身にまとうことになる。実の家族からも、唯一親密な愛情を示してくれた長兄キリアンを除いて、父からは「おまえはロクなものにはなるまい」と詰られ、姉のモウリーンは「弱虫!腑抜け!女の子みたい」と絶えず罵倒し続ける。キリアンの下にいる二人の兄も、ケヴィンの同性愛者という属性への軽蔑を隠そうとしない。家庭に居場所のないケヴィンは、大学を卒業すると、家族からは離れ、キリアンが十二歳の時に訪れた日本に今度は彼自身が滞在することになる。日本におけるケヴィンの住み処となるのは、生活の場としての東京と本来の自分を取り戻すための場所として購入された軽井沢の別荘である。むろん、水村作品ではお馴染みの軽井沢という土地がこの作品の中心となる。ケヴィンはこの別荘および周辺を自分が専攻した日本文学の数々の言葉で彩る。「夏の夜は、さらなり……」という『枕草子』の出だしや「奥山に もみぢ踏み分け 鳴く鹿の 聲聞く時ぞ 秋は悲しき」という『百人一首』の歌が引用されたり、あるいは自分の小屋を、「鴨長明の庵に見立てて『方丈庵』と呼んだ」り、小屋へと続く小道を「松尾芭蕉にちなんで『ほそ道』と名づけ」たりする。貴子とその夫の篠田氏がケヴィンの小屋近くに建造した山荘は「蓬生の宿」と呼ばれることになるだろう。

 こうしてケヴィンと貴子が活動する空間は、世俗の雑音と猥雑さを排除し聖性を確保することを可能にする結界のような役割を果たす。幼い頃水村美苗は『小公女』(バーネット)に惑溺したが、それに登場する「布」に注目し、それが結界のような役割を果たしていると水村はいう。「思えば、布こそ『現実』に魔法をかけ『想像の世界』に変えることができる、もっとも有効なモノである」(「布の効用――バーネット『小公女』」)。水村にとって、文学は「布」の機能を言語化する営みであるかのようだ。

 「俗な空間」とのつながりを断ち切り、闇夜に輝く月や星に視線と精神を向けさせる結界という空間は、当然ながら、縦の構図と縦の運動を引き寄せる。『大使とその妻』という作品は、縦の運動に憑かれた人々の物語である、と言えるかもしれない。

縦の構図

 縦の構図は、水村作品の登場人物にあっては、政治的階級的問題であるよりは、文化的言語的問題としてあらわれる。縦の美学の権化とも呼びうる北條夫人なる人物は、貴子の育てのおばあさんである八重にとっては、元教師というバックグラウンドがあるがゆえに、理想的な言葉の使い手として強く印象づけられる。「こんなによどみのない上流の東京言葉は映画のなかでしか聞いたことがなかった」。

 そしておばあさん自身も「実際に日本語学校で教師をしていたことのあるおばあさんは、貴子のような子には学校だけでは不充分だと思っていたのだろう。漢字練習帳の升目を貴子に毎日埋めさせ、本屋が休みの日は、墨を磨らせ、筆を握らせて習字の稽古をさせ、まずは『百人一首』、次には『古今和歌集』から秀歌を選んで暗記させた」のである。おばあさんのこのような行動の背景には、貴子を「ちゃんとした日本人」「ほんとうの日本人」に育て上げるという使命感があるし、そのような幻影に生々しい命を吹き込まずにはいられないブラジルに渡ってきた貧しい移民としての過酷な現実がある。現実が厳しければ厳しいほど、幻想は異様に妖しいほどに輝きを増す。

 さらにまた、ケヴィンも上下関係を導入せずにはいられない「敬語」という日本語独特の様式に愛着を覚え、初対面の貴子に親近感を抱かせる。じつは篠田氏との結婚前に貴子は三年ほどアメリカ人と付き合っていたのだが、「彼と別れたのは敬語について言い争いをしたのがきっかけ」だった。そして貴子は、身分関係とは離れた敬語表現について言及する。「ほら、お月さま、お星さま、おてんとうさま、お山、お水、お空、お花……虫さんまである」そのような特殊な表現には「生きてるってことがなんだかありがたくなる」作用があると貴子は言う。「お月さま」、「お星さま」……。人間的な権力関係を離れたこれらの表現形態は童話などによく見受けられるものだが、そうした言葉のスタイルは俗情とは別の回路を原理とする童話特有の聖性をまとっているのではあるまいか。童話を含めた少年少女文学には、縦の運動が内包されていると言えよう。水村はあるエッセイで、「文学は善行を奨めるものである」(「『善意』と『善行』」)と書いているが、ここで水村が口にする「文学」は水村の肉体の深奥部を染め上げつくしているであろう少女文学がアーキタイプとしてあることはほぼ間違いないし、宮沢賢治の童話群は、縦と善だけで成り立っている世界である。

 貴子の血のつながった父親健吾もまた、孤児の境遇であるがゆえにブラジルへ移民として渡り、その地でも辛酸をなめ続け刑務所にも送られ、最終的には貴子を八重とその夫安二郎に預けて姿をくらますことになるが、その健吾がすがりつくのが月幻想といったものなのである。「おとうさんとおかあさんはな、これからはいつもお月さまからタカコを見てるよ。こんな風にお月さまがまあるく見える晩は、かならずタカコに話しかけるよ」。貴子が「お月さま」という言葉のスタイルに愛着を覚えるのは、健吾の記憶と結びついているからである。健吾という人間は、明らかに、水村の別の作品『本格小説』の主人公東太郎の双生児である。東太郎も、健吾と同様、貧しい日本人としてアメリカに渡るが、健吾とは違って大成功を収める。かたや健吾は無残な敗北者として転落してゆく。健吾は太郎の陰画である。

 また別の登場人物で強烈なキャラクターであるがゆえに、どこかパロディ感を醸し出している北條夫人は、縦の運動を「exclusive」という語とともに危険な領域にまで高めている。日本からのブラジル駐在員の子弟相手に塾を営む北條夫人の殺し文句は、「国際的エリートとしての日本人」となることこそが重要であり、受験勉強などにかまけているのは愚の骨頂だ、というものである。そんな夫人が、ある日、八重の営む書店を訪れたさい、日本舞踊の練習中の貴子の姿を目撃する。貴子の姿に他には代え難い何かを感じ取った夫人は、貴子の才能を伸ばしたいと申し出て、月謝をとらずに貴子へのエリート教育を授けるようになる。文字通りそれはexclusiveなものであり、「ほんとうの日本」に象徴されるような「理想的なあるべき自己とそれを目指す自己」という縦の構図に則った垂直方向への上昇運動を展開するものであった。

 かくして貴子はコロニアに同化できなくなっただけでなく、ふつうの日本人にも、いやふつうの人間にも同化できない特異な存在へと変化を遂げる道を歩み始めたのであった。

『大使とその妻』

 このような特異な生の在り方は、早くからオリンピックを目指すようなプロレベルのアスリートが置かれるような状況を引き受けているが(大谷翔平のように)、貴子の夫の篠田氏は、貴子が選び取った能楽というジャンルを、歌舞伎やオペラやバレエと違って、観客を必要としない特異なものだと、ケヴィンに説明する。

 舞台芸術である以前に、祈りのようなもんらしいんですよ。舞い降りてくる神さまに自分の芸を捧げてね、自分がこうして生きていることのありがたさって言うのかな……。そんなようなものを感じながら、死んでしまった人たちの鎮魂を祈る。

『大使とその妻』

 ここでも大衆との水平的関係が遠ざけられ、「神さま」や「死んでしまった人たち」との垂直的関係が重視されている。篠田氏はその職業が「大使」だけあって、水平的な感性に恵まれているが、一方では天文学好きの少年で「南十字星」見たさに南米の国の大使となった人物である。そのような感性を持ち合わせているがゆえに、彼は貴子やケヴィンのような人間と交流することができる。篠田氏はexclusiveであると同時にinclusiveでもある。

exclusiveというスタイル

 『大使とその妻』は、exclusiveの運動に相対的に強く同調すると同時にinclusiveの運動をも、作品の中に導き入れている。そしてこれらの葛藤と和解の物語を描き出している。

 先に見たとおり、貴子は「ふつうの日本人にも、いやふつうの人間にも同化できない特異な存在へと変化を遂げる」過程に投げ出され、周囲の雑音や雑務から隔てられた特殊な世界で、自らをサイボーグに仕立て上げてゆく。このサイボーグ生成の背後に控えているのは、夢とセットになった贈与である。夢について言えば、父健吾や仮の祖父母である山根安二郎・八重夫妻にとっての「ちゃんとした日本人」であるし、北條夫人にとっては、彼女の父が言ったとされる「日本には宗教がない。その代わりに日本文化というものがある」という言葉に示される、継承され維持されるべき日本文化のようなものであろう。

 さらにつけ加えておくと、彼らの背後には、作者である水村美苗自身の日本語体験がある。水村は、アメリカにおいて、割合裕福な文化的移民として、日本語を発見し、それを「ほんとうの日本語」として肉体化した。それは特殊な日本語というものであり、とはいえ、当人にとってはのっぴきならない切実さを伴うものであったがゆえ、麻薬のように作用したかもしれない。だから次のような言葉は、フツーの人には通じ難いものかもしれない。

 だが、この本は、そのような人に向って、私と同じようにものを見て下さいと訴えかける本ではない。文学も芸術であり、芸術のよしあしほど、人を納得させるのに困難なことはない。この本は、この先の日本文学そして日本語の運命を、孤独の中でひっそりと憂える人たちに向けて書かれている。そして、究極的には、今、日本語で何が書かれているかなどはどうでもよい、少なくとも日本文学が「文学」という名に値したころの日本語さえもっと読まれていたらと、絶望と諦念が錯綜するなかで、ため息まじりに思っている人たちに向けて書かれているのである。

『日本語が亡びるとき』

 ここに露呈しているのは、没落貴族の悲哀である。水村が耽読したバーネットの作品が大英帝国の没落初期に書かれ、失われた時代への郷愁を刻印しているように、前時代の様式への執着は狂気すれすれのレベルにまで昂じている。『大使とその妻』のケヴィンもまた、「英語で日本文化を紹介する『失われた日本を求めて』というオンライン・プロジェクト」を立ち上げて活動している。

 彼らの文化体験や活動は、歴史的にも階級的にも限定されているといえよう。貴子を育てた山根夫妻が、移民とはいえ、比較的高い教育を受け、奴隷のような過酷な労働を通して形成された資金で書店の経営に携わったように、また、ケヴィンがあまり利益の出そうもない日本文学と関わっていられるのは、アイルランドからの移民としてアメリカで成功を収めた祖父から「ファンド」を贈られているからである。そしてまた、北條夫人がブラジルで上流階級のように振る舞えるのは、日本にいる父から勘当されたとはいえ、生活費を贈られ、家族の中で親しい間柄の弟の協力があってこそのことである。「品のよさ」がこの作品のキーワードになっているが、ケヴィンが「貴子」の「貴」という漢字からnobleという英語をおもいうかべるように、彼らは欲望に対して独特なスタンスを取っている。それは物質的な見返りを求めないことであり、いくぶんか自己犠牲を厭わない姿勢に執着することである。たぶんそれは「贈与」というスタイルで実践される。

 「だども、できるだけ贅沢に育てて欲しいんだ。オラのためにはちゃんと別にとってあるから、心配せんでもええわね。この子には与えられるだけ与えてやってごしない」
 思えば、贅沢と言えるようなものを何一つ与えられずに生きてきた健吾であった。

 この女の子に、自分が与えうる最良のものを与えたい――自分のようなものでも与えうる最良のものを与えたい、与えさせて欲しいという、彼女には似つかわしくない謙虚な欲望がどこかで芽生えた。

『大使とその妻』

 引用部の前者は、父健吾が貴子の前から姿をくらます際に安二郎と八重に対して吐露した思いであり、後者は北條夫人が貴子の舞いを初めて目撃した際に芽生えた欲望である。贈与は交換の一形態であるが、そこには崇高さがある。崇高を意味する英語はsublimeであり、その原義は「高さ」であるのだから、そこには縦の感覚が働いている。では、一方、横の動きはどのように働いているのか。それはinclusiveという形を取りながら機能する。

inclusiveというスタイル

 inclusiveには二種類のタイプがあると言える。商売的なものとそうでないものと。「商売的なもの」は資本主義の運動様式であり、それは都市の様式にほぼ重なる。資本主義は共同体と共同体の間に発生し、都市もまた農村と農村との間に発生する。そして両者とも共同体=農村を包摂しそれを解体してしまう。

 資本主義の本性は増殖拡大することにあり、それはターゲットを包摂することでシステム内部に取り込み、それを解体してしまう。近代システムにおいて、農村が都市に包摂=解体され、後進国が列強に包摂=解体されたように。『大使とその妻』においては、軽井沢や京都が観光産業の資本によって、包摂され解体されてゆく様子が度々描かれており、貴子やケヴィンは変貌する風景に失望と怒りを禁じ得ない。このようなinclusiveの暴力的な側面に対してはexclusiveというスタイルで対抗するしかない。貴子やケヴィンが「結界」に執着したように。マルクスは貨幣を「ラディカルなレベラー(平等主義者)」と呼んだが、この度を超した運動に対しては「縦の軸」で応じるしかないのだ。水平的な世俗の欲望と垂直的な反俗の欲望を体現する登場人物は貴子の夫の篠田氏であるが、篠田氏の姿は、私の目には、作者水村美苗の実際の夫である岩井克人の姿と重なって見えたのだった。岩井克人は著名な経済学者であり、アメリカの経済学者ハイルブローナーが経済学者のことを「世俗の思想家」と呼んだように、水平的な次元に通じている。だが、岩井は資本主義を絶対視することはなく、懐疑的である。私が読んだ限りでは、岩井の思想を取り出すとすれば、それは「noblesse oblige(高貴なる者の義務)」ということになる。貴子の「貴(noble)」と呼応して、岩井と水村は「似たもの夫婦だなあ」と思ってしまう。

 ソ連が崩壊した頃から、岩井は「資本主義を純粋化してはならず、不純にしなくてはいけない」と言い続けていたが、この不純物こそが縦の軸なのである。それは資本主義にとっては障害物であり、病原菌のようなものであるかもしれない。実際コロナ騒動の時は資本主義の運動は停滞に追い込まれた。岩井の経済学の発想の大元はおそらくケインズであり、レッセフェール(自由放任主義)に否定的見解を初めて述べたのもケインズであった。

 ケインズはブルームズベリー・グループに出入りしていた文化的エリートでもあったりして、人々の欲望が貨幣に集中することで社会が不安定化することを危惧していた。基本的には横断的な資本のダイナミックな運動に対して、倫理や公共性という縦の軸で規制をかけなければならないと考えていた。ここには必要悪としての不自由があるが、自由は本来的に善をなす自由と悪をなす自由があり(自由の自由性というものだ)、exclusiveにせよinclusiveにせよ、それらはどこかで無制限な膨張に歯止めをかけなければならない。

 exclusiveとinclusiveは、それぞれ、閉鎖と開放という言葉に置き換えることができるが、そんなことを考えるのも、『大使とその妻』の物語が急展開するのが、「免疫」という閉鎖と開放に関わる医学現象に起因するからである。貴子の夫の篠田氏がワクチン接種が間に合わずに免疫を作れず、コロナに感染して死亡するのである。

 間接的な原因として、日本の現在の姿に嫌気がさした貴子が一時的にブラジルに戻りたいと言いだし、その要求に従った篠田氏と二人でブラジルへ旅立った翌年に、パンデミックを起こしたコロナの犠牲となったがゆえ、夫の死の責任は自分にある、と貴子は考える。inclusiveな性格の篠田氏は、その開放性が仇となったかたちである。

 と同時にこの作品は、篠田氏の死が読者に知らされる少し前あたりから、inclusiveの色調を帯びはじめる。具体的には、ケヴィンは姉のモウリーンと和解し、またずいぶんと以前に兄キリアンが大学生の時に書いた原稿の凡庸さにショックを受け、その衝撃を記憶の底に封印していたが、その幻滅を受け入れ、それでもなおキリアンへの愛を確認することで、ケヴィンは周囲の世界に対してinclusiveな態度を示し始める。

 物語の末尾に掲げられたケヴィンへのメールの中で、貴子は「狂気から解放された」ような気がしていて、「新しい朝が来る」のを待つ、と書いている。一方ケヴィンは「『おてんとうさま』という日本語がふいに浮かび、こうして生きていることのありがたさに身体中の細胞が目覚めるような感覚があった」と書き記している。

 この「おてんとうさま」という言葉は「昼」というinclusiveな属性を示しつつ、敬語の一ヴァージョンであるがゆえに、exclusiveな性質をも合わせ持つ。貴子もケヴィンも、inclusiveとexclusiveの中間地帯で新しい生を開始するようである。

ピアノが印象的な音楽

 ケヴィンがピアノの愛好家であることにあやかって、ピアノの音が印象的な曲を取り上げる。まずオープニングはキャット・スティーブンスの「Morning Has Broken」。キャット・スティーブンスは、ケヴィンに似て真面目な人らしく、イスラム教の熱心な信者として慈善活動を行った。

 デヴィッド・ボウイの「薄笑いソウルの淑女」。ピアノを演奏するのはマイク・ガーソンで、彼のピアノなくしてはこの作品は成り立たなかった。

 イリュージョンの「Isadora」もイントロのピアノが印象的。中学三年の夏、夕方のFM番組でDJの女性(山本さゆりさんだったと思う)が「最近の音楽の中で最も美しいメロディ」というふうに紹介していて、その語りの熱さにただごとではないと感じ、あわててラジカセの録音ボタンを押したのだった。クラシックのテイストのその曲は新鮮で毎日のように録音テープを聴きまくっていた。当時は毎月の小遣いが1500円で、レコード屋の店頭のワゴンに積んであった3本1000円の60分テープを買って、エアチェックをして毎日聴いていた。あとは文庫本を2冊も買えば小遣いは消えてしまった。LPレコードを買ったりロードショーの映画を観ることは当時はたまにある贅沢だった。

 ピーター・フランプトンの「I’m in You」も同じ頃聴いていた。バンドのハンブル・パイの元メンバーで、ソロ・アーティストとして1976年に出した『フランプトン・カムズ・アライヴ!』が大ヒットしたが、「I’m in You」を最後に表舞台から消えていった。

 ラストはエルトン・ジョンの「Your Song」。名作の誉れ高いラブ・ソングであるが、エルトン・ジョンはどうもコメディアンのイメージがある。1976年のキキ・ディーとのデュエット・ナンバー「Don’t Go Breaking My Heart」のミュージック・ヴィデオの姿がキッチュな道化じみていたからである。さらにこの頃、やたらと音楽業界のどうでもいい話に詳しい同級生(バスケットボール部ポイントガード)の情報によると、薄毛に悩むエルトンは腕が毛深いので、腕の毛根を頭部に移植する手術を受け、それに成功したという。そのエピソードを聞いていた一同は「よかったね、エルトン」と盛り上がっていたのだが、その半年後ぐらいに、またその男が「結局手術は失敗したようで、すべて抜け落ちてしまったらしい」と報告して来て、そのようなデリケートな問題にはいたって鈍感な我々バスケットボール部員達は、エルトンには申し訳ないが、笑える話を提供してくれてエルトンはいい奴だ、と言わんばかりに爆笑したのだった。


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