戦中派の仇討ち
山田風太郎の『太陽黒点』は、傑作との呼び声が高いミステリであるが、ある特定の世代ならではの固有の生存感覚を感じさせて、とても興味深く忘れがたい作品に仕上がっている。山田風太郎は1922年生れの戦中派であるが、本作を読みながら思い浮かべた名前を、本作とのつながりの濃い順に並べてゆくと、荒地派の鮎川信夫(1920年生れ)と田村隆一(1923年生れ)。松本清張(1909年生れ)。山川方夫(1930年生れ)。江藤淳(1932年生れ)。森村誠一(1933年生れ)。小松左京(1931年生れ)。以上のような顔ぶれである。彼らに共通することは、戦争や敗戦直後の体験が影を落としていることと戦後への強烈な違和感(特に江藤淳)を抱いていることである。とりわけ生年が近い荒地派のメンバーとの親和性は非常に高く、鮎川信夫の友人「M」を主題にしているのではないか、と思われるほどである(ネタバレになるので、これ以上のことは書けないが)。
荒地派の詩人たち、および荒地派との親交が深く、サブカルチャーにも積極的な関心を寄せていた吉本隆明(1924年生れ)と山田風太郎が、互いのことをどう思っていたかについてはよく知らない。あるいは、違うカテゴリーであり交わるものはないと、無関心を決め込んでいたのかもしれない。そもそも『太陽黒点』は1963年に発表された作品であり、荒地派の活発な活動時期とはずれているし、山田が最も意識していたのは石原慎太郎の『太陽の季節』(1956年)である。『太陽黒点』は、『太陽の季節』への返歌であり、太陽族へのアンチである。『太陽の季節』が発表された1956年には、経済白書が「もはや戦後ではない」という有名な宣言を出しており、この時期に日本の現代史にはある切断線が走っている。この時期を境にして、凄まじいまでの世代間の断絶があるようだ。登場人物の一人は次のような毒々しい発言をしている。
この言葉は、登場人物の一人である仁科という大学教授が発するものであり、彼の台詞にある「君たち」が太陽族にあたる。作品に登場する「K大」生たちがそれである。「K大」は言わずと知れた「慶応義塾大学」のことであろう。石原慎太郎の『太陽の季節』は、慶應高校に在学していた弟裕次郎が慎太郎に語った慶應の不良学生の話をもとにして書かれた。
仁科教授の言葉に焦点化すると、戦中派と太陽族の対立の構図が浮かび上がってくるが、この作品では「K大」生だけが新しい世代を代表するわけではない。主要な役を担う鏑木明や土岐容子のような「F大」生も登場する。「K大」と「F大」は、長嶋茂雄と野村克也の関係のような構図になっており、太陽族が都会の金持ちのボンボンであるのに対して、「F大」組の明と容子は鳥取県出身で、経済的にもアルバイトをしないと生活が成り立たない苦学生である。よって、この作品は階級の対立の図式も前景に押し出してくる。
じっさいこの作品を読む者は、地方出身の貧しい二人の男女をメインに据えた、都会の片隅でもがく若者の姿を活写した恋愛メロドラマとしてこの物語を受け取るのではないか。山本圭主演の昭和40年前後の青春ドラマのあのテイスト。小説ではかなりのイケメンに設定されているので、山本圭だとシブみがありすぎるのだけれど、世を拗ねている感じは山本圭である。懐かしの青春メロドラマが好きな人だったら、琴線に触れるものもあるのではないか。とはいえ、恋愛小説の要素ももちろんあるけれど、歴史の重力がかなり作用している作品でもある。歴史と深刻な形で触れ合わなければならなかった山田風太郎の世代感覚のようなものだ。仁科教授が翻訳した歴史書を鏑木明が読む場面が出てくるが、鏑木は次のような個所に強く反応する。
いささか長い引用となったが、この歴史的解釈というか、外交政策は、鏑木明のみならず、山田風太郎自身の骨身にしみたであろう。世界の悪意にまともに触れてしまった山田風太郎の世代の抜きがたい虚無感覚を映し出すような光源である。だから、本作を松本清張のような社会派ミステリと位置づけることは間違いではない。
けれども本格派の醍醐味を味わえるおいしい作品でもある。たとえば、「死刑執行・一年前」から「死刑執行当日」へと章が進んでゆく構成はエンターテインメントのサスペンスを醸し出しているし、作中でリフレインされる「誰カガ罰セラレネバナラヌ」という言葉はいやでも耳に残り、誰が誰を何のために罰するのか、という問いが物語をぐいぐいおし進めてゆく。その問いの真相が判明した時、社会派である本作は、本格派へとアクロバティックなジャンプを演じることになる。その時、先に引用した歴史書の文言が、社会派の表情から本格派の表情へとひっくり返るという、呆気にとられる光景に読者は立ち会うことになるだろう。
山田風太郎らしいニヒリスティックな本作ということで、ニヒルな感じ、あるいは8月下旬ということで、晩夏な感じの音楽を。まずは文字通りの荒井由実の「晩夏」。1976年の8月後半から放送されていたドラマ(NHK銀河テレビ小説)『夏の故郷』『幻のぶどう園』のテーマ・ソング。ドラマの内容はまったく覚えていないのだが、この曲の記憶は鮮明。近年は8月後半でも酷暑の日々だが、当時は夏の甲子園が終わったころには「もう秋~」という感じであった。
次いで丸山圭子の「どうぞこのまま」にも晩夏というよりは秋を感じる。こういう大人っぽい曲は1970年代までしか作られていなかったような……。
ここで方向を変えて、ガロがGS調の曲に挑戦した「一枚の楽譜」。恋人が死んだことを歌う内容でニヒルというよりはメロドラマである。ところで小6から中学1年生にかけて、私は自由が丘の集合社宅に住んでいたが、社宅ビルの前にソニーの特約店があって、私の母親がその店の前で、ガロのメンバーである「マーク」こと堀内護と鉢合わせになったことがある。自由ヶ丘は当時から芸能人がうろついていた模様であるが、私は見かけたことはない。ちなみに中学校の同級生の父親が自由ヶ丘で焼き肉店を経営していて、土曜の深夜に、フォーク・グループ「風」の大久保一久が来店し、色紙にサインを書いてもらったというエピソードがある。
ニヒルで退廃的な歌謡曲テイスト満載のEGO-WRPPINの「色彩のブルース」。服部良一の匂いを感じるのは私だけだろうか?
最後はこの時期には定番中の定番のクール&ザ・ギャングの「サマー・マッドネス」。クール&ザ・ギャングらしからぬ曲であるが、永遠のスタンダード・ナンバーである。
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