自己紹介
初めまして、土下座最中と申します。
名前の由来は、お気づきの方もいらっしゃるかと思いますが、ネウロのアレです。詳しくは漫画を買ってください。(ファン故のダイマ)
作中では東京銘菓となっていますが、私自身は生粋の関西人です。
さて、プロフィールにも書いてある通り私は精神の方で障害者手帳2級を持っている統合失調症患者です。患者というよりハッキリ申し上げると障害者です。
16歳で発症していたのですが、自分が病気だと気がついたのは20歳になる2週間ほど前、初診日はなんと20歳の誕生日の6日前でした。
当時学生だった私は、幸いにも大学の保健管理センターで20歳前に初診日を認定してもらえたわけですが、これが20歳を超えていると年金やらなんやらの関係で非常にややこしくなるらしいのです。
詳しいことはここでは書きませんが、もしこの自己紹介を読んでくださっている方の中で「最近、精神的にしんどい」など気持ちや心身で不調を感じている方がいらっしゃいましたら(年齢に関係なくですが)早めの受診をお勧めします。
もし年金を申請するとなると初診日が大切になってきますので。
私が障害者だと書きましたがそう思う根拠は2つあります。
まずは障害者手帳を持っている・障害年金を受給している。次に健常者と同じように暮らすことができない。
この2つです。
まず1つ目。
障害者手帳と障害年金に関しては、これはもう「あなたは障害者です」と認定されているということです。
もちろん、こちらから申請しなければ手帳も年金も受け取ることはありません。
自分から「私、障害を持っています」と申請して、それが認められると手帳などがもらえるようになります。(私の知る限りはですが)
ちなみに障害年金の方については、がん患者さんも受け取れることがあるそうで、障害年金受給者=障害者というわけでもないようですが、私の場合は精神の障害で受給しているため、より「ああ、私は障害者なんだな」と思った次第です。
そして2つ目。
健常者と同じように暮らすことができない。
これは大学生だった頃に一人暮らしをしていたのですが、一人で基本的な生活が送れないということです。
そもそも自分が他の人と何か違うんじゃないかと疑いだしたのは、講義に全く出られなくなったからでした。
講義に出席できない、そして寝食が疎かになる。
疎かになるというと凄まじく語弊があるのですが、なにせ夜が怖くて眠れない。食事をしようにも、食料を買いに行くことすらできない。
もちろん、掃除洗濯etc…諸々ができないのです。
なので大学に通う間、一人暮らしはしていましたが、週の半分は母に来てもらって家事やら身の回りの世話やらなんやらしてもらいつつ、行けたら講義に行くといった生活を送っておりました。
そして8年間の大学生活の末、見事自主退学!
2年の休学期間を挟んでいたのであと2年は通えたのですが、大学の学科再編や時間割の読替がなくなったこともあり、そこで心が折れてしまいました。
今思えば、担当教授に相談すればなんとかなったこともあったかもしれないのですが、その時はそれまで持っていた「好きな分野の勉強をして論文(卒論)を書くんだ」という心の芯がポッキリいってしまっていました。
それ以降は実家に帰って療養の日々。
そして大学を退学してから8年もの月日が経ってしまいました。
8年の間にいろいろなことがありました。
それは後々書こうかと思いますが、何よりなんとか働きに出ようという意欲と具体的な行動プランが出て来始めたちょうどその頃に、私の大好きな弟が突然死でこの世を去りました。
弟も精神的な疾患を持っていました。
しかし私ほど重い疾患ではなく、亡くなったその日もバイトに行く予定でした。
大学も、私と違い、少々時間はかかりましたが卒業しました。
退学後、実家に戻って自宅療養と言いましたが、実家に戻ってからは弟の卒論の手伝いと、就職活動の支援を行っていました。
弟の就職先がなんとかなってから、自分のことは考えよう。
そして弟の就職先がなんとかなりそうだった時に、弟は亡くなりました。
それ以降は抜け殻のようになり、弟がいなくなった現実を受け入れられず、その現実を受け入れないまま。
今も正直言って信じられませんし、考えるのも辛いです。
しかし自分の置かれている現実は少し見えていました。
社会経験のない、アラサー、無職。
望んだ学歴も得られなかった。
でも、生きていかなければならない。
幸いなことに、今はまだ父が定年後も働きに出てくれているので、家族の生活は支えられていますが、父ももうすぐ年金生活になります。
その時、私はこのままでいいのか。
実際、就職活動を始めようとしていた時期もあったのですが、その矢先にコロナ禍が世の中を襲い、その計画はおじゃんに。
コロナが猛威を振るっていた頃は、母親がビビり倒して私を外に出してくれませんでした。
その最中に一度、将来的に就職したい旨を話すと「お母さんを殺す気!?」とえらい剣幕で怒られたのを覚えています。
そして、私は障害者枠で一般企業に就職するということばかりを考えていたのですが、冷静に考えて無理だなと最近思いました。
もっと早くに気づけよとお思いでしょうが、私も本当にそう思います。
大学の講義にすら出席できなかった奴が、就職して毎日出社?
無理無理、あり得ない。
そんなことに気づかないほど、私は社会人として収入を得るということに囚われていました。
そもそも、私が企業の採用担当だとして自分を雇うか?
ないない、絶対採らない。
そなことに今更気づいたのです。
そして今年からは考え方を改め、まずは外に出ることを目標としました。
外に出るとは、家族以外のコミュニティに属すると言うことです。
幸いなことに、私には障害を持っていても付き合いを続けてくれる友人たちがいます。
しかし友人たちは育児に仕事にと多忙で、こちらから簡単に連絡を取れない状況で、私もその辺は弁えています。
そして外界との繋がりを友人たちばかりに頼ってもいられないので、新たなコミュニティ探しをすることにしました。
そこで考えたのが、まずは就労継続支援施設に通うこと。
最初は、また現実が見えていなかったのですが、A型と呼ばれる週20時間以上の労働で契約する方での通所を考えていました。
ですがほぼ引きこもりのような私がいきなり週20時間の労働は、精神的にも体力的にも続かない。
何より家族の理解が得られていないのです。
私が就労継続支援施設に通うことを目標としていることを最初に打ち明けたのは母でした。
母の返答はこうです。
「家のことをするんだったら、行ってもいいけど」
実を言うと、今現在、我が家の家事のほとんどを私が担っています。
母は諸事情あり、ほぼ家事ができない状態なのです。
本音を言うと、実はできるのにできないふりをしているのを、私が甘んじて受け入れているだけなのですけれど。
というわけで、1日4時間週5日、と言う通所プランが多いA型を、家事と両立させながらは難しい。
私はB型の就労継続支援施設を探して、いくつか興味のある取り組みをしている施設を見つけました。
そして現在に至るわけです。
私の予定では、今月中には少なくとも1か所には問い合わせを入れて見学の申し込みをしているはずなんです。
しかし今月は家族の予定が詰まっており、正直なところ私が望むには厳しいスケジュールになっています。
もちろん私の予定が家族の予定より優先されることはありません。
そんなこんなで、施設に行くにはまだ時間がかかりそうなので、なにか家にいてもできること。
コミュニティに属するために、なにか家でできることはないだろうかと探したところ「ネットもええやん」と言う結論に至りました。
現在、有名どころのSNSで繋がっているのはほぼリアル友人だし、それ以外の人はこちらから一方的にフォローしているだけで認知されていない。
そしてSNSでのやり取りは鮮度が命なので、SNSで細やかなやり取りをするのに私は向いていないのです。
そこで考えたのが、ほぼ一人でつらつらと思っていることを喋っているように発信できる場所で、自分自身のことを語ってみようということ。
いろんなBlogやその他SNSサービスがありますがnoteを選んだ理由は、好きな作家さんがここで発信しているからでした。
私はnoteを始めるに先駆けて、InstagramのアカウントとThreadsのアカウントを持っているのですが、未だ投稿はなし。
この投稿を持ってして、初めて投稿しようかなと考えています。
まあ、そのためにはまず投稿方法を調べないといけないのですが。
そんなこんなで長い自己紹介になりましたが、最後までお付き合いいただきありがとうございました。
また、気が向かれましたら覗きにきてやってください。
たぶん、ものすごくマイペースになにかしら喋っていると思うので。
それでは、またお会いできたら嬉しいです。