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梅さくやどのあけぐれの空
藤原定家、文治五年(1189)。
こぞもこれ春の匂ひになりにけり梅さくやどのあけぐれの空
「あけぐれ(明け暗・明闇)」は、まだ夜の明けきらない頃。辺りがまだはっきり見えないし、物音もきこえない。それだけ匂いには敏感になる。
「やど」は現代語の「宿」とは少し意味がちがう。もともとは、ヤ(屋)のト(外)、つまり庭先を意味した*。自分の家の庭先かもしれないし、そうでないかもしれない。
春の訪れを、匂ひで感じる。
秋を風の音で知ったのは、藤原敏行の 秋来ぬと目にはさやかにみえねども風の音にぞおどろかれぬる (古今集 169)である。秋はただ一瞬の風の音として、気付いたときにはもう去っている。
春の匂ひは去年(こぞ)を思い出させながら、しかも空にとどまっている。
*「庭先を意味した」|岩波古語辞典・補訂版(大野晋他編)1990 による。「わがやどの花橘はいたづらに散りか過ぐらむ見るひとなしに」=わが家の庭の橘の花はむなしく散り果ててゆくのだろうか、見る人とてなく。|中臣宅守・万葉集 3779