2つのデモから考察する価値観の衝突と文化変容
どうも、Dogaです。
先日、日本領事館から送られてきた一通のメールと、Mobilesyrupで見つけた記事を読んでから自分の中で色々と思うことがありましたので本日はそれらについて綴りたいと思います。
先に触れておきますが、本記事は一方の考え方に対する擁護でも、自分のスタンスを伝えるものでもありません。本記事の目的は、題材とする現象をもとに「文化」変容を考えてみるというものです。
日本大使館から送られてきた一通のメール
まず日本領事館から送られてきた一通のメールについてご紹介です。日本領事館で在留届を出している方には全員メールが送られているはずですが、僕はこのような連絡をもらうことが初めてだったため最初は少し驚きました。
どうやらシーシェパードによりイルカ漁に対する抗議デモが実施されるため、日本人は現場付近へは近づかないようにという内容の注意勧告のようです。
もう知らない人はいないと思いますが、シーシェパードとは海洋生物保護を掲げる国際非営利団体のことです。時には彼らの暴力的な活動から「海賊」なんて呼ばれることもあるようですが、一応大義名文のもとに活動を広げています。ただ他の民主的な自然保護団体とは違い、あまりにも暴力的であるため「テロリスト」と名指しされてもいるようです。
日本でも過去何度も捕鯨船が彼らの船から衝突を受けニュースになっていましたよね。海外でも彼らの過激な活動が目立ち、賛否両論あるようです。ちなみに国際指名手配されている創設者のポール・ワトソンはカナダ人でトロント生まれです。(あら偶然)
彼らは日本のイルカ漁や捕鯨に対して抗議しています。クジラやイルカの肉を食べる習慣は日本のある地域に根ざした食文化の一つです。クジラの肉なんかは我々の親の世代であれば給食に出てくることもあったくらいです。ちなみに僕も食べたことあります。
今回のトロントでのデモは、彼らの言葉を借りると「野蛮」な食文化を持つ日本に対しての抗議デモということでしょう。なおトロントでの本抗議デモは例年平和的なデモのようですので神経をとがらせる必要もないかもしれませんが、トロント在住の方は念のため気をつけましょう。
Mobilesyrupで読んだ一つの記事
続いて同じみMobilesyrupで読んだ「Uber」に関する一つの記事を紹介します。これまた抗議デモについてのものです。
今週末(13日〜15日の連休)、タクシー連盟が抗議デモを兼ねて約2,500台のタクシーを集めてストライキをトロント市内のどこかで実施する予定のようです。
時間と場所は明かされておりません。おそらくどこかの通りがタクシーで丸々遮断され、交通の便に乱れが生じることが予想されます。
トロントでもUberとタクシー連盟の議論が長く繰り広げられています。格安で移動できるUberが既存のタクシー業界の売り上げに大ダメージを与えており、タクシー離れが目立つようになってきているのです。まだまだUberも法の整備が行き届いておらず、安全面からいうと脆弱かもしれませんが、トロント市内でもUberを使う若者は年々増えてきているようです。
そんなUberに真っ向から対立するタクシー連盟が自分たちの既得権益を守るためにデモを実施するのです。本デモの詳細はまだ不明のため対応不能ですが、トロントに住んでいらっしゃる方はとりあえず「覚悟」しておきましょう。笑
両者に共通しているのは?
さてここから本題ですが、では上記で取り上げた両者に共通していることは何でしょうか?
それは…
異なる価値観の衝突
です。シーシェパードの件は「食に対する価値観の衝突」、Uberの件は「移動手段に関する価値観の衝突」とでも呼びましょうか。前者の要素は食文化に根ざし、後者の要素は技術(もしくは文明)に根ざします。
Uberの件は、一見「タクシー連盟が既得権益を守るために主張しているだけでしょ」と思われるかもしれませんが、そもそもUberがここまで人気になってきているのは「移動」に対する価値観が若者を中心に変わってきているからなのかもしれません。
移動するのであれば、「安心」「安全」よりも、そこそこの安全は担保されている「簡単」「安価」な方を選ぶような時代になってきているのでしょう。
そんな異なる価値観の衝突が政治性を帯びて表面化したものの一つが、今回のタクシー連盟によるストライキ(抗議デモ)なんだと僕は思います。シーシェパードの抗議デモも同様です。暴力的に物事を解決しようとするのは決して許されませんが、彼らもあくまで「彼らなり」の動物愛護の価値観から日本の食文化に対して反旗を翻しているのです。
クジラやイルカの肉を昔から食べてきた地域の人からすると「私たちは昔からこれを食べてきたんだ!」という気持ちになるかもしれません。食に対する価値観が違うのです。「どんな食に嫌悪」と感じるかは往々にして地域文化に根ざします。
例えば、僕は昔彼女と旅行で行った福岡の日本料理店にて、イカの活き造りを注文したことがあります。その時僕からすると「イカの活き造りは福岡の有名な料理だし、これは食べておこう」という軽い気持ちでした。しかし実際に出てきた生きたイカの刺身を見た彼女は、耐えられず泣いてしまったんです。僕が事前にどんな状態で出てくるのかを伝えていなかったため、彼女は一般的なイカの刺身が盛られて出てくるのだと思っていたのです。
その後、彼女に確認をせずイカの活き造りの注文をした自分を恥じましたし、再度食文化について考えさせられるようにもなりました。今でもよくスーパーで彼女と食について議論することもあるくらいです。
文化の衝突と変容
しかしこういった異なる価値観の衝突、それに伴う文化の変容というのは歴史上幾度となく繰り返されてきたはずです。明治時代に日本に西洋文化が流れ込んできた時なんてその最たるものです。
「グローバル化」(この言葉久しぶりに使った気がする…笑)が進むと当然ながら慣れ親しんだ既存の価値観とは異なる価値観に触れる機会が増えていきます。時には嫌悪感を抱くものもあれば、うまく取り込むことができるものもあるはずです。
嫌悪感を抱くと当然ながらそこには「闘争」が生まれるでしょう。しかし闘争が繰り返され、その衝動で少しずつ文化が変容していくのもまた事実なのです。
例えばグローバル化に抗う形で起こる「ローカル運動」、異なる食文化が混ざり合うことによって生まれる「クレオール料理」など、片方の文化が完全に淘汰されることもなく形を変えてて生き続けることもあるのです。
僕は闘争を肯定しているというよりも、その闘争によってどのような衝動が生まれ、歴史がどのような方向に進んでいくのかという文化の汎用性?底力?の方にこそ期待と興味を持っています。
ちょうど日本でもairbnbのサービスと民宿業界とで議論が繰り広げられていますが、僕は今後ますますこのような一般市民が簡単にサービスを提供できるようなブームがやってくると思っています。もはやこの流れは止められないのではないかとも感じるくらいです。
よく考えるとYouTubeやニコ生なども同じですよね。昔は大きな力を持った組織しか映像メディアを発信できていなかったものが、今では個人がモバイル端末さえあれば誰でも簡単に自分の作品を発信ができる時代になったのです。
ただ新たに触れるようになった価値観をただ受容・静観しているのではなく、自分自身もしっかりレスポンスしなくてはいけないということは僕たちも忘れてはいけない大切なことだと思います。