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赤信号の果てに



赤信号を通して今日もこの目に見えない大きな流れに生かされてると知った。

梅田のビル街を自転車で通り過ぎてると、青が点滅している信号が見えた。

私は赤になっても気にせず渡った。

赤信号でも渡るようになったのは、高校生くらいからかな。

当時は友達に早く会いたいとか早く新刊の漫画を買いたいとか単純だった。

危ない場面が何回かあったけど、交通事故なく今もふつうに息してベットでごろごろのびてる。

赤信号を友達と渡る時、赤信号を渡るのは呼吸と同じくらい当たり前のようにいく子もいれば、絶対止まって待つ子もいたり、1人が渡り出すとつられて渡る子もいたり。

赤信号を渡るか渡らないかってだけで、色んな人間が無防備にさらされる。

一瞬のできごと。

大人になった今も赤信号をすいすいと通り過ぎる。

ときに生と死をこの瞬間だけ身を任せてみる。

死んだらそこまで、生きたら進むだけ。

目に見えない、偶然が重なってたまたまいい事があったとか、いやなことがあったとか、1億人の選択の連続がたまたま知り合いの交通事故に発展したとか。たまたまでは済ませれないのが感情。みんながそれぞれの人生で選択し続けて重なる線上に私の死という点が繋がることは有り得るわけだ。

自分の人生は自分で選んでいても、どうにもできないことがあるのは毎日億単位で人が生き物がそれぞれ自分の生や死を選択し続けているからなのかな。

そんな何億もの情報の流れ、渦の中で生きてるみんなえらい。みんなすごいな。

たまに自分の生と死を自分が選択するのではなく、この「偶然」に選ばせてみたいとおもうことがある。

返事がめんどくさい時にゆるキャラのスタンプを送って済ませるような軽いノリの気持ち。

青が何層にも見える夜の街は、痛く眩しい。

信号で満ちている。

赤信号で自分をこの渦に任せて確かめる。

今回は生か死か。

また、生かされた。

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