人と花と無について
flowerには、
花という意味と、「flow(流れる)」と「er(もの)」という意味で流れ行く者ともいう。
とある人がいった。
わしら、ひとは生まれて必ず死ぬ。
花も、咲いて散る。
自然の大きな流れでは、花もひとも同じなんだなぁ。この流れに生き物は抗えないし、受け入れ生きている。人間は抗おうとしたみたいだし、今でも抗おうとしてる人はいるね。身近な例でいうとアンチエイジングとかね。
ふと、怖くなるときがある。
死んだらどうなるんだろうって。
そもそも死ぬってなんだろう。
記憶の中で初めて死を意識したのは、幼稚園児だったとき。寝る前に目をつむると、世界は黒いながら、たくさんの赤や紫の点々が小魚の群れのように流れるのがみえる。なんで、死を考えたのかはわからないけど、あの時に抱いた恐怖を今でも鮮明に覚えてる。
死んだら、目をつぶった時みたいに暗いところにいて、ずっと意識だけは残っていて、でも世界は変わり続けていつか自分の祖先が全滅して、地球が無くなって、宇宙が無くなったら、、そこには無しかない。
そうか、「死」よりも「無」に対してすごく怯えたんだ。わたしが死んだとして、あとから家族が死に、友達が死に、人類が死んで、地球が死んで、宇宙が死んで無くなったらとおもうと怖くて、泣いてしまったんだ。全部、どうなるかわからないのだけど、幼かった自分には自分の勝手な想像で怯えてしまったのだ。
今でも寝る前にふと想像するときがある。自分が消えて、大切な人たちが消えて、生き物が消えて、地球、宇宙が消えたて何も無くなったら…やっぱり、怖い。でも、明日は来る。寝る前にもし夢を見て、このまま夢から覚めなくなったらどうしようと思ったりするけど、わしはアラームさんに助けられながら、目を覚ます。
わしは死を意識すればするほど、生きることに執着しちゃうタイプだ。潔く現世はあきらめて、自分のやりたいことして死にましょうとか、現世は他人のために捧げるのもヨシだとか、生きてる時期によって変わる。だから、その時その時を全力で生ききるしかないんだよな。
もうすこし、かたのちからをぬいていこぉ