“叱る”んだか“怒る”んだか...
子どもと生活を共にしていると、叱っているんだか怒るんだか...ということがあります。
ぼくと我が家の嫁も、そんなことで少し悩むことがあります。
我が家には、長男(4歳)と次男(2歳)、そして三男が4月に出てくる予定でして、我が家の嫁的に言えば「4兄弟」になるそうです。。
まぁ、そんなさらに賑やかになることが我が家ですが、ぼくは33歳になりました。
33歳と言えば、立派なビジネスマンかクラフトマンになっているイメージだったのですが、どうやらぼくはそんな風にはなれないようだ。
それなりの生活をして、それなりに子どもたちと遊んで、時に刺激的な出来事があったとしても、それを活かせるんだか活かせないんだかハッキリしないけど、こんな風に文章を書いて過ごしていくんでしょう。
ただ、ぼくは、諦めたくないんですよね〜。
その諦めたくないという姿勢が、子どもに対して押し付けられることがないようにしなければ...!と思いながらも、押し付けてしまっているから、叱るのであり、怒るのだろうかなぁ...というのが、今回の趣旨です。
ぼくの大好きなアニメの一つである『血界戦線』のキャラクターであるクラウス・V・ラインヘルツが述べるセリフの一つにこういったものがあります。
1つだけ認識を改めたまえ。レオナルドくん。君は卑怯者ではない。何故なら君はまだあきらめきれずにそこに立っているから。光に向かって一歩でも進もうとしている限り、人間の魂が真に敗北することなど断じてない!
これを小山力也という俳優・声優がビシッと当ててくれています。
名探偵コナンの毛利小五郎役や、24のジャックバウワー役と聞けばわかる人もいるのではないでしょうか。ぼくは、低音で静かながらもボディに響くセリフをいわせたらピカイチだと思ってます。
ただ、ぼくの中では「霞のジョー」(仮面ライダーBLACK RX)なんですが!
さて、戻ってセリフについてですが...
『光に向かって一歩でも進もうとしている限り、人間の魂が真に敗北することなど断じてない!』という箇所が、最もぼくの琴線に触れています。
ここでいっている『光』というのは、希望であり、願望であり、夢であり、理想なんですよね。
つまり、人それぞれの中にある「何かを達成したい」と考えた際に努力を促す自発的な動機です。
先ほど、ぼくが書いた「諦めたくない」というのは、ぼくの中の自発的な動機を失いたくない、という意味で書いてます。
それを失った瞬間、ぼくのイメージするダサいオヤジになってしまいます。
ぼくがこれまで見てきたカッコいいと感じる諸先輩たちは、常にこれを抱いてるんですよね〜。
もちろん、ぼくなんかとは違い、わざとらしく認識せずとも、自然とそうできているからこそ、カッコいいのかもしれません。
こういうのは人に押し付けるものではありませんからね。
なぜなら、自発的動機だから。
自分がしたいと思うからこそ、したいと思えるからこそ、その努力には価値があり、その努力に立ち向かうことに最も価値があるのです。
いや、断定できませんが、価値があるとぼくは考えてます。
つまり、ぼくが子どもたちに対して叱っているんだか、怒っているんだか...と悩んでいることは、ぼくの勝手な期待値であり、理想を押し付けているのかもしれません。
常に笑顔でいるというのは難しいのかもしれませんが、それを目指すということに対して努力すること、その努力に立ち向かうことには価値があるはず。
その姿勢こそ、その姿勢を見せることこそ、叱ったり怒ったりするぼくを見せるよりも、よほど前向きで、大綱的だと強く思います。
だからこそ、ぼくは光に対して常に一歩でも前進していきます。
そんな風に考えさせてくれる彼らとの生活を充実させるために。
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