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どうも、おひさ。

どうも、えんどうです。

久しぶりに文章を書けそうな気分というか気配というか、そんなものに背中を押してもらいながら、新潟って土地で大雪って気候に嫌気が指している。

しばらく更新の時期が空いてしまったのだが、これは以前もそうだったように体調を崩してしまったからだ。

体調が回復してからも、「どうして連続での更新をしなくなったのか」と「再び更新をしていくことの意義と意味」みたいなものを見いだせなくて更新すること自体を止めてしまっていた。

それ自体に後悔があるわけではなく。

だからといって、真夏の青空を眺めたときみたいな清々しい気持ちなんてものでもない。

ただただ、時が流れることと、自分自身が生きることと、家族が安寧に過ごせることを願い続けて、なんとか体を動かし続けてきただけ。

そこには自分も家族に対しても意義と意味がある。というか、それ以外にはなくて。


noteを更新しなくなる少し前。更新をパタリと止めてしまう1,2ヶ月前から長文を書くことが耐えられない状態になった。

前触れはあった。

思考が回らなくなる。いや、正常な状態であっても回りの悪い頭だし、シングルタスクすらこなすこともできないポンコツなんだけど、そこがショートしているような焦げ付いたニオイを脳が嗅ぎ取っていたのは覚えている。


以下のnoteが更新をパタリと止めてしまう直前の、少し長めに書いた記事だ。2,300文字弱。この長さを書くのにも必死だったのを覚えている。

何を必死にカタカタとタイピングしているのか。どうして、この記事を書くのか。書く必要性なんてどこの誰にもないのに、ただ、頭に思い浮かんだ字面をそれっぽく並べるパズルをしているような、目的も目標もない空虚な身体活動だった。


一つ。変わったことがある。

上の記事で、ぼくは自分の保有している手帳についてオープンにした。

それまでも匂わせとはいわないが、なんとなく察することができた人もいたみたいだけど、A面としては伏せてきた。隣近所に住む人たちも、まさかぼくが手帳を保有している人間だとは思いもしないはずだ。

でも、ぼくはnoteでオープンにした。

それは、自分自身の就労においてオープンでいることによる「居心地のよさ」を実感したからだ。

症状に向き合いはじめて10年、はじめて、ぼくは自分の抱える症状や特性をオープンにした状態で就労している。

在宅のフリーランス、なんてかっこいい響きを生意気にも使っていたのだけど、その裏では継続案件と新規案件に対する営業と、不調時の体調と精神制御に追われるだけの情けない人間でしかなかった。

勝手に案件が舞い込んでくるような引く手あまたの実力者には到底及ばない、ただただ「それとなく、それっぽい成果を出すこと」しかできない人間がフリーランスを気取ると大変である。

それに輪をかけて、自分にはどうしても月に1,2度、体調がすぐれない時期がどうしても襲ってくる。半日程度で落ち着くこともあれば、4,5日と継続してしまうことも少なくない。

その精神面がガタついてる時に納期に責め立てられる状況と、収入面との睨みあいを続けるのは続けるのは本当に、本当に、本当にシンドかった。

在宅のフリーランスとして働くようになったのは長男くんの不登校がきっかけだったのだけど、特別支援学級に転籍して数年が経過した今では、毎日、近所の同級生たちと楽しそうに登校していく。それはそれでよかった。


それ以前、A面では人当たりがよく、なんとなく何かしらをこなすことができて、特徴もないけれど欠点はたくさんある、どこにでもいるような「使えない存在」として一般就労していた。

その間、ぼくは自分の精神疾患についてはもちろん、手帳を保持しているだなんてことは微塵も公表したことはない。

なぜか。

そうやって公表することで、意味のわからない下駄を履かされることを嫌っていたのかもしれない。実際には、そんなことなんて起こらなかったのかもしれない。でも、当時は少なくとも、そうやって自分が「そっち側」の人間だと周囲に思われることを極端に嫌っていた。

ところが、だ。

今となって考えてみると、その時間こそが無駄だった。無駄というか、もったいない。雇用してくれる企業側、経営者側にとっても、ぼく自身にとっても。

双方が「健常である」ことを前提に、何の配慮も必要としない、「一般的なコミュニケーションで成立する」と思いながら過ごすわけだ。それこそディスコミュニケーションである。

一般社会には障がいの有無にかかわらず「クセのある人」や「面倒な性格の人」は存在する。それと障がいの何が違うのか。

むしろ、障がいがなかったとしても「厄介な人」のほうがコミュニケーションコストが高く、円滑に仕事をすることだって難しいし、何よりもそういう人と接すること、それ自体が憚られる。

「そういう人だから」

いかんせん、これまでに生きてきたぼくの生活環境や就労環境では、それで終わってしまうことが多かったのも影響していたのかもしれない。

その延長が、いわゆる障がい者に対する偏見や気のない蔑視につながっているのではないか、とすら思う。

それが真実なのかどうかを確かめる術は持ち合わせていない。

持ち合わせてはいないのだが、どちらが上とか下といった、下賤で低知な会話に行き着くものではないことぐらいは想像できる。

しかし、だ。

少なくとも、そういった劣位の目にさらされることで当事者たちは傷つけられているし、傷つくのが嫌だから伏せようとするし、隠そうとする。

「だから全面的なバックアップを…」なんて思っていない。

ただ、「理解」し「前提化」してもらうだけでいいのである。

なぜ、クセ強な人が周囲からの遠慮を受けて肩風を切って歩けるのに、障がいといった現象で生きづらさや働きづらさを抱えている人たちが肩身の狭さを味わわなければならないのか。

まったく持って不合理だ。

そして、それが嫌になった。


ぼくは今、就労継続支援B型事業所をITと在宅の切り口で利用者を増やしたいと考える事業所を支援する仕事をしている。

端的に言えば、利用者の集客を支援する伴走役を、お金をもらいながら担わせてもらっているわけだ。

元利用者であり、障がい当事者だからこそ、障がい者を一人でも多く納税者に、一般雇用にクローズドで苦しんでいる人たちにオープンにできる場所と仕事があることを認知してもらうことの必然性を理解できているとは思う。

ビジネスではある。

でも、これまでに携わったビジネスの中でも、それとなく社会ってのに貢献できている実感があるのは、自分が当事者だからだろう。そうでしかない。

そんなわけで、それとなく生きてはいる。

ではでは。

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ゑんどう ≒ 遠藤 涼介
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